妻をめとらば才たけて~「人を戀ふる歌」~與謝野鐵幹 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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妻をめとらば才たけて~「人を戀ふる歌」~與謝野鐵幹


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資料431 与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『国文学』による)

     人を戀ふる歌                 
                  與謝野 鐵 幹                                               妻(つま)をめとらば才(さい)たけて
  顔うるはしくなさけある
  友をえらばば書をよんで
  六分の俠氣四分の熱  戀のいのちをたづぬれば
  名を惜むかなをとこゆゑ
  友のなさけをたづぬれば
  義のあるところ火をも蹈む  くめやうま酒うたひめに
  をとめの知らぬ意氣地あり
  簿記の筆とるわかものに
  まことのをのこ君を見る

  あゝわれコレッヂの奇才なく
  バイロン、ハイネの熱なきも
  石をいだきて野にうたふ
  芭蕉のさびをよろこばず

人やわらはん業平(なりひら)が
小野の山ざと雪を分け
夢かと泣きて齒がみせし
むかしを慕ふむらごころ

見よ西北(にしきた)にバルガンの
それにも似たる國のさま
あやふからずや雲裂けて
天火(てんくわ)ひとたび降らん時

妻子(つまこ)をわすれ家をすて
義のため耻をしのぶとや
遠くのかれて腕(うで)を摩す
ガリバルヂィや今いかん

玉をかざれる大官(たいくわん)は
みな北道(ほくだう)の訛音(なまり)あり
慷慨よく飲む三南(なむ)の
健兒(けんじ)は散じてかげもなし

四たび玄海の浪をこえ
韓(から)の都にきてみれば
秋の日かなし王城や
むかしにかはる雲の色

あゝわれいかにふところの
つるぎは鳴(なり)をしのぶとも
むせぶ涙を手にうけて
かなしき歌の無からんや

わが歌ごゑのたかければ
酒にくるふと人はいへ
われに過ぎたる希望(のぞみ)をば
君ならでまた誰か知る

「あやまらずやは眞心を
君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃ゆる血の
價すくなきすゑの世や

 おのづからなる天地(あめつち)を
  戀ふるなさけは洩すとも
  人を罵り世を怒る
  はげしき歌を秘めよかし

  口をひらけば嫉みあり
  筆をにぎれば譏りあり
  友を諌めに泣かせても
  猶ゆくべきや絞首臺

おなじ憂の世にすめば
千里(り)の空もひとつ家
おのが袂といふなかれ
やがて二人(ふたり)のなみだぞや」

はるばる寄せしますらをの
うれしきふみを袖にして
けふ北漢(ほくかん)の山のうへ
駒たてゝ見る月の出づる方(かた)

 

   (注) 1. 上記の「人を恋ふる歌」の本文は、雑誌『國文學』第12号(国文学雑誌社、明治
32年12月25日発行)によるものです。
2.  詩中のふりがなは、ここでは括弧に入れて示しました。
3. この「人を恋ふる歌」は、明治32年12月5日発行の雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号
に「友を恋ふる歌」として掲載されたものですが、一部の語句に異同があり、節の数
にも違いがあります。
『伽羅文庫』の「友を恋ふる歌」は、明治32年12月25日発行の雑誌『国文学』12
号に「人を恋ふる歌」として掲載され、また明治33年2月20日発行の雑誌『よしあし
草』にも掲載され、後に明治34年3月15日発行の詩歌集『鉄幹子』に収められまし
た。
4. 雑誌『伽羅文庫』、雑誌『よしあし草』、詩歌集『紫紅集』、詩歌集『鉄幹子』に収録
された「人を恋ふる歌」の本文が、次の資料にあります。
→ 資料430:与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(雑誌『伽羅文庫』による)
→ 資料429:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)
→ 資料432:与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(詩歌集『紫紅集』による)
→ 資料428:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(詩歌集『鉄幹子』による)
5. 語句の読みを補っておきます。( )内は、歴史的仮名づかいです。
顔うるはしく……「顔」は、ルビがないので、鉄幹自身は「かお(かほ)」と読ませたものかと思われ
ますが、普通には「みめ」と読まれています。原本にルビが欲しかったところです。
松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年
1月号)で、「これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考えるべきであろう」
と言っておられます。(注6を参照のこと)
六分の俠氣四分の熱……「六分」は、「りくぶ」。ただし、四分に対する六分なので、「ろくぶ」と読む
のがいい、とする意見もあります。「四分」は「しぶ」。「俠氣」は、「きょうき(けふき)」
意氣地……「いきじ(いきぢ)」。     業平……「なりひら」。在原業平のこと。
見よ西北に……『鉄幹子』には、「西北」に「にしきた」とルビ。
天火……「てんか(てんくわ)」。    妻子……『鉄幹子』には「つまこ」とルビ。
誰か知る……文語なので、「誰」は「たれ」と清音に読む。
價……「あたい(あたひ)」。    世を怒る……「怒る」は、「いかる」。
嫉み……「ねたみ」。    譏り……「そしり」。    諌め……「いさめ」。
猶……「なお(なほ)」。     憂の世……「憂」は、「うれい(うれひ)」。
袂……「たもと」。    北漢……「ほくかん」。
月の出づる方……『鉄幹子』には「日の出づる方」となっている。「日の出づる方」で日本を意味する
ので、「月」は誤植とみるべきでしょう。「方」は、「かた」。
6. 「顔うるはしくなさけある」の「顔」の読みについて
松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年1月号)
の中で、「この詩の「顔うるはしく」は俗間にはみめうるわしくと歌われているが、初出本文にも『鉄幹子』
所収本文にも顔の文字にはルビはついていない。(総ルビになっている『紫紅集』の「友を恋ふる歌」には
かほとルビがついている) そこで、これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考える
べきであろう」と書いておられます。(太字の「みめ」「かほ」は、原文には傍点がついているものです。)
鉄幹の詩として読む場合は、やはり「かお」と読むのが正しいのではないか、と思われます。
7. 「石をいだきて野にうたふ芭蕉のさびをよろこばず」の意味については、注の10をご覧下
さい。
8. 講談社文庫『日本の唱歌 〔上〕明治篇』(金田一春彦・安西愛子編、昭和52年10月15日
第1刷発行)の「人を恋うるの歌」の解説に、次のようにあります。
与謝野鉄幹の詩歌集「鉄幹子」(明治34年刊)に収められている歌詞に、明治41年に曲が
付けられたものという。作曲者が不明なのは残念である。よく歌われる三高の寮歌に、大正2
年に矢野禾積(かずみ)が作詞した「行春(ぎょうしゅん)哀歌」というのがあって、
1 静かに来たれ懐かしき
友よ憂いの手を取らん
曇りて光る汝(な)がまみに
消えゆく若き日は歎く
という歌詞のものであるが、この曲を借りて歌っている。矢野氏によると、この寮歌にはもともと
小川という生徒の付けた曲があったが、それが不評でさっぱり歌われない。中学時代の友人片
岡鉄兵が京都へ来た時にそのことを話したら、おれがいい節を教えてやる、おれたちがいつも
藤村の酔歌を歌う時の節だと言ってこの曲を教えてくれた、矢野氏がそれを歌って聞かせると一
同それがいいということになって「行春哀歌」の曲に固定したというのである。この曲はいろいろな
詩の節として使われたようであるが、たしかにそれにふさわしい節である。(同書、238頁)引用者注:藤村の「酔歌」とは、『若菜集』所収の詩「酔歌」を指すものと思われま
す。次にその「酔歌」を引いておきます。

    醉 歌
島崎藤村旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
醉ふて袂(たもと)の歌草(うたぐさ)を
醒めての君に見せばやな若き命も過ぎぬ間(ま)に
樂しき春は老いやすし
誰(た)が身にもてる寶(たから)ぞや
君くれなゐのかほばせは君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅(かた)く結べるその口に
それ聲もなきなげきあり名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
來りて美(うま)き酒に泣け光もあらぬ春の日の
獨りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智惠に
老いにけらしな旅人よ心の春の燭火(ともしび)に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀(かな)しからずや君が身はわきめもふらで急(いそ)ぎ行く
君の行衞はいづこぞや
琴花酒(ことはなさけ)のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ
              ○ 上記の本文は、『若菜集』(春陽堂、明治30年8月29日発行)に
よりました。
○  第1連の「醉ふて」は、岩波文庫の『藤村詩抄』では、「醉うて」と
正されています。

9. 若井勲夫氏の論文「旧制高校寮歌の言葉と表現」(『京都産業大学論集〔人文科学
系列〕』第37号(2007年)所収)に、次のようにあります。
この「人を恋する歌」は、「当時著しく一部の諷誦するところとな」り、「さかんに文学青年が感傷
の表情の間に微吟せられた」(日夏耿之介・前掲書─引用者注『改訂増補明治大正詩史』〔昭和
23年〕のこと)。書生風の熱情は青春の憂愁や悲哀に同調し、高校生にも寮歌に準ずる歌として
愛好されたことであろう。現在は全16節が3節に縮小されて一般に広がっている。志田延義氏は
この歌を寮歌史の上で初めて正当に位置付け、晩翠の「星落秋風五丈原」とともに「それ自身長く
学生間に愛誦せられ、また寮歌の類に一つの時期を画せしめるほどの詩歌として注意すべきであ
る」と評価する(『続日本歌謡集成』五)。従来、鉄幹の寮歌への作用についてあまり触れられるこ
とがなかったが、鉄幹の詩は壮士風の「ますらをぶり」で晩翠詩と共通する。しかし、晩翠は硬質
で上品に整い過ぎて、鉄幹の闊達で自由な、また悲歌的な情熱には及ばないのではないかと思
われる。(同論集、179頁)
10. 『東洋女子短期大学紀要』4巻(1971年9月30日発行)に、丸野弥高氏の「与謝野鉄
幹作「人を恋ふる歌」について」という論文があります。この論文にこの詩についての
詳しい考察がなされていますが、ここに、「人を恋ふる歌」の発表誌が次のように紹介
されています。
雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号(明治32年12月5日発行) ……本文引用あり
雑誌『國文學』第12号(明治32年12月25日発行) ……本文引用あり
雑誌『よしあし草』23号(明治33年2月20日発行) ……本文引用あり
単行本『紫紅集』(明治33年10月12日発行)
単行本『鐵幹子』初版(明治34年3月15日発行) ……本文引用あり
『伽羅文庫』の本文も、同論文に出ていますが、題名が「友を戀ふる歌」となってお
り、長さも16節でなく、13節になっています(第12節「あやまらずやは真心を…」、第13節
「おのづからなる天地を…」、第14節「口をひらけば嫉みあり…」がない)。『國文學』は、『伽羅
文庫』の僅か20日後の発行ですが、題名は「人を戀ふる歌」となっています。また、
「六分の俠氣四分の熱」が「八分の俠氣二分の熱」となっており、最後の行は「駒立て
ゝ觀る、日の出づる方。」となっています。
この詩の初出について筆者の丸野弥高氏は、「制作年代を31年3月以降と見るに
しても、その初出原型を「伽羅文庫」本と決定するにはまだ不安が残る」としておられ
ます。詳しくは同論文を参照してください。
なお、「石をいだきて野にうたふ芭蕉のさびをよろこばず」について、丸野氏は、「冷
たい血の気のないものを相手に人の世と離れて野に歌う芭蕉の枯れた世界を退けて、
憂国慨世という、なまなましい熱血の世界を追求しようというのである」としておられま
す。
また、「口をひらけば嫉みあり/筆をにぎれば譏りあり/友を諌めに泣かせても/猶
ゆくべきや絞首臺」については、「今の世では、何か物を言っても書いても非難される。
君の表現は激越だ。私がこんなに泣いてもなおやめずに国事犯に問われ絞首台にの
ぼる気かというのである」としておられます。
11. 近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・昭和38年9月10日発行)から、
「あやまらずやは眞ごころを 君が詩いたくあらはなる」「友を諌めに泣かせても 猶ゆ
くべきや絞首台」の注をひいておきます。(同書、103頁)
「あやまらずやは眞ごころを 君が詩いたくあらはなる」
君の詩ははなはだ飾り気がないが、それは君の真情を誤解させ、ひいては君の将来をも危うく
しないだろうか。いや、そのおそれが充分にあるのだ。以下親友の作者への忠告の形。「いたく」
は、はなはだしく。ひどく。「あらはなる」は、露骨である。
「友を諌めに泣かせても 猶ゆくべきや絞首台」
たとい友人をして泣いて諌めるようなことをさせても、やはり絞首台などには行くべきではない。
友人としては、義に勇む作者を国事犯として絞首台に送られるようなはめに陥いれたくないと言う
のである。「友」はこの便りをしたためている友人自身。
12. 与謝野寛(よさの・ひろし)=詩人・歌人。初め鉄幹と号す。京都生れ。晶子の夫。
落合直文に学び、浅香社・新詩社の創立、「明星」の刊行に尽力、新派和歌
運動に貢献。自我の詩を主張。詩歌集「東西南北」「天地玄黄」、歌集「相聞
(あいぎこえ)」など。(1873-1935)         (『広辞苑』第6版による。)
13. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「与謝野鉄幹」の項があります。
14. 時雨音羽著『日本歌謡集』(現代教養文庫443、昭和38年11月30日初版第1刷発行)には、
次の3番までの形で歌詞が示され、「明治41年(1908)頃から学生間に歌われ、現在
もつづけられている歌で、作者は明星派の詩人」と記されています。

人を恋ふる歌    与謝野 寛 作詞

(1)妻をめとらば 才たけて
   みめうるはしく 情ある
   友をえらばば 書を読みて
   六分の俠気 四分の熱
(2)恋のいのちを たづぬれば
   名を惜しむかな 男の子ゆゑ
   友の情を たづぬれば
   義のあるところ 火をも踏む
(3)ああわれコレッジの 奇才なく
   バイロン ハイネの 熱なきも
   石をいだきて 野にうたふ
   芭蕉のさびを 喜ばず
          引用者注: 1.歌詞の仮名づかいを、歴史的仮名づかいに改めてあります。
                  2.語句の読みを、現代仮名遣いで記しておきます。
六分(りくぶ)  俠氣(きょうき)  四分(しぶ) 男の子(おのこ)
                   3.3番の「コレッジ」は、今は普通「ダンテ」として歌っているように思います。
4.鉄幹の詩と違うところ
「顔うるはしく」→「みめうるはしく」
「書を読んで」→「書を読みて」
「をとこゆゑ」→「男の子(をのこ)ゆゑ」

15. 近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・昭和38年9月10日発行)に、
「人を恋ふる歌」が取り上げられています。
16. 参考書を挙げておきます。
関良一『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(一)(『国文学』解釈と教材の研究、
昭和39年2月号、學燈社・昭和39年2月1日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(二)(『国文学』解釈と教材の研究、
昭和39年3月号、學燈社・昭和39年3月1日発行)
松村緑「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」(『解釈』1968年1月号、
昭和43年1月1日発行)
丸野弥高「与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」について」(『東洋女子短期大学紀要』4巻
所収、1971年9月30日発行)
17. 次に、雑誌『国文学』第12号(国文学雑誌社、明治32年12月25日発行)掲載の「人
に恋ふる歌」の画像を掲げておきます。(『国文学』第12号 2~4頁)