ハリウッドスマイルDBA「間違いだらけの抜歯矯正」より
ハリウッドスマイル:アメリカの美人論はハリウッドスマイルと切り離すことはできない。ハリウッドのスターが美人の基準となっているのである。そのためにはハリウッドの歴史が必要である。ハリウッドは映画の都であり、映画があってこそのハリウッドである。ところで、映画の歴史はどうであろうか。映画のためにはカメラが必要である。この映画用のカメラはエジソンが発明をしたわけで1889年のことである。同じ1889年にイースマンがフィルムを発売した。1893年にエジソンは活動写真としての発明をする。映画そのものが大変興味を持たれ、1911年にハリウッドができる。ハリウッドはカルフォルニア州にあり、天候が良いということで、元々の発生のニューヨークなどから次々と映画製作者がハリウッドに移り、映画はハリウッドということになった。ニューヨークにあったころから、映画は人気があったが、この頃の映画は無声時代である。この映画人気に乗ることで、1909年(明治42年)にマックスファクターの化粧品会社が誕生している。女優などのための化粧が元の始まりである。変装のためのカツラとか、つけまつ毛とか、こういう物もマックスファクターが研究したものである。それとともに、美男美女を集めスターとして売り出した。1927年にトーキー付きの映画ができた。無声映画から有声映画になったのである。初めはほんの少しの有声でほとんどが無声であったけれども、1929年からは全てが完全なトーキー映画時代となってゆく。そして1932年の昭和7年にテクニカラー社から完全カラー映画が作られる。最初のカラー映画はバーグマンという女優が主演の「誰がために鐘が鳴る」であった。これによって映画人気は娯楽のナンバーワンになるとともに、多くのスターが育ってゆくことになる。それに合わせたように1932年に化粧品のレブロンが設立される。ハリウッドスのスターは2大化粧品会社とともに女性の美のモデルとなった。このあたりから矯正治療も美容という概念が付き始めたのである。しかも美人の基準はハリウッドスターであって、それ以上でも、それ以下でもないという不動のものになっていった。
(DBAより)DBA「間違いだらけの抜歯矯正」より
カテゴリー
歯科矯正コラム一覧
- 「⑭ 十二 種々相(しゅじゅ‐そう)「手仕事の医療 評伝 石原寿郎( いしはら としろう) 秋元 秀俊 (著) 」を読む」2025/4/17「歯科を職業とする人には、是非読んでいただくことをお願いする。」
- 「トウシの大切さ」・・・投資(とうし)・投歯(とうし)
- ⑬「十一 渡米」
- ⑫「十 運動軸(うんどうじく)」・・・「手仕事の医療」(てしごと の いりょう)
- ⑪『九 下顎運動』(きゅう かがくうんどう)・・・「手仕事の医療」(てしごと の いりょう)
- ⑩「八 ナソロジー」
- ⑨「七 ゆきづまり」
- ⑧「六 中心感染(ちゅうしんかんせん)」2024/11/4/up
- ⑦「手仕事の医療 評伝 石原寿郎 秋元 秀俊 (著) 」を読む・・・「五 銅合金」
- 『(歯科医院での)専門的口腔ケアは「インフルエンザ予防」に効果的なんです。』日本歯科医師会のHPより