(再スタート④)福岡伸一(ふくおかしんいち)の動的平衡(どうてきへいこう)「第4章 質疑応答 」
「第4章 質疑応答
質問
生物の研究をするうえでの苦悩は?
福岡 研究は苦悩だらけです。研究の99パーセントは失望から成り立っています。実験をして、これはこうなっているに違いないと確信しても、絶対そうはなりません。1パーセントぐらいは思ったとおりになることがありますが、それは仮説が正しいから思ったとおりになったのではなく、実験装置のどこかがおかしいか、試薬を入れ間違えたか、何か人工的な作用によって思ったとおりの結果がたまたま表れたにすぎないのです。そういうことがたくさんあるので、研究者は思ったとおりになってもぬか喜びをせず、注意深く、なぜそれが自分の思いどおりになっているのか、出来過ぎじゃないかと考えないといけないのです。思いどおりの結果をそのまま信じてしまうと、STAP細胞みたいな幻想にとらわれてしまうのです。
STAP細胞
さまざまな細胞に分化することが可能な万能細胞を作るための人工細胞。理化学研究所の研究員だった小保方晴子が共同発見者としてSTAP細胞の論文を『Nature』誌に発表したが、後に論文の不正が発覚。STAP細胞の再現を試みるもできず、その存在は否定されるに至った。
質問
体は絶えず入れ替わるのに、なぜ老けるのか?
福岡 これは大事な質問です。絶え間ない動的平衡の中で私たちの体は合成と分解を繰り返しています。壊しては作り替え、エントロピー増大の法則に対抗しています。ですから、常にリニューアルされているはずなのに、なぜ老けていくのか。動的平衡がどんなに頑張って自分自身をリニューアルしても、完全にリニューアルすることはできないのです。
部屋の掃除をしても、家具の隙間などにごみやほこりが残ってしまいますよね。それと同じように、細胞の中を作り替えても少しだけ酸化物が残ったり、老廃物が残ったりしてしまいます。完璧に掃除することはできないからです。そうして残った酸化物や老廃物が長い時間をかけて少しずつ蓄積していくというのが老化です。エントロピー増大の法則に、その場では対抗できても、完全に勝って乗り越えることはできない。最後はエントリピー増大の法則に負け、坂を転がり落ちるのです。
質問
脳も入れ替わるのに、どうして記憶は消えないの?
福岡 私たちの頭の中も体の中も、相補的な仕組みで細胞やタンパク質が存在しています。ただ、記憶は、物質として保存されているわけではありません。体内の物質は絶え間なく分解、合成、交換を繰り返しているので、記憶が脳の中のタンパク質によって蓄積されているとしたら、遅かれ早かれ分解され、交換されてしまいます。記憶というのは物質ではなく、ある種の「状態」であることがわかってきました。記憶は、脳の中でビデオテープに保存され、それが読み出されているのではなく、脳内の神経細胞(ニューロン)が連係した回路網として保存されているのです。シナプスによって作られた回路に何度も電気が通ることで記憶は増強され、保存されたりよみがえったりしています。その電気の通り道となるシナプスはタンパク質と同じように分解、交換されて入れ替わりますが、ニューロンどうしの「相補的な関係性」は保たれているので、記憶はなくならないのです。
山手線を思い出してみてください。今から100年ぐらい前に作られた路線で、駅も路線もどんどん作り替えられていますが、山手線は山手線のままです。駅と駅の関係は変わっていません。渋谷の次が原宿、原宿の次が代々木、代々木の次が新宿という関係は変わっていませんが、路線も、電車も、駅舎も、壊れる前に交換しています、動的平衡のように。記憶についても同様で、駅と駅、つまり細胞と細胞の相補的な関係は変わらずに保たれているので、山手線というかたちはそのまま残り、記憶も消えないで残るのです。
質問
GP2遺伝子の機能は何ですか?
福岡 GP2遺伝子ノックアウトマウスについて、マウスの細胞からGP2遺伝子を抜き出しても何事もなかったところまで話しました。GP2遺伝子がないまま繁殖を行い、子孫の代も何事も起こりませんでした。動的平衡の作用で強力なピンチヒッターがやってきたのか、とにかくマウスはGP2がなければないなりに体を正常なまま保つことができました。その理由が、最近になってようやくわかってきたのです。GP2を発見してからもう20年もたちましたが、やはり研究は長いこと続けていると、どこかにまた新しい展開が起きてくるものなのです。
GP2は、細胞の中でアンテナみたいに顔を突き出して外界を探っているのですが、このアンテナに結びつくものが何かわかってきました。食中毒の原因となるような腐りかけの食べ物はサルモネラ菌が潜んでいることがあります。サルモネラ菌はその「尻尾」にFIMHプロテインという特別なタンパク質を持っています。GP2は、そのFIMHプロテインを認識し、捕まえるという働きを持っていたのです。体の外側である消化管に悪いばい菌がいると、それと戦う準備をするためにばい菌の存在を体の内側にある免疫システムに知らせます。GP2は、サルモネラ菌を捕まえると、細胞を横切って体の内側に入り、免疫細胞たちに「こういう悪者が外をウロウロしているから戦う準備をしなさい」と伝える伝令役を担っているのです。それが、GP2の本来の役割であることがわかってきました。
どうして私たちがGP2遺伝子を研究していたときにGP2の本来の役割に気づかなかったかというと、研究者がある落とし穴にはまってしまっていたからです。GP2遺伝子ノックアウトマウスは生きた実験材料です。しかも、高額な研究費をかけて作り出したマウスなので、大事な大事な実験材料なわけです。その命を絶やしてしまうと大変なことになるので、私たちはこのGP2遺伝子ノックアウトマウスをとても大切に育てました。完全に殺菌されたクリーンルームで、完全に殺菌された餌だけを食べさせて育てていたのです。病気になったら大変ですから。そこが落とし穴でした。完全に殺菌された環境ではマウスがサルモネラ菌に出会うことはなく、その能力を発揮する機会も一度も訪れなかったのです。子孫の代まで。だから、わからなかったのです。
研究者は常に「その研究は何の役に立ちますか?」と問われます。GP2の研究が何の役に立つか、なかなか言えずにいましたが、ひとつ言えるのは、「かわいい子には旅をさせよ。かわいいマウスにも旅をさせよ」ということです。それは半分冗談だとしても、GP2研究で最も役立ったのは、私に動的平衡のコンセプトを気づかせてくれたことです。
GP2遺伝子の役割がわかったら、少し屁理屈をこねることができるようになりました。「尻尾」にサルモネラ菌の代わりに、ウイルスのタンパク質をくっつけたものを作り、それをGP2に認識させ、消化管を経由して体の内側に持っていってもらうのです。そうすれば、免疫システムのウイルスの危険性を教えることができます。普通、ウイルスのタンパク質を体の内側に持ち込むには、「ワクチン」という痛い注射を打たなければいけません。消化管の中にワクチンを入れただけでは消化酵素で分解されたりして、そのまま吸収されることはないのです。
でも、GP2の経路を使うと、ウイルスのタンパク質の一部を免疫に知らせることができるので、痛い注射を打たなくても、「飲めば効くワクチン」が作れるかもしれません。そうなれば、少しは社会に貢献できるかなとも思っています。
体の外側である消化管
口から胃、腸、肛門に至る消化管は体の内側と思われていることが多いが、医学的、生物学的にはちくわの穴のようなもので、体の「外側」と考える。GP2は、体の「外側」である消化管にいるサルモネラ菌を見つけ、内側にある免疫システムにそれを伝える。
質問
人はなぜ、絶滅しそうな生物を保護するのでしょうか?
生徒 仮に絶滅したとしても、直接人間に関係のない生物もいると思いますが。
福岡 皆さん、ゴキブリを見つけたらすぐにたたきつぶそうとしますよね。義気ぶりなんかこの世からいなくなればいいと思いながら。あるいは、蚊も。プーンと飛んできて刺されたらかゆいですね。蚊なんて絶滅してしまえばいいと。ゴキブリも蚊も「害虫」とされ、地球上からいなくなっても直接人間に影響がないと思われていますが、いなくなってもいいことには絶対になりません。
もし、ゴキブリが世界から消えてしまったら、地球は滅亡してしまうでしょう。皆さんはゴキブリと台所で出会うことが多いと思いますが、大半のゴキブリは熱帯雨林にいます。アマゾンの森の下草あたりに生息していて、枯れ草や昆虫、動物の死骸を食べ、分解して土に戻しています。地球の掃除屋さん、分解者として活躍しているのです。ゴキブリが生態系からいなくなったら、たちまちごみが地球上にたまってしまうでしょう。
蚊も大切な存在です。蚊そのものというよりも、蚊を餌にしている生物がたくさんいるからです。蚊を食べる昆虫がいて、その昆虫を食べる別の昆虫や鳥がいます。その鳥を獲物にする肉食動物がいます。ですから、この生態系から蚊だけがいなくなると、蚊を餌にしている生態系が失われ、それを餌にしている生態系が失われるというふうに、連鎖反応的に地球の動的平衡は崩れてしまいます。ですから、直接人間に影響のない生物はいないのです。
質問 地球で最もおもしろい生命体は何ですか?
福岡 何をおもしろいと思うかは人それぞれなので、この質問を少しだけ変えますね。宇宙人がUFOに乗って地球の近くにやってきて、地球を観測するとします。地球でもっともおもしろいというか、最も繁栄している生物は何か探査したとします。さて、宇宙人から見て、地球上に最も繁栄している生物は何だと思いますか?いちばんたくささんいる生物と考えてみましょう。数ではなく、合わせたときの重さです。地球の人口は約75億人ですかた質量もかなりあるように思いますが、合わせるともっと重い生物がいます。
その生物は、トウモロコシです、トウモロコシは年間10億トン以上も生産されています。人間を全員合わせても3億トンぐらいですから、地球上で最も繁栄している生物はトウモロコシ。あらゆるところに生育し、人間を奴隷のように働かせ、自分たちを繁栄させているというふうに宇宙人からは見えるはずです、「トウモロコシなんかそんなに食べていない」と思うかもしれませんが、トウモロコシは家畜の餌になっていて、人はその家畜を食べていますから、トウモロコシもたくさん食べていることになります。
質問
AIのシンギュラリティは、人間の知性を超えると思いますか?
福岡 今、人工知能(AI)ブームですが、「シンギュラリティ」とは2045年ぐらいにAIが人間の知能を超えて世界を支配するようになる、あるいは、人間が行っている仕事をほとんど代行するようになるという技術的特異点のこと。でも、生物学者から見たシンギュラリティは絶対に来ません。AIが人間の知性を超えることも絶対にあり得ません。なぜなら、AIは動的平衡を考えることができないからです。動的平衡は、まず自分自身を壊します。そして、作り替えることができます。しかも、それを同時に起こすことができます。ところが、AIは自分を壊すことはできませんし、無関係なものを結びつけることもできません。ビッグデータの中から時間のsるごリズムで、まさにパラパラ漫画のように時間を分解し、一枚一枚の静止画をつないで論理を組み立てて、ビッグデータの中で起こっている経験値から法則なりを生み出すのがAIの作用です。だから、逆に言えば、そういう仕事はAIが代行するようになるかもしれません。将棋や囲碁、飛行機をどの空港にどういう順番で飛ばせば効率がいいかみたいな、パズルを組み立てるような仕事はAIが人間を凌駕していくでしょう。そういう意味では、今から何十年か後にはAIがもっと活躍し、車の自動運転もできるようになっていると思いますが、生命の本質である動的平衡の「相反することを同時に行いながらバランスをとる」ことは、決してAIにはできません。そう簡単に人間の知性や生命を機械が凌駕する日なんか来ないと私は思います。
これは最後の講義です。私はもういなくなってしまうので、シンギュラリティなんて来ない未来を、皆さんが見届けてください。
質問
動的平衡の生命観は、なぜ主流にならないのか?
福岡 これだけ私が動的平衡を一生懸命に話しているのに、主流はやはり機械論的な生命観です。生物学の本流も、医学も産業も機械論的な生命観で進んでいます。動的平衡の生命観は素晴らしいコンセプトを持っているにもかかわらず主流にはなれません。その理由は、動的平衡の生命観は「もうからない思想」だからです。資本主義の考え方に合わないのです。花粉症の薬の抗ヒスタミン剤を作ることで企業はもうけることができるので、それは資本主義の考え方に沿うわけです。でも、動的平衡の生命観は、抗ヒスタミン剤を飲みr続けると生命にリベンジされるので、花粉症とはだましだましつき合っていくしかないという考え方。諦観というか、諦めというか、なるようにしかならないというのが動的平衡の生命観ですから、資本主義の考え方に沿わないわけです。でも、私は諦めずに動的平衡の生命観を説き続けたいと思います。
質問
動的平衡は遺伝するのか?
生徒 動的平衡に関して質問が2つあります。ひとつは、「動的平衡によって変化するのは結局どこなのか」ということ。例えば、花粉症で抗ヒスタミン剤を使い続けると、ヒスタミンの分泌量やレセプターの量が増えてしまうとおしゃっていました。それは遺伝するのでしょうか?
福岡 まずそこから答えます。動的平衡というのは、自分の今生きている状態がどう変わるかということなので、動的平衡によって導き出された新しい平衡状態や、薬との戦いによってできた平衡状態は、その場限りのものです。だから、遺伝はしません。仕組みは遺伝するのですが、それがどういう動的平衡状態を作り出すかは新しい生命に託された運命であって、その生命体が環境との関係の中で新しい平衡を打ち立てていくので、私が作った動的平衡はそのまま遺伝することはありません。
質問
外面的には進化していなくても、内面的に進化することはあるのか?
生徒 もうひとつ、「合成と分解」の輪のバトンタッチのお話の部分で、それは長期的に見たら一種の進化なのかなと思いましたが、戦国時代や平安時代の人間と現代人を比べてもそれほど進化していないように思ったりもします。外面的には進化していなくても、内面的に何か進化することはあるのでしょうか。
福岡 合成と分解によって生み出された平衡状態が県境にとって適応的であれば、その平衡状態が有利なものとなり、遺伝的にも生き残り、広まっていきます。ですので、動的平衡の結果は、基本的にはその個体のものです。長い時間軸で見ると遺伝的に継承されていくようなパターンもあり得るのですが、500年や1000年の単位では起こりません。進化の時間軸というのはもっと長くて、5万年や50万年、500面万年もかけてようやく少しずつ動いていくもの。平安時代の人間と現代人は生物学的にはほとんど進化していません。ほとんど変わっていないといえます。
ただ、遺伝子が直接作用したものではありませんが、人間が外側に作り出し、継承しているもの、それを「文化」といってもいいと思いますが、それは絶えず進化というか、変化していきます。文化とともに人は生きているので、平安時代の文化と現代の文化は当然違ってはいますが、変化の末に今に至っているわけです。どちらがいい悪いの話ではありません。進化は必ずしも改良されるわけではなく、変わることと受け止めた方がいいと思います。
質問
動的平衡を社会や文化に当てはめて考えることはできるのか?
生徒 お話の中で、サッカー元日本代表監督の岡田さんが、「動的平衡は組織論である」とおしゃっていたということですが、動的平衡という人間や生物の体内の現象を、社会や文化という人間や千仏の体外にあるネットワークに当てはめて考えるとき、どのように考えればいいのでしょう。また、考えるときの注意点はあるのでしょうか?
福岡 生物が行っていること、あるいは、生物のあり方をそのまま人間から集団に当てはめることについては多少注意が必要です。単に似ているから応用できるというものではなく、少し慎重に考えなければいけないとは思います。ただ、動的平衡のコンセプトは、合成と分解を繰り返しながら、ある状態がバランスを保って動的なまま動いていることです。その部分だけを見ると、人間社会の中でさまざまな要素が入れ替わっているのもかかわらず、ある一定の平衡が保たれている組織体というのはあり得るわけです。
例えば、この青山学院大学も毎年、卒業生が出ていき、新入生が入ってきます。学生を「要素」とすると、要素は流れているにもかかわらず、青山学院大学というある種のスクールカラーは保たれています。新たに入ってきた人たちは学校の文化を共有するし、学校にいた人たちは新しく入ってきた人たちをそれなりに尊重するという、ある種の相補性が保たれながら動いているわけです。だから、人間が作り出す組織は多かれ少なかれ動的平衡状態にあるといえるでしょう。会社でもサークルでも何でもいいのですが、要素は流れつつも、一定のカルチャーや価値観を共有しているような組織体はたくさんあります。動的平衡の考えを当てはめることができ、組織論としても考え得るモデルにもなると思っています。
質問
「生命とは何か?」という問いにどうやって解答を導き出したのか?
生徒 「生命とは何か?」という問いに対して、いろいろな観点から論を展開されましたが、解答を導くにあたって、必要だから教育学を研究して今回の論につなげたのか、さまざまな勉強を深めていくなかで偶然、今回の論に活用できると考え提示されたのか。どちらでしょうか?
福岡 どちらかというと後者かなと思います。「生命とは何か?」と問われたら、「動的平衡にある流れである」と私は答えます。普段からそういうふうに生命を見ていると、ベルクソンが言っていた「物質が転がり落ちる坂を上り返しているのが生命だ」という言葉や、教育学の頭足人も、機械論的な生命の見方ですが、それをもう一度、動的平衡の観点から捉え直せるのではないかと思えるようになります。動的平衡というコンセプトを自分の中に持つと、世界には動的平衡から説明できることがたくさんあることに少しずつ気づいていったという感じです。
質問
合成生物学についてどう考えているのか?
生徒 合成生物学は、要素を集めて盛名を作る学問だと思うのですが、動的平衡論から考えると、結果として生命は作られないのではないかと思います。先生は合成生物学についてどうお考えですか?
福岡 例えば、グルコースをピルビン酸というものに変えてエネルギーを回す「解糖システム」があります。たった6つの酵素が順番にグルコースをバトンタッチしながら変化させて、エネルギーを生み出す仕組みです。だから、試験管の中にその6つの酵素を精製してきて混ぜ、そこにグルコースを入れたら、勝手に解糖システムが動きだし、エネルギーが生産されるかというと、そうはなりません。要素を混ぜ合わせてもミックスジュースになるだけで、そこに平衡状態は立ち上がらないのです。だから、要素を集めただけでは動的平衡は動かなくて、動的平衡を動かすための「プラスα」が必要になります。そのプラスαは何かと追求するのなら、合成生物学は非常に価値のある学問だと思います。
プラスαが何かというと、別にスピリチュアルなものでもないし、聖域論的なものでもなく、6つある酵素が細胞の中では特殊なトポロジーの中でそれぞれの位置を定め、見えない膜の上にうまく配置され、機質を連係プレーするような仕組みで動いているからうまく回って、合成と分解の平衡が成り立つわけで、その要素を支えている、目に見えない何らかの構築があるはずです。それを解けさえすれば、合成生物学もそれなりに意味があるでしょう。動的平衡はやはり要素ではなく、要素と要素の関係性を突き詰めるという点で私は価値があると思っています。合成生物学もそういう方向に、「物」ではなく「事」、「要素」ではなく「作用」というコンセプトを忘れずに進めることが研究として成り立つのであれば、生命を解明することに意義があると思います。
質問
美や芸術に対する感覚は、長い歴史の中でどういう進化的な意義があるのか?
生徒 私たちが音楽を聴いて気持ちいいと感じる、絵画を見て美しいと思う、そういう美や芸術に対する感覚は、長い歴史の中でそういう進化的な意義があるとお考えでしょうか?
福岡 何かを見て美しいと感じることは、進化的な理由があるかもしれません。例えば、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が頭に巻いているターバンは非常に鮮やかで美しい青です。私は虫捕り少年として、背中に青い斑点が光るルリボシカミキリが好きだったのですが、その青も美しいと思います。でも、人間がそんな青い光を美しいと思う起源はどこにあるのでしょう。光の波長を見ると、赤い光よりも青い光の方がエネルギーとしては強いのです。紫外線に近いから。だから、太古の海の中で生物が光合成をしようと光を求めて動いたとしたら、まず青い光の方に移動したのではないでしょうか。だから、私たちはいまだに青い光を美しいと思うのだろうし、美の起源も、生命に必要なものを美しいと感じるところにあるのではないかと思います。
音楽はどうでしょう。雄が雌を求めるコミュニケーションのツールをして、虫や鳥は鳴き交わしたり、呼び合ったりします。それが音楽の始まりだともいわれますが、私は音楽の起源はもう少し違うところにあると思っています。音楽はどこから発せられているかというと、自分の体内であり、生命からです。心臓の鼓動や呼吸、筋肉のパルスや脳波も、すべてがリズムを刻んでいます。だから人間は、自分自身が発する音を別の方法で確認したり、自分の刻むリズムと外部のリズムが共鳴することで自分が生きていることを確認したりするツールとして音楽を求めてきたのではないでしょうか。自分自身の生命が奏でる音が美しいから、音楽を美しいと感じる。そこに起源があるのではないかと思います。
光の波長
人間の目に見える可視光線は、赤、橙、黄、緑、青、紫と色が変わるが、赤は波長が長く、紫は波長が短い。波長が短い方がエネルギーとして強く、紫からさらに波長が短くなると紫外線となり(逆に波長が長くなるのが赤外線)、もっと波長が短くなるとX線やガンマ線となり人体に強い影響を与える。
質問
今の社会における芸術の役割についてどう考えているのか?
生徒 ベルクソンのアーキモデルの鮮やかなご説明、感動しました。先生が後半におっしゃったように、機械論的な生命観が医療の分野を含めて主流になっていて、それが故に狂牛病のような問題も起こっているというお話でしたが、ベルクソンはそういった人間の生存のための技術や思考を中和する作用が芸術にはあると言っています。先生は今の社会における芸術の役割についてどんあふうにお考えでしょうか?
福岡 朝永振一郎が言っていたように、物理学や生物学という科学は、自然という混沌としたものを理解するために、いったんそれを単純化する、機械化する、モデル化することによってたわめて見ている、つまり、不自然なものに変えて見ているわけです。要素還元主義的な見方で、あるいは、時間を微分的に止めてパラパラ漫画みたいにして見る方法で、世界を解釈しようとしているのです。それは、ロゴス的な解釈、つまり、言葉によって自然を分節化していく解釈です。それをもう一度、本来の自然に戻さなければいけないと朝永は言っているわけです。科学が分節化、モデル化した自然をもう一度、本来の「ピュシスとしての自然」に戻すための作用は、統合的な力として学問が担当するのか、何か他の力が担当するのか、まだ正確には見えませんが、学問が細分化して人工的に見過ぎたものを本来の自然に戻す力は、やはり芸術が担うべき作用ではないかと思います。
ロゴス
「言葉や論理、理性」を意味するギリシャ語。万物は流転していると説いたヘラクレイトスは、一方で、その背後に変化しない絶対の法則があるとも考えた。
ピュシス
「自然」を意味するギリシャ語。万物がそこから生まれ、そこへ消滅する根源のこと。生命の源としても捉えられる。
質問
生徒 臨床医や獣医は動的平衡を具体的にどう考えて日々の臨床に向き合ったらいいのか?
生徒 医学も獣医学も機械論的な生命観のもとで発達してきた学問です。だからこそ、臨床医や獣医は動的平衡の考えを大切にすべきだと思うのですが、具体的にどう日々の臨床に向き合えばいいでしょう?
福岡 医学や獣医学が学問であるためには、必ずエビデンス(科学的根拠)が必要だし、薬を与える、手術をするというような介入的な方法で標準的な治療を行うことを考えざるを得ません。ただ、医学が救うべき一人ひとりの人間は、それぞれ固有の動的平衡状態を保っているので、エビデンスのような平均化をしたり、標準的な治療で臨むと、一人ひとりの個別性が消えてしまいかねません。それは、お医者さんがいちばんよく知っていることだし、獣医になろうとしているあなたが感じることでもあると思いますが、標準理論、標準治療、あるいは、平均的なエビデンスによって実際の生命を見ようとすると、そこにある生命の個別差があまりにも標準からずれていることに驚くはずです。
でも、患者や動物を痛みから解放してあげたり、ある病状を取り除いてあげるという、「その問題を解決してあげる」ことが医師や獣医の臨床における大事な仕事です。そして、先ほども言ったように「膝が痛い」と訴える患者の膝だけを診るのではなく、体全体のさまざまな問題が膝に集約されて表れているから痛いのだという、そのつながりの中で症状を捉えること、「全体として生命の成り立ちを考える」ことを忘れてはいけないと思います。機械論的に生命を見過ぎると、エビデンスや標準治療に頼ってしまう秀才型の医者になってしまいます。
生命は動的平衡のバランスの上に成り立っていて、そのアンバランスが病気となって現れているという考え方を衷心に置くようにしたらいいのではないかと思います。ぜひ、いい獣医さんになってください。
質問
高まった認知予備力は遺伝によって後世に影響を与えることはできるのか?
生徒 僕はバイオリンをやっていますが、どうしても機械的な視点に立っていいリズムで、いいテンポで、ミスなく弾くという姿勢で演奏してしまいます。でも、例えばベルリンフィルハーモニー管弦楽団など、より高いレベルの芸術を極める演奏家になればなるほど動的平衡に近い概念で、流れやフレーズ感、要素の関係といった視点で演奏する傾向があります。僕もそんな姿勢で弾ければと、先生のお話を聞きながら思いました。質問ですが、バイオリンの技術や、読書や勉強でシナプス結合が起こって認知予備力が高まったりしますが、僕が高めた結果は遺伝によってその後、後世にも影響を与えることはできるのでしょうか?
福岡 バイオリンをされているということですが、楽器の練習はどうしても最初は要素で練習せざるを得ないところはあると思います。生物学も暗記科目という側面もあるので、基本的なことは個々の術語として覚えなければいけません。だから、皆さんも最初から動的平衡だけを信じることはやめて、まずは基礎学力を身につけてください。基礎学力は機械論的な学習をしていかなければならない側面があります。大事なのは、身につけた基礎学力をどう統合していくか。朝永振一郎の言葉のように、自然を機械論的にたわめて理解した後、それをどうやって本来の自然に戻すかを考えなければいけないのですが、その前に基礎学力、基礎能力、基礎演奏力を高めることが必要です。
皆さんも30歳、40歳、50歳と年齢を重ねるなかで、自分なりの世界の見方を作り上げていくことでしょう。でも残念なことに、シナプス結合で脳の中に新しく作られた回路は、次の世代には遺伝しません。次の世代はまた、与えられたシナプス結合の中から自分自身の経験と勉強と訓練によって、自分の回路の動的平衡をもう一度作り直していくのです。ただし、皆さんの次の世代の人たちがどういうふうに学問の山、人生の山を登っていけばいいかを伝えることはできます。馬に水を飲ませることはできないけれど、水辺に誘い、「この水を飲めばいいよ」と教えることはできるのです。どういう勉強をすれば、より自由に、より広く世界を見ることができるかという体験や経験を伝えることはできると思います。あなたもぜひ、次の世代に何かを伝えてあげてください。
私が、期間論的ではなく、動的平衡の世界観を持ってくださいと伝えているのは、皆さん自身が勉強を重ねて動的平衡を理解しない限りは、動的平衡を自分のものにすることはできないからです。今日、皆さんがこうして私の話を聞いてくださったということは、皆さんの脳の中にシナプス結合に何らかの影響を与えたということ。つまり、私は皆さんを「水辺」に誘ってきたわけです。そこまでが私にできることです。
質問
生命はどこまでが生命なのか?
生徒 私も「生命とは何か?」という疑問を解き明かそうと、お話を伺いにきたのですが、動的平衡は理論としてすごくよくわかりました。生命にそれが存在していることもわかったのですが、機械論的に自分を細かく、細かく分けていったら、どこまでが生命なのでしょうか。細胞自体も動的平衡だから生命ですよね。ただ、お話では一つの生命だけでなく、生態系全体が動的平衡を動かしているということでした。生命の定義というのは視点によっても変わりますし、考え方によってはこの地球全体、宇宙全体も生命になるのかなと。ちょっとぼやっとした感じでわからなかったです。
福岡 お答えしましょう。まさにおっしゃるとおりで、「生命とは何か?」という問いの答えは、「生命をどう定義するか」によって見方が変わってきます。だから、「生命は動的平衡である」という私の定義から見たら、細胞も生命だし、細胞と細胞の集合体である私たちも生命だし、個人が集まっている人間社会も生命体だし、人間と他の生物との相互作用で成り立っている地球全体も一つの生命体だということができます。生命の定義によって、何を生命と見なすかという境界線は膨らんだり縮んだりします。動的平衡の観点から見ると、地球全体も一個の生命体だというふうに考えて差し支えないと私は思います。
質問
動的平衡の考え方を論証する方法はあるのか?
生徒 先生の動的平衡の考え方は中学生の頃から好きでした。しかし同時に、「人がこうやって進化してきたのには、こういう意味があった」という話は説得力に欠けているように思います。なぜなら、それが論証できないから。ある意味、サイエンスではないというか。概念的にはおもしろいけれど、サイエンスとして本当に正しいかという実証ができないので少し疑念が残ってしまうのです。先生の動的平衡の考え方も、そのような類に属してしまうような気もします。例えば、ダーウィンの進化論が現代の生物学の世界にとても深く浸透しているように、100年後、200年後の未来の生物学の世界で、動的平衡の考え方を「それが当然なんだ」と思わせるために、何かできる方法や、先生の考え方を論証する方法はあるとお考えでしょうか?
福岡 前半部分には私も賛同します。生物を考えるときにはいろいろなアプローチがありますが、生物の進化に関しては実験的に検証することができません。100万年の間に「ある条件がこうなれば、こう変わる」ということは検証できないので、どこまでいっても説明にしかならないのです。ダーウィニズムは基本的には正しく、受け入れられている説ですが、ダーウィ二ズムだけでうまく説明できない生物の特性もたくさんあるのです。
例えば、目。非常に高度に進化した仕組みですが、レンズだけができても目は見えないし、網膜という光を検出する装置だけあっても目は見えません。そこに配線がつながり、脳に送られて、初めて像が解釈されるように、いくつかのサブシステムが共存しながら進化していかなければ目という複雑な仕組みは作れないのです、。全部が統合されて初めて「目が見える」ようになるので、サブシステムである間は生存のための有利さは出てきません。サブシステムがどう統合され、目という複雑な仕組みが進化してきたかについて、ダーウィニズムはまだうまく説明できていません。その点では、生物学は物語や仮説になってしまうきらいはもちろんあります。
動的平衡もある種の見立てであり、生命をどう見るかというひとつの説明ですから、検証することは難しいかもしれません。ただ、誰もが受け入れられるような共通の言葉で動的平衡が説明できれば、世界中の人がそれを検証し、受け入れることができるわけですよね。そのためには、「数学的なモデルを作る必要がある」と考えて、ベルクソンのモデルみたいに日本語だけで説明しているのではなく、共通言語として他の文化圏の人にも「動的平衡」というコンセプトを伝えられるように努力するようにしています。
そして、物理学には「理論物理学」と「実験物理学」という世界があります。理論物理学者がまず理論によって、この世界はこういうふうに成り立っているのではないかと仮説を立てます。「ヒッグス粒子」という物質があるのではないか、「重力波」というものがあるのではないかというように、理論的な予測を立てるのです。そして、そういうものの存在を立証できるデータがあるかどうか実験物理学者が検証します。何年後か、何十年後か、年百年後かはわかりませんが。その理論に合った現象を集めてきてくれるのです。
動的平衡も理論生物学として、こういうアプローチから生命を説明することも必要だと考え、提案しているコンセプトです。これを後世の実験生物学の人たち、つまり、皆さんの世代が検証していただけると、私としては最後の講義をしたかいがあったと思うことができるのです。
ダーウィンの進化論
イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809~82年)が提唱した生物の進化に関する革命的な学説。1859年に出版された『種の起源』で提唱された。生物は絶えず小さく変化し、その変化自体には方向や目的はないが、環境が長い時間をかけてその変化を選びとっていくという考え。
あとはまかせた!
福岡伸一
福岡伸一(ふくおか・しんいち)
生物学者。1959(昭和34)年、東京生まれ。京都大学卒業。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。著書『生物と無生物のあいだ』(講談社)はサントリー学芸賞、中央公論新書大賞を受賞、ベストセラーとなる。その他の著書に『動的平衡』(木楽舎)、『ルリボシカミキリの青』(文藝春秋)、『フェルメール隠された次元』(木楽舎)、訳書に『ドリドル先生航海記』(新潮社)など。
最後の講義 完全版 福岡伸一
令和2年3月31日 第1刷発行
」
カテゴリー
歯科矯正コラム一覧
- ⑮「十三 熱病」「手仕事の医療 評伝 石原寿郎( いしはら としろう) 秋元 秀俊 (著) 」を読む」
- 「⑭ 十二 種々相(しゅじゅ‐そう)「手仕事の医療 評伝 石原寿郎( いしはら としろう) 秋元 秀俊 (著) 」を読む」2025/4/17「歯科を職業とする人には、是非読んでいただくことをお願いする。」
- 「トウシの大切さ」・・・投資(とうし)・投歯(とうし)
- ⑬「十一 渡米」
- ⑫「十 運動軸(うんどうじく)」・・・「手仕事の医療」(てしごと の いりょう)
- ⑪『九 下顎運動』(きゅう かがくうんどう)・・・「手仕事の医療」(てしごと の いりょう)
- ⑩「八 ナソロジー」
- ⑨「七 ゆきづまり」
- ⑧「六 中心感染(ちゅうしんかんせん)」2024/11/4/up
- ⑦「手仕事の医療 評伝 石原寿郎 秋元 秀俊 (著) 」を読む・・・「五 銅合金」