妻をめとらば才たけて~「人を戀ふる歌」~與謝野鐵幹
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資料431 与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『国文学』による)
人を戀ふる歌 與謝野 鐵 幹 妻(つま)をめとらば才(さい)たけて 顔うるはしくなさけある 友をえらばば書をよんで 六分の俠氣四分の熱 戀のいのちをたづぬれば 名を惜むかなをとこゆゑ 友のなさけをたづぬれば 義のあるところ火をも蹈む くめやうま酒うたひめに をとめの知らぬ意氣地あり 簿記の筆とるわかものに まことのをのこ君を見る あゝわれコレッヂの奇才なく 人やわらはん業平(なりひら)が 見よ西北(にしきた)にバルガンの 妻子(つまこ)をわすれ家をすて 玉をかざれる大官(たいくわん)は 四たび玄海の浪をこえ あゝわれいかにふところの わが歌ごゑのたかければ 「あやまらずやは眞心を おのづからなる天地(あめつち)を 口をひらけば嫉みあり おなじ憂の世にすめば はるばる寄せしますらをの |
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(注) 1. 上記の「人を恋ふる歌」の本文は、雑誌『國文學』第12号(国文学雑誌社、明治 32年12月25日発行)によるものです。 2. 詩中のふりがなは、ここでは括弧に入れて示しました。 3. この「人を恋ふる歌」は、明治32年12月5日発行の雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号 に「友を恋ふる歌」として掲載されたものですが、一部の語句に異同があり、節の数 にも違いがあります。 『伽羅文庫』の「友を恋ふる歌」は、明治32年12月25日発行の雑誌『国文学』12 号に「人を恋ふる歌」として掲載され、また明治33年2月20日発行の雑誌『よしあし 草』にも掲載され、後に明治34年3月15日発行の詩歌集『鉄幹子』に収められまし た。 4. 雑誌『伽羅文庫』、雑誌『よしあし草』、詩歌集『紫紅集』、詩歌集『鉄幹子』に収録 された「人を恋ふる歌」の本文が、次の資料にあります。 → 資料430:与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(雑誌『伽羅文庫』による) → 資料429:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による) → 資料432:与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(詩歌集『紫紅集』による) → 資料428:与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(詩歌集『鉄幹子』による) 5. 語句の読みを補っておきます。( )内は、歴史的仮名づかいです。 顔うるはしく……「顔」は、ルビがないので、鉄幹自身は「かお(かほ)」と読ませたものかと思われ ますが、普通には「みめ」と読まれています。原本にルビが欲しかったところです。 松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年 1月号)で、「これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考えるべきであろう」 と言っておられます。(注6を参照のこと) 六分の俠氣四分の熱……「六分」は、「りくぶ」。ただし、四分に対する六分なので、「ろくぶ」と読む のがいい、とする意見もあります。「四分」は「しぶ」。「俠氣」は、「きょうき(けふき)」 意氣地……「いきじ(いきぢ)」。 業平……「なりひら」。在原業平のこと。 見よ西北に……『鉄幹子』には、「西北」に「にしきた」とルビ。 天火……「てんか(てんくわ)」。 妻子……『鉄幹子』には「つまこ」とルビ。 誰か知る……文語なので、「誰」は「たれ」と清音に読む。 價……「あたい(あたひ)」。 世を怒る……「怒る」は、「いかる」。 嫉み……「ねたみ」。 譏り……「そしり」。 諌め……「いさめ」。 猶……「なお(なほ)」。 憂の世……「憂」は、「うれい(うれひ)」。 袂……「たもと」。 北漢……「ほくかん」。 月の出づる方……『鉄幹子』には「日の出づる方」となっている。「日の出づる方」で日本を意味する ので、「月」は誤植とみるべきでしょう。「方」は、「かた」。 6. 「顔うるはしくなさけある」の「顔」の読みについて 松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年1月号) の中で、「この詩の「顔うるはしく」は俗間にはみめうるわしくと歌われているが、初出本文にも『鉄幹子』 所収本文にも顔の文字にはルビはついていない。(総ルビになっている『紫紅集』の「友を恋ふる歌」には かほとルビがついている) そこで、これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考える べきであろう」と書いておられます。(太字の「みめ」「かほ」は、原文には傍点がついているものです。) 鉄幹の詩として読む場合は、やはり「かお」と読むのが正しいのではないか、と思われます。 7. 「石をいだきて野にうたふ芭蕉のさびをよろこばず」の意味については、注の10をご覧下 さい。 8. 講談社文庫『日本の唱歌 〔上〕明治篇』(金田一春彦・安西愛子編、昭和52年10月15日 第1刷発行)の「人を恋うるの歌」の解説に、次のようにあります。 与謝野鉄幹の詩歌集「鉄幹子」(明治34年刊)に収められている歌詞に、明治41年に曲が 付けられたものという。作曲者が不明なのは残念である。よく歌われる三高の寮歌に、大正2 年に矢野禾積(かずみ)が作詞した「行春(ぎょうしゅん)哀歌」というのがあって、 1 静かに来たれ懐かしき 友よ憂いの手を取らん 曇りて光る汝(な)がまみに 消えゆく若き日は歎く という歌詞のものであるが、この曲を借りて歌っている。矢野氏によると、この寮歌にはもともと 小川という生徒の付けた曲があったが、それが不評でさっぱり歌われない。中学時代の友人片 岡鉄兵が京都へ来た時にそのことを話したら、おれがいい節を教えてやる、おれたちがいつも 藤村の酔歌を歌う時の節だと言ってこの曲を教えてくれた、矢野氏がそれを歌って聞かせると一 同それがいいということになって「行春哀歌」の曲に固定したというのである。この曲はいろいろな 詩の節として使われたようであるが、たしかにそれにふさわしい節である。(同書、238頁)引用者注:藤村の「酔歌」とは、『若菜集』所収の詩「酔歌」を指すものと思われま す。次にその「酔歌」を引いておきます。
9. 若井勲夫氏の論文「旧制高校寮歌の言葉と表現」(『京都産業大学論集〔人文科学 人を恋ふる歌 与謝野 寛 作詞
15. 近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・昭和38年9月10日発行)に、 |
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