抜歯と非抜歯の歴史DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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抜歯と非抜歯の歴史DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より


抜歯と非抜歯の歴史

DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より
(一般臨床歯科医GP向けの文章ですのでご留意、ご注意ください。)

1911年の

アングルとケースの抜歯、非抜歯論争という形で、今でも語り草になっている。

それほど抜歯問題に関しては、矯正における大きなテーマなのである。

現在語り継がれている話では、

アングルを悪者にしてしまっている感が私にはする。

本当はどうなのかということを今一度考察してみる必要があろう。

そのためには抜歯の歴史を知らないといけないし、

1911年の抜歯、非抜歯論争においても、

実践ではどうだったのかということも考えてみる必要がある。

論争というのは机上の学問であって、

臨床上に行われていたのかどうかということの考察も必要になる。

さて、歯科における抜歯は歴史的にみて、歯抜き人が歯科臨床のルーツである。

ただし、麻酔らしきものの無い時代から歯を抜いていたわけだから、

それこそ大変な痛みを伴うことになる。したがって、抜歯といっても、

麻酔のなかったころの抜歯は現在の麻酔のある抜歯とは全く違うのである。

現在でいえばぺリオの3以上のグラグラの歯の抜歯と考えてよい。

それをエイ、ヤーと大衆の前で抜いてみせる野師(やし)※であったのである。

少しお金のある人は

アルコールを大量に飲んで抜歯するということになる。

こういう時代が長く続いている。麻酔の歴史をまず見ないことには、

抜歯、非抜歯といっても始まらないのだ。

1911年のころはどうだったのかということである。

 

香具師(やし、こうぐし、かうぐしとは、祭礼や縁日における参道や境内や門前町、もしくは市が立つ所などで、露店で出店や、街頭で見世物などの芸を披露する商売人をいう。また野師、野士、弥四、矢師とも表記する.WiKi

DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より
(一般臨床歯科医GP向けの文章ですのでご留意、ご注意ください。)

この本のはじめに:この本は警告書である。総合矯正医より、単一矯正医への警告書である。総合矯正医だなんて、他のことができないのを逆手にとって、エリート然としているモノ矯正医に対してである。歯科そのものが専門職である。それが故に医科と分かれ、歯科医がいるわけである。医学の中が医科と歯科に分かれているということが、誰が見ても歯科が口腔内に特化した専門職ということでということである。専門職の中を細分化し、歯科から分離し、矯正専門医というのは甚だ不自然である。それというのも、矯正専門というの人は抜歯もできなければ、カリエスの処置も、ぺリオの処置もできない。ましてや補綴など全くできない。そういういびつな知識の者に咬合理論もないだろうし、咬合のことなど言う資格があるのだろうか。ないからこそ、平気で健全な小臼歯を4本も抜歯することを依頼できるのである。依頼を受けた歯科医は、「どうして、この程度で4本も抜歯するのだろうか」と、罪悪感にかられるという。しかし、依頼を受けたことと、抜歯をすればお金になるからと、共同正犯の如きことを行っている。正に、全て患者の方に立った発想ではない。お金儲けの発想と、今までの行為の惰性上の話でしかない。しかし、アメリカを見よ。この健全歯の4本抜歯によって何が起こったのかを。裁判の山である。歯科医側が負けることが続出している。特にGP諸君!抜歯が必要ないと思ったら抜歯に手を出してはいけない。そうしないと、君も共同正犯に加えられる恐れがある。少なくとも紹介状を持たせ、それに対し異議のないことの確認を証拠として残しておくことだ。抜歯した4本の歯は元に戻すことはできない。不可逆の行為なのであるから、それによって老人性の顔になったとか、咀嚼できなくなったとか、いろいろの体調の変化を言われたとき、どうしようにも手がないのである。そこで行われたことは人工的な手法で歯を動かしているのだし、動かすために歯を抜いたのである。ただ単に抜歯したということではない。人工的に意図的に大量の臼歯を抜歯し、前歯6本全てを隙間がなくなるまで動かしているという事実である。この事実を元に戻すことはできない。かつて、富士見病院事件というのがあった。必要もないのに、婦人から子宮を除去しまくったという事件であるこれをほぼ同じことが考えられるのはアメリカの医療訴訟から学ぶことができるわけである。GPの諸君、どうか必要ない抜歯に手を貸すことはやめてほしい。歯ならびの悪いことは病気である。したがって、正しい歯ならびにすることは大切な医療行為である。医療行為であるが故に尊いのである。しかし、患者側に不利益になる行為はできる限り避けなくてはならない。医聖、ヒポクラテスの言葉を今こそ学び、医の原点に戻るべきであろう。GPのために:この本はGPのために書いている。GPとは開業歯科医であり、独立し、開業している人であるから、歯科医のプロの中のプロといってよいであろう。大学にいる学生とか、卒業後に大学に残って間もない歯科医の卵とかとは違う。したがって、ここに書かれていることが本当かどうかはすぐに分かることだ。一般大衆を相手に、金儲けのことだけを考えている本とは違う。したがって、プロの人にプロとして、本当のことを伝え、そして歯科界の向上になればという思いなのである。都合の悪い人は、反論したり無視するだろう。それでもよいと思う。正しいことを正しく伝えることが正義であると私は考えている。長いものには巻かれろという考えはいけない。また自然科学の中には、そんなものはあり得ない。無知か、性根が悪いのかどちらかになろう。どちらもよくない。歯科の発展のため、国民の利益のため、日本の将来のためにも、正しいことを正しく伝えてゆかなくてはなるまい。ましてや、歯科界のためにもである。そういうことで、読者層をGPに置いている。一般大衆を相手にした暴露本とは違うことをまずお断りしておきたい。したがって、問題点は鋭く切り込んでいくけれども、これが必ず役に立つことと考えている。また、同じようなことが二度三度出てくるが、それは問題が大きいところであり、しっかりと認識していただきたいことだからである。