追記:麻酔のなかった頃の抜歯:アレキサンドルについて | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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追記:麻酔のなかった頃の抜歯:アレキサンドルについて


追記:麻酔のなかった頃の抜歯:アレキサンドルについてDBAより)DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より

明治の初めごろには、イーストレーキやレスノー、ウィン、エリオット、パーキンスなど、今でも歯学史に名前を残している有名な外国人の歯科医がいる。その中に、アレキサンドルがいる。フランス人で、1873年(明治5年)に日本に来た。1831年生まれで42歳の時公使館医として来日したが、すぐ横浜で開業した。翌年に横浜から築地に移り開業した。その門下生として、神翁金松、免養九一、竹沢国一郎などがいる。そのようなアレキサンドルについて失敗話が伝えられている。山田平太、日本歯科社会史の中にあるので引用してみたい。なお、この頃には局所麻酔はなく、抜歯するというのもとても大変で、その痛いこと痛いことということが、この文中からもよく分かるのである。したがって、現在のように容易に抜歯できるとか、よく効く局所麻酔がある時代とは全く違うのである。永久歯を抜いての矯正というのは1910年までは、そうあり得る話ではないことが分かるであろう。(アレキサンドルの失敗話)アレキサンドルが横浜から築地、入舟町に移り開業していた頃の話である。ある日、猿楽町7番地に住む元村重之という人が、ひどく歯を痛めた。いわゆる今でいう拍動性疼痛で、夜もろくろく眠れなかった。そこで、薬を飲んだりしたが、効果がなく、思案のあげく、かねてから評判の高かった入舟町のアレキサンドルの治療院に行った。さっそく、アレキサンドルにみてもらったところ大変な虫歯だったので抜歯することになった。患者は、やせ我慢してなすがままに任せると、アレキサンドルは、釘抜きのようなものを取り出し、それで力いっぱい元村重之の歯を引き抜いたからたまらない。いや、その痛いことといったらさすがに男ではあったが、地獄の炎の中で油をかぶせられたような苦しみであった。それでも、さすが名医だけあって、無事に歯を抜いた。思い切って抜いてしまったのだから、もう悩まされることはないであろうと、元村重之、すっかり安心して、治療代75銭を支払って帰った。ところが、もはや歯も抜いてしまったのであるから痛みは徐々にやわらぐと思っていたが、いつまでたってもなかなか止まらなかった。そればかりか、ますます痛くなっていくようであった。どうしたのだろうと、元村重之、鏡に向ってのぞいてみると、なんと肝心な痛む歯はそのままにしてあり、かわりに隣りの歯がすっかりなくなってた。元村重之、これは損したと思い、再びアレキサンドルのところへいって文句をいうと、アレキサンドルは、痛む歯をはっきりと示してくれなかったからだと説明した。(山田平太:日本歯科社会史、第一冊、47、1993)ところで、アレキサンドルが歯科医であったのかどうかは疑問である。フランス人のフォーシャールも医師であるが、口腔の治療をしたということから分かるようにフランスは医師が歯科のこともしていたようである。それというのも、歯科学校はアメリカが最初で1840年のこと、イギリスは859年に、その次にフランスのパリ歯科学校が1879年であるからだ。それより早く日本に来ていたことになるからである。

DBAより)DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より