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△セファロ読本△プロローグ△1945年からの日本の流れ


△セファロ読本△プロローグ△歯科矯正学の歴史

1945年からの日本の流れ

現代の日本の矯正を考えてゆくときに、

各大学がそれぞれ異なる学派のものを持ち込んできたのである。

特に1945年の大戦のあとである戦後においてそういうことになった。

戦争中は、アメリカなどから新しいテクニックを

学ぶことも知ることもできず、戦争一色になっていった日本である。

戦後の改革の中で、

1949年(昭24)の新制大学による新しい出発がスタートと思ってもよいであろう。

1949年に東京医科歯科大学が唯一の国立大学の歯学部としてスタートを切った。

この時に教授であったのが高橋新二郎である。

その他のスタッフは滝本和男講師であり、平出経市竹谷正三浦不二夫

飯塚哲夫滝口弘毅助手という顔ぶれであった。

1951年(昭26)に大阪大学に歯学部がつくられ、

最初は高橋教授が兼任していたが、滝本和男が初代教授として就任した

高橋教授は、機能的矯正法を日本に最初に導入し、普及させた人であるから、

その門下生ともいえる人達も高橋教授の在任中は、

新しいものの導入ということが遅れていたようである。

その中で1959年(昭34)に、

日本大学の岩垣教授がベル.H.Sによる2カ年のフルバンドシステムの実習

を行っていたぐらいである。

その前年の1958年(昭33)にアメリカではNASAが設立されている。

NASAで開発された

ニッケルチタンワイヤーなど多くの恩恵を受けることになるわけだ。

1960年(昭35)に高橋は「新編歯科矯正学」を発刊している。

この本は、その後長く各大学の教科書として使用されるのである。

このような時、

1961年(昭36)に日本歯科大学の榎恵教授はベッグ法に関心を持ち

オーストラリアに行き、教えを請うのである。

一方東京医科歯科大学の助教授であった三浦不二夫

アメリカのライトワイヤーテクニックであるジャラバックのセミナーに参加している。

これは同じ1961年ということであり、

このあたりからマルチブラケットの時代の幕開けとなっていった。

1962年(昭37)に東京医科歯科大学の高橋教授の後任として

三浦教授が誕生することになる。

1965年(昭40)にベッグがベッグ法を完成させ、

ベッグ法のセオリーとテクニックを発表する。

東京歯科大学の斉藤久教授が「歯科矯正治療の臨床」を出版されるが、

セファロのことには触れないで直接顔の分析を試みているのである。

1966年(昭41)にツィードがツィード法の完成ともいえる

「矯正治療学」を出版するとともに、

右腕としてメリーフィールドが「審美のための横顔ライン」を発表している。

1969年(昭44)にアメリカのアポロが月面に着陸した。

1958年(昭33)にNASAが設立されてから11年での、

月面着陸であるから、その科学的な発達と進歩に驚かなくてはならない。

1970年(昭45)にツィードが他界し、メリーフィールドに引き継がれてゆく。

日本では榎恵による「ベッグ法」が出版され、

シムスを講師にしてベッグ法のセミナーが始めて日本で行われる。

これによって、日本歯科大学は日本でのベッグ法の中心的な大学となっていったのである。

1971年(昭46)には

三浦がグレーバーの「現代矯正学」を出版し、

「最新歯科矯正アトラス」も医歯大を中心にして出版された。

1972年(昭47)には三浦によって、

「歯科矯正学」と「ライトワイヤーテクニック」が出版された。

このように、1970年から次々と

ベッグ法やジャラバック法やエッジワイズの本が出版された。

これらは全てフルバンドであり、

今までの床装置を中心にしたものとは完全に異なるテクニックであり、

その治療効果のよさに驚いたものである。

1972年にはリケッツが来日し、

日本矯正歯科学会で特別講演を行っている。

1974年(昭49)に

榎恵監修、本橋康助、岩沢忠正編集の「歯科矯正学」が出版された。

1976年(昭51)に

アンドリウスによるストレートワイヤー法の発表があった。

この年に舌側矯正のブラケットの特許申請があり、

アメリカではオームコ、日本ではフジタの方法として現在に至っている。

1977年(昭52)にニッケルチタンワイヤーであるナイチノールが発売された。

このニッケルチタンワイヤーは加工硬化があったため、

現在の超弾性のニッケルチタンワイヤーと同じものではないが、

ステンレスワイヤーなどよりは、はるかに弾力のあるものであった。

1978年(昭53)にクジノのコースが行われた。

アレキサンダーによるアレキサンダー法の発表があった。

1979年(昭54)に

リケッツによるバイオプログレッシブセラピーの発表がなされた。

リケッツの開発したバイオプログッレシブセラピーは

ロッキーマウンテン社を中心にして、セミナーも数多く行われ、

矯正医の中にも多くの使用者がいて、現在に至っているのである。

1980年(昭55)にロスによるロス装置の発表がある。

ロスはオーソドンティックスナソロジーともいえるべき、

咬合論を持ち込んできたのである。

1981年(昭56)にモジュール矯正がロッキーマウンテンより発表発売される。

1982年(昭57)に東京歯科大においてアンドリウスの日本講演がある。

1985年(昭60)には各種チタン系のワイヤーが発表になる。

ロスが日本でセミナーを開催する。

このようにして日本の矯正界は独自の道を歩んだのであるが、

現在30以上のテクニックや派会がある中で、

大学出身者は一つのテクニックの中で育成されてきたといってよいであろう。

東京医科歯科大学はライトワイヤー法のジャラバック法、

日本歯科大学はベッグ法、

日本大学はスタンダードエッジワイズ法、

東京歯科大学はエッジワイズ法からストレートワイヤー法というように変化し、

そのテクニックが

その大学の中心となるのは教授の考え方によることが大きいといえるのである。

いずれにせよ、日本では国家試験が全国統一で行われるということもあって、

なかなか新しい考え方や方法に統一できないという面もある。

全てのテクニックや知識を得るには、

自分で勉強しなければならないということも、

これらのことでよくお分かりいただけると思う。

 

(DBAより)