「自己への信頼」 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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「自己への信頼」


久しぶりに(半年ぶりの)新規の記事です。

「悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める」という本が発売されました。難解なことを、非常に分かりやすく記述してあり、初心者でも読みこなせるように感じます。お薦めです。

この本の解説等を、引用します。

「・・・私たちは、どんな宗教教団や、組織にもはいる必要は無く、強く生きることが出来る。自分を大事にして、自分だけを頼りにして生きるべきだ。「自己への信頼」 ’self reliance’ セルフ・リランアンス) これが、スピリチュアリズムの 第1原理である。このことを、ラルフ・ワルドー・エマーソンが、1840年に高らかに宣言した。エマーソンこそは、スピリチュアリズムの創業者だ。そして、この考えは、カントのトランツェンデンタリスムス(ドイツ語 Trantzendentalismus  超越=ちょうえつ=主義 ) と同じことだ。故に、スピリチュアリズム = トランツェンデンタリスムス (イマヌエル・カントの超越主義)である。・・・」[3148]古村君の新刊本が、明日、発売です。投稿者:副島隆彦 投稿日:2021-05-27 20:50:48  副島隆彦です。今日は、2021年5月27日(木)です。私は、自分の金融本を書き上げることで、精一杯で、他のことに手が回りません。私たちの研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)君の、最新刊の『悪魔のサイバー戦争を始めるバイデン政権』が、明日、5月28日に発売されます。」「悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める」 http://www.snsi.jp/tops/kouhou
今日のぼやきの広報ページを見に行って下さい。古村君本人が、今度の本の、まえがき、目次、あとがきを載せています。それらを読んで、この本を買って下さい。読めば、今の最新のアメリカの政治状況がどうなっているのか、が はっきりと分ります。古村君は、自分でアメリカの政治論文や、高級政治言論誌を読んで、書いている。だから、出典と典拠がしっかりしています。 政治学や、アメリカ研究をやっている人たち以外でも、どんどん読み進められるように、平易に書かれています。私、副島隆彦は、今は金融本の他に、「物質と 霊魂(れいこん)の2元論」に、ずっと嵌まっていまして、この研究をずっとやっている。この世界、この世、人間世界は、「物質(マター、matter )と、魂、霊魂( soul ソウル、spirit スピリット)の 2つから成っている」という、アリストテレスから、ずっとデカルト、カント・・・にまで、つながる、2元論(にげんろん。デュアリズム dualism) で出来ている。物質(物体)は、誰でも分る。この世界は、物体、物質で出来ている。だが、もう一つの、霊魂、霊 と = mind(マインド 思考、知能 精神)も有る。このように考えると、今の私たちの世界でも、立派に違和感なく通用する。だから、「この世は、① 物質(肉体もここ)と ②霊、霊魂=思考、知能、精神(ドイツ語で、Geist ガイスト)の2つから成る」と考えると、大きく妥当する。だから、物質主義(マテリアリズム、materialism 唯物論)だけで、押していっても、どうしても、物質で無いもの、にぶち当たる。それが、私たちの、思考(mind 考えること)あるいは、知能(インテレクト intellect )だ。 これは、古くから、霊、霊魂として知られてきた。だから、「物質と霊魂」の2つを実在(現実に存在するもの。実体、サブスタンス)とはっきりと認めることで、神(あるいは天 heaven 。中国なら、天帝=てんてい= )を、脇に追いやることが出来た。神はもう要らない。神を消滅させることが出来た。フランス語なら、dieu デュー、ドイツ語で got ゴット、英語で god ギリシア語では、Zeus ゼウス そのあと、ローマ語で Deus  デウス である。このことをデカルトが、「我れ、思う(故に)我あり 」 ‘ Cogito , ergo , sum ‘ と「方法序説」と、「哲学原理」ではっきりと書いてしまった。 英語なら、’I think , therefore I am . ‘ 「アイ・スインク・ゼアーフォー・アイ・アム 」「私は、考える。だから、私は、存在する」 と言いきった。この時、考える(思考する)自分を、存在の中心に置いた。そして神を追放した。だから、デカルトは、スウエーデン国のクリスティーナ女王に招かれて呼ばれて行った先のストックホルムで、ローマ教会(イエズス会)の司祭に、ヒ素で暗殺された(46歳で死)。「物質と霊魂(思考)の2つが、有る」と言いきることで、神(宗教)の類(たぐい)を、人類は、全て脇にどかすことが出来た。一切の宗教は、もう要らない。それでも、欧米の現在の最先端の 人間の脳(頭、思考、mind マインド)についての研究である神経生理学(しんけいせいりがく。ニューロ・フィジオロジー neurophysiology )では、神経細胞の先端の感覚細胞であるニューロンが、知識、情報を伝える シナプスを、化学シナプス と 電気シナプスに分けて、あくまで、電気信号と化学物質(脳内物質)として、今も物質主義(マテリアリズム)一点張りで研究している。日本の旧来の、脳科学(のうかかく)とか大脳生理学(だいのうせいりがく)と言うのは、欧米学界には存在しない。茂木健一郎(もぎけんいちろう)のような、食わせ者の、詐欺師の学者が、もう、生き残れる余地はない。クオリアなんか無かった。茂木は、このとこで、大いに恥じ入って、もう弁解も出来なくなっている。そのくせ、演説の駄法螺(だぼら)だけは、あちこちで吹いて回っている。茂木は、江原啓之(えはらたかゆき)のような、同じ、詐欺師の霊能者と合体することでしか生き残れない。「神憑(かみが)かり」の、そっちの方向にゆくならば、生き残れるだろう。私たちは、霊、霊魂が、人間の思考、知能、精神と、同じことだと分かるべきだ。そうすれば、私たちは、このあと、「自分が、一体、どうやって、よりよく生きることが出来るか」を、自分で本気で考えることが出来る。それで、スピリュアリズム(精神世界重視主義 、spiritualism )を肯定し、できて、霊、霊魂の存在を、認めながら、自分の人生を大きく肯定し、近(きん)未来予測である、占(うらな)い、と呪(まじな)いを大きく肯定できる。これは、人類にこれからも必要だ。いいですか。mind マインドは、✕ 心 ではない◯ 思考だ。✕ 心の病気 なんか無い。総称して、mental illness メンタル・イルネス は、◯ 頭の病気、脳の病気、精神病だ。 ✕ 心療内科というコトバは、廃止するべきだ。✕心の病気なんか無い。馬鹿なんじゃないか。この国の、脳(ブレイン、マインド)の研究をやっている者たちは。世界の学界と、本当に繋(つな)がっているのか。△脳科学というコトバも、もう欧米では通用しない。認知科学(コグニティヴ・サイエンス)を自称しながら、✕心(こころ)というコトバを、mind の日本語への訳語だ、と、専門用語として今も、恥ずかしげも無く、愚かにも、当たり前のように、使っている。その証拠は、今もそこらじゅう、科学雑誌の特集記事で、一面にある。心、心と、本当に、低脳たちなのだ。それが、まさしく 脳の研究の専門家の集団だというのだから恐れいる。だから日本国は、土人(原住民とも言う)の国のままなのだ。この者たちは、恥を知れ、を、通り越して、今では崖から落ちた。私、副島隆彦は、25年前(1996年)に、このことをはっきりと指摘した。近(きん)未来の予測、予言である占いは、宗教ではない。宗教団体は、すべて、もう不要、不用である。宗教(religion レリジオン)が悪いのではなくて、そこに、職業的なお坊さま(僧侶、モンク、クラージーマン)階級が出現して、人類に寄生するからいけないのだ。職業的な僧侶、坊主を、食べさせるために、人類は、どれぐらいのたくさんの、貢ぎ物、供応、法要、寄付 をしなければいけなかったことか。何千人、何万人もの僧侶階級を食べさせることで、宗教教団は、どこも底なし沼のように腐敗、堕落した。だから、プロテスタントの一種である ユニテリアンは、僧侶、司祭(ビショップ)を否定して、今も、世話役のレイマン(layman 俗人、平信徒)しか認めない。このことが、偉大なことだったのだ。日本の創価学会にも、職業的な僧侶はいない。認めない。1970年に、日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の総本山の、大石寺(たいせきじ。私は、一度だけ行ったことがある)と、大喧嘩して、分裂したのが、本当に良かった。その後、独自の道を歩いたから、創価学会は、その分、腐敗と堕落と、官僚主義(ビューロクラシー)に 陥らなくて済んだ。今や、あらゆる種類の職業的な僧侶の存在は、悪(あく)である。もし自分の信仰、信念に精進、研鑽するのならば、ひとりの人間としてやればいい。よくて同行衆(どうぎょうしゅう)までで百人ぐらいが限度だ思考=霊魂は、いくら大量に集めても、たとえ1兆テラバイトの情報量に集積しても、質量(しつりょう。mass 重さ weight )を全く持たないようだ。つまり思考=霊魂は物質ではない。このことは、コンピュータ・サイエンスで明らかになった。だから、デカルトが唱えた、「物質と霊魂(=思考)の2元論」が、いよいよ証明された。私、副島隆彦は、たかが「通信屋」のくせに、通信機械しか、作れなかったくせに、アメリカの、GAFA+MS(big tech ビッグテック )の5社が、これほどに威張って、人類を支配するほどになっていることが不愉快だ。これは今や悪である。これらMS(マイクロソフト、ビル・ゲイツ)を筆頭とする、通信屋は、やがて人類の公共道路である公共財産(パブリック・プロパティ public property)にされて、世界的に強制的に、公有化されてゆくだろう、と強く予言する。 いつまでも、人類全体の通信機能が、私企業の個人財産、というわけにはゆかない。それはそんなに遠い先のことではない。人工知能(AI エイアイ。 アーティフィシャル・インテリジェンス)は、出来ない。完成することはない。今もない。無いものは無い。あるのは、AIもどきたちだけだ。それらは、確率微分方程式(かくりつびぶんほうていしき)という数学、それもインチキ数学で出きている、方向性(トレンド)を示すためのコンピュータだ。あとは、人海戦術(じんかいせんじゅつ)で、何万人もの、コンピュータ・プログラミングのSEたちを集めて、コツコツと、自動翻訳機(ATM)を作っている。マービン・ミンスキーという、’AIの父‘ と呼ばれた、MIT教授だった(2016年、5年前に死んだ)学者が、「人間のように考えることの出来る AIが出来るのには、あと500年掛かる」と、正直に28年ぐらい前に言ったのが、正しい。 私、副島隆彦は、このことを、今から、25年前に、「英文法の謎を解く」(全3巻、ちくま新書、1996年から刊)の中に書いた。それらを、近く、復刊、復活させる。私は、ずっと、我慢に我慢で、生きて来た。だから、霊、霊魂を認める スピリチュアリズムは、宗教ではない。断じて宗教(レリジョン)ではない。私たちは、大きな勘違いをしてはならない。スピが入っている人たちは、宗教団体に入らないから良いのだ。宗教団体に入ったら、いろいろと騙されるだけだ。その団体の教義(ドグマ)に従わなければいけない。お金もたくさん献(ささ)げなければいけない。私たちは、あらゆる、人騙(ひとだま)しに引っ掛かってはいけない。私たちは、徹底的に、注意深く、用心して、気をつけて、何度でも考え直して、あらゆる誘惑とダマシに陥(おとしい)れられることがないようにしないればいけない。私たちは、どんな宗教教団や、組織にもはいる必要は無く、強く生きることが出来る。自分を大事にして、自分だけを頼りにして生きるべきだ。「自己への信頼」 ’self reliance’ セルフ・リランアンス) これが、スピリチュアリズムの 第1原理である。このことを、ラルフ・ワルドー・エマーソンが、1840年に高らかに宣言した。エマーソンこそは、スピリチュアリズムの創業者だ。そして、この考えは、カントのトランツェンデンタリスムス(ドイツ語 Trantzendentalismus  超越=ちょうえつ=主義 ) と同じことだ。故に、スピリチュアリズム = トランツェンデンタリスムス (イマヌエル・カントの超越主義)である。「合理(ラチオ、ratio) と 理性(リーズン、reason )」ばかりで、啓蒙思想(エンライトンメタリズム)からあとの近代思想はやってきた。その欧米近代に、打ち負かされた、日本の学校教育も、この「合理と理性」だけを、大看板にしてやっている。それ以外のものを廃絶した。
だが、合理と理性、だけでは、どうしても解決しないことが、人間世界にはたくさん有る。だから、カントは、それを「エイ、ヤー」と越えて行く、トランセンデンタール transcendental、超越すること、が必要だ、と真剣に考え抜いて、提出した。だから、フランス大革命(1789年から)の、燃えさかる 合理と理性の炎の、人類の熱狂と狂乱の最中(さなか)にあって、カントの思想は、それとは反対のことまで書いていたので、ヨーロッパ中で、賢慮の知識人たちに認められた。日本の 大正、昭和、そして戦後も(新)カント学者たちには、遂に、この逆転の、大きな意味が、分らないまま、今に至る。難解な論文ばっかり日本語で書いて、まわりを煙に巻いただけだった。本人たちは、カント先生は、「合理と理性」の研究をずっとやっている人だ、と思って、自分たちは、コツコツとドイツ語で読んできた。なんとかカントの本の翻訳だけは、緻密に仕上げた。ところが、ここに、超越的(トランツエンデンタール、とトランツエンデントのふたつがある、と騒ぎ続けた)が、出てくるものだから、困り果てて、謎が解けないままで、現在(2021年)に至る。あーあ、大変なご苦労様であった。威張り腐って、「私は日本の大秀才のはずなのだ」と密かに、自惚れて、ドイツ哲学なんか志すから、こんなことになってしまった。可哀想といえば、可哀想な人たちだ。カントの、霊魂、霊(ゼーレ)を認める、合理主義、純粋理性だけでは済まないことの表明を、アメリカ人のエマーソンが、60年後に、自力で、ドイツ語で読み破った時に、スピルチュアリズムが出現した。このことを、副島隆彦は、この40年掛けて、ようやく分った。今日は、これだけしか書きませんが、私、副島隆彦は、いよいよ、自分の人生の完成、終わりに向かって、この地上で、一番大きな図式で、人類(人間世界)を捉(とら)えつづあります。今日のぼやきの古村君の本の紹介の文章を読みに行って下さい。
※「今日のぼやき」へはこちらからどうぞ。http://www.snsi.jp/tops/kouhou  副島隆彦拝  」