△セファロ分析△●エピローグ●科学的か
△セファロ分析△●エピローグ●科学的か
哲学を全体的な学とした時、個別的にする学が科学である。
つまり、これが発生的な科学の考え方であり、
分科された学問ということになる。
次いで、個別に、具体的なことについて、統一する普遍的な法則を求め
客観的な真理の追究とそれを応用する体系的な学問ということになる。
より狭義にいうと自然科学のことを意味する。
自然科学は客観的でなければならないわけで、
信用ができないケースも多くあり、それはすぐに分かる。
明確に示すことや説明ができない場合、
その事実をいかにして隠そうかと考え、
多岐にわたる文学的な表現でカムフラージュする。
科学的手法は帰納から演繹への手法である。
どちらにしても観察と検証を行わなければならない。
現在あるデータから、一般的な結論を導き出すことによって
仮説を組み立てる。仮説をもとにして特定の予測を立てる。
仮説に従いデータの収集をする。予想が正しい仮説であれば追認し、
誤っていれば誤りを正すために観察が必要となる。
分析を行ない、決定される。観察、結論の誘導、予測、事実との比較をし
検討を加えるというプロセスを踏まなければならない。
仮説、理論、事実ということが現実にあり自然科学では、
自然を相手にどんな観察が行われるかは仮説をもって決定される。
しかし、仮説そのものが観察者の先入観により左右されやすい。
そして、知識量や教養の大きさにもよる。仮説と初期条件との2つが必要である、
その2つから、一つの予測を考え出す。その予測が正しいことを十分に
満たしているかどうかを観察し、考察し、検討するのである。
仮説がセオリーとなるには、
理論と仮説どちらが先になるかは断言できないぐらい複雑なことで、
両者は切っても切れない関係がある。
予測にもとづいての、後からの観察は、仮説、演繹の正当性のプロセスでは
最終判断をはたし、科学の真意性にとって、
事実という観察に勝てるものはないのである。事実が全てを語るのである。
仮説から理論へ進み事実が証明するということである。
セオリーなどというと決定された事実のように思うだろうが、
これはまだ確定されたことではなく、仮説の範疇のある。
科学というものは、手法として、主観を退け、
客観的に現象としての確かさを求める結論の行為である。
主観的な洞察にのみ依存する神秘主義は排除されなくてはならない。
神秘主義の言うところに「真実」は、主観的なものによるものであり、
そこには客観的な観察も正当性もないのだ。
人の数だけ真実があるということであり、
それが統一されなければ科学とはなり得ない。
神秘主義者が客観的な検証を行うことは不可能なのであれば、
合理性でもないということになる。
新興の健康法や運動療法や器具などは、その根拠があいまいであったり、
提供者の経歴や公的な資格が疑わしいものが多い。
そして、その理論や方法や器具がほとんどの場合に効果がなかったり
することが実に多いということである。
とても十分といえない数式から、
希望的な観測の問題や誤謬によって支配されていることだ。
これらのことを矯正や歯科医学の分野で考えるとき、
セファロ等にも同様のことが発見されると思う。
今一度、セファロ分析は科学的なのかと考えることをおすすめしたい。
くどいようであるが、医学に立つ理論ならば、
科学的ということは非常に大切なことなのである。
セファロを必要とすると言うからには、
科学的な検証は必要なことであり、
科学的でないのならば、
そのことを導入することを前提とする理論は間違っていることになるからである。
そろそろ、セファロを
矯正の絶対条件とすることの呪縛から逃げるときがきたようである。
(DBAより)
DBAのまえがき(DBA主幹 阿部和弘先生の言葉)より
「このセファロ読本は一般開業医のためのものです。私は一般開業医こそ矯正に適した歯科医師であると考えています。全ての一般歯科開業医に矯正治療ができるようになっていただきたいと考えています。矯正治療を始めるにあたって、矯正にはセファロがどうしても必要なのだという考え方が蔓延している現状の中で、はたしてそうなのだろうかということです。分かりやすいセファロの本をと思っているのは、そのことをくつがえす必要があるからです。この「セファロ読本」は一般歯科開業医のための入門書として書き上げたつもりですが、完成してみると、これ以上詳しい内容の本は、現在ないことが分かりました。代表的なセファロの方法を全て載せてあるということも画期的なことです。このようにして、セファロ読本が出来上がり、再び読み返してみても、やはりセファロの重要性は感じることができません。
セファロは脇役であり、パノラマ以下の評価しかできないのです。
一般歯科開業医の人が矯正をするのにセファロがぜひとも必要とはとても思えません。
しかし、何故必要ないのかを知るためにも逆説的な言い方ですが、セファロのことを知っておくことも良いでしょう。無知と英知では英知が勝っています。知らないより、知っておくのがよいのです。使うか使わないかということは知っておいて初めて判断ができます。そういうことをまず理解していただきたいと思います。一般歯科開業医が矯正をするとき、ぜひとも必要なことは診断を正しくできるということです。診断の正しいことこそ大切なことです。
治療テクニックになりますが、顔の中心が美人の中心だということです。したがって、顔の中心と上顎の歯の中心との一致が必要なのです。上顎の正中線と下顎の正中線を合わせても、顔の中心に合っていないと、顔はゆがんでしまいます。 第一大臼歯をクラス1にすることも必要です。
特に10歳までの子供の時に、必ずクラス1の咬合の形にすることです。そして、料金を明確にすることです。信頼こそ大切なことなのです。
上顎と下顎の正中線を無理矢理に合わせることは、どうでもよい事です。このことは顔の中心に合わせることが大切で、上下顎の正中の一致はできればということぐらいのことで絶対という考えに立たないことです。
してはいけないことは小臼歯を4本抜歯することや、側方拡大による方法です。これはルンドストロームの1925年発表の歯槽基底論で解決済みのことです。それに逆行するテクニックではうまく行かないでしょう。ブローディのバクシネーターの理論も同じ様なことを証明しています。
ヘッドギヤーを使用してはいけません。このような中で、成人矯正では小臼歯の4本抜歯は行ってはならないことなのです。このような正しい考えの中で一般歯科開業医が矯正を行えば審美だけでなく機能的にも必ず社会に奉仕し、貢献できることになります。一般歯科開業医こそ、矯正に適した人であると、大いなる自信を持っていただきたいと思います。」
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