1980年までとそれ以降の美人の違い | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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1980年までとそれ以降の美人の違い


1980年までとそれ以降の美人の違い DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より

矯正の歴史は100年ほどである。現代矯正はアングルの活動そのものから始まり、現在もその延長上にあると考えてもよいであろう。その間に大きな戦争が二度あり、科学の急激な進歩によって金属の発明や改良など、物質面が大きく変わった。必要は発明の母と言われるように、戦争は勝つために全力を注いでいろいろの物を開発してきた。矯正治療はニュートン力学という古典力学そのものであるから、新しい物の発明によって大きく発展できたのである。医学の進歩も甚だしい。クローン牛などの実現する時代だからDNAはじめ、遺伝的なことまで解明できる時代である。こういう変化の中で矯正も大きく変化しなくてはならない。歴史ということ、科学ということを忘れた理論はあまりにもお粗末なことになる。現在の矯正の術式は、このお粗末なところで止まっているものが多い。残念なことである。新しい概念と方法によれば、無痛的に原則非抜歯で1年もあれば治せるのだ。混合歯列期であれば、通常、3ヵ月から6ヶ月で完了できる。ともかく、このことに気付いてほしい。矯正についても1945年以降とそれ以前では使用できる材料がまるで違う。したがって、1945年まで矯正の目指すところは限られていた。歯ならびを治したといってもスキっ歯だらけである。これでは顔全体とか笑顔といっても無理である。

1945年まではそういう概念は矯正にはない。動的な美人の概念はないのである。それどころか、Eラインなどという横顔の概念もない。ただあるのは、何んとなくという世界であり、石膏模型で上下の正中を合わせるというぐらいのものである。また、ひどい八重歯のそう生は抜歯するということだ。1945年に戦争が終わり、ステンレスの技術が日常的に出回り始めて、初めてステンレスのワイヤーやバンドの出現となったのである。ワイヤーはベッグが発表し、特許をとったのがオーストラリアンワイヤーと呼ばれるものである。次いでロッキーマウンテン社からエルジロイという名称のステンレスワイヤーの発表でライトワイヤーの時代とベンディングの時代に入る。そして、このころは局所麻酔で抜歯も簡単になっていた。そこにベッグの新しい概念のワイヤーとすべての症例で小臼歯4本を抜歯するというテクニックがアメリカで紹介されたのである。今までの材料やワイヤーではうまくゆかなかったのが、簡単に前歯6本を治せる。抜歯をすれば、前歯のそう生などのことだけなら簡単だ。そういうことで1960年代のアメリカはベッグ旋風により、抜歯することが良いことだという風潮になった。しかし、抜歯によるデメリットも多く、そのための理論武装としてEラインということを言うようになったのである。それは1960年ごろの抜歯が盛んになった時のことだ。日本ではリケッツ理論によって普及された。美のモデルは古代ギリシャのミロのビーナスの横顔と言われている。静的な美としてミロのビーナスが選ばれたのである。ところが、あまりにも多くの歯を抜いたためトラブルが続きだし、アンチエイジングと動的美人ということから、「若さを失った顔は美しくないし、それは求めていたものの逆だ、歯を戻してくれ」という裁判が続いた。1980年代のことである。歯を抜いた矯正の裁判で、歯科医側の敗北が続いた。それも現在のアメリカが非抜歯中心になった一つの要因ではある。裁判に勝てないような方法は本来するべき行為ではない。これは常識であろうが、現在の日本ではいまでも抜歯が中心の矯正が主流を形成している。これからの医療訴訟に耐えられるのか、甚だ心配である。GPの諸君はこういうことだから、裁判に負ける抜歯はしないことだ。非抜歯矯正を学ばなければならない。

1980年代以降は美人の基準がラテン系に変わってきた。現在のミスユニバースなどの世界的美人コンテストを見ると分かると思う。目の青い、古代ギリシャ風の優勝はほとんどないのであることを。

DBAより)DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より