1911年以前のアングルとケース-2 DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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1911年以前のアングルとケース-2 DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より


1911年以前のアングルとケース-2   

DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より

「近代矯正の父」をいわれるキングスレーの最初の出版物は
1871年に発行された。
そのタイトルは「口腔の奇形」であるが、
ジャンピング板によって反対咬合をなおすことが書かれているだけである。
1881年のコッフィンの拡大床にしても、
1887年のジャックソンの矯正装置にしても抜歯を前提にしていない。
いや、抜歯をするのはぺリオの重症型であり
健全歯など抜けるはずも無かったし、
抜くことで治せるということなどないのである。
1876年

ファーラーが歯の移動量のことを発表しているが、これも抜歯ではない。
このような時代にアングルは
1887年32歳の時ワシントンでの第9回万国医学会会議において、
大臼歯にバンドをつけ
アーチワイヤーによって歯列を拡大する方法を発表した。
2年後に特許を取り、エスエスホワイト社から発売された。
その次の年の1890年に「不正咬合の治療法」を出版した。
その中で矯正の目的を、本来の正常咬合にすることとしたのである。
ケースはシカゴ歯科学校の教授になっていて、保定に研究目標があった。
そこにチューブを改良し、顎間ゴムを使用した。
矯正の安定のためには歯体移動を目指すべきであり、
アングルの歯列弓の拡大装置は傾斜移動で後戻りするということである。
抜歯するかしないかというはじめにそういうことでなく、
リラップスの話であったわけである。