『リアリズムのほんとの意味合いを知ってますか?』「ヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する論稿」 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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『リアリズムのほんとの意味合いを知ってますか?』「ヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する論稿」


古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログより
「ヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する論稿」の紹介
『外交政策におけるリアリズム』とは?
(日本の知識人の皆様、しっかりしてください!また現職の「政治家」の皆様は「リアリズム」の真の意味合いを理解しているのですか?)

http://suinikki.blog.jp/archives/87343779.html
『2023年05月01日
「同意しないことに同意する」というところから始める
キッシンジャーのリアリズム的な外交政策の真髄(第1回・全3回)2023年05月01日
古村治彦です。
今回は、少し古くなったヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する長めの論稿を3回に分けてご紹介する。非常に読みごたえがある論稿であり、ウクライナ戦争開戦から1年以上経過し、世界が転換しつつある中で、国際関係や外交政策について考える際の指標となる言葉がふんだんに収められている。キッシンジャーの外交政策の基盤にあるのはリアリズムという考えだ。国際関係論におけるリアリズムについてはこのブログでの何度もご紹介しているが、道徳とか規範といったものではなく、利益と生き残りを最重視する考え方である。敵対勢力に関しては、改宗や崩壊を求めるのではなく、封じ込めや共存を行うことを重視する。リアリズムを米中関係に応用してみると、米中双方がまず多くの相違点があることを認め、それらについてどちらかが考える、改宗するということはできないということを認めるというところから始めることになる。相違点がある中で、それをどうしようもない、無理に何とかしようとしてより悪い結果をもたらすことになるという考えを基に、外交政策、対中政策を考えることが基本となる。これがキッシンジャーの外交政策の基本だ。「相手が変わらない(変われない)ことを前提にして外交政策を作っていく」という姿勢は、私たちの人間関係の構築にも応用できる考え方だ。「相手を変えよう」とするのは無理だ、と思えば、それを前提にして対処、対応の仕方が変わってくるということになる。ウクライナ戦争について、キッシンジャーは昨年夏の段階で(戦争が始まって半年ほど経過した段階で)、停戦を主張していた。ウクライナ東部とクリミア半島に対するロシアの支配権を認め、ウクライナのNATO入りに反対というキッシンジャーの主張に対して、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領をはじめとするウクライナ側は猛反発した。しかし、実態は、今年に入って、ゼレンスキーは中国の習近平国家主席に対して、「頼みごとがある」という呼びかけを行い、ウクライナ訪問を要請している。「お願いがあるんだが、来てくれないか」というのは何とも傲慢で無礼な態度である。お願いがある方が出向くのが筋だ。このお願いこそは、ロシアとの停戦交渉の仲介だ。中国は中東における2つの敵対国であった、サウジアラビアとイランの緊張緩和(中東における核戦争の可能性が減少した)、国交正常化の仲立ちをしたという実績を世界に見せつけた。今度はロシアとウクライナの間の仲立ちだ。そもそも、ロシアに対して制裁を科しているアメリカとイギリスを中心とするG7諸国、西側諸国のいうことをロシアは聞かない。ロシアと話ができなければ仲介はできない。ロシアとウクライナの間をつなげるのは、中国しかいない。その中国が見事にサウジアラビアとイランの緊張緩和を成し遂げた。中国の株が急上昇したのは当然のことだ。こうしたシナリオの裏にはキッシンジャーあり、というのが私の考えだ。中国にロシアとウクライナの間を仲介をさせる、そのための箔をつけるためにサウジアラビアとイランの緊張緩和を仲介させた、この筋書きを作ったのがキッシンジャーだろう。ウクライナ戦争に伴う、核戦争の可能性を減らすための動きであると私は見ている。アメリカのネオコン、人道的介入主義派はおそらく、ウクライナ戦争開戦から早い段階で、欧米諸国の制裁によってロシアがギヴアップし、ロシアの国家政治体制を崩壊させることができると目論んでいただろう。その目論見が外れた今となっては、戦争を激化させて、核戦争まで進めて、ロシアを攻撃する大義名分を手にしようとしていただろう。そうした彼らの目論見をことごとくシャットアウトしてきたのがロシアだ。そして、こうした将棋や囲碁のような頭脳戦において、重要な一手を考え、実行させてきたのがキッシンジャーということになると私は考えている。以下の論稿を読めば、私がそのように考えるのもあながち飛び過ぎた空想ではないということが分かってもらえるだろう。
(貼り付けはじめ)
キッシンジャーの世界によくぞ戻ってきてくれました(Welcome Back to Kissinger’s World)
―ネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)は死んだ。自由主義的国際主義(liberal internationalism)は信頼を失っている。前世紀における偉大なるリアリストの考えに戻る時は恐らく今だ。
マイケル・ハーシュ筆2020年6月7日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2020/06/07/kissinger-review-gewen-realism-liberal-internationalism/

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ヘンリー・キッシンジャー米国務長官は1975年4月15日にワシントンDCにて連邦上院歳出委員会に出席。ジェラルド・フォード大統領による、南ヴェトナムに対する軍事援助と人道援助への予算請求について証言するために出席した読者の皆さんはヘンリー・キッシンジャーのことが嫌い、もしくは彼のことを悪魔だと考えているかもしれない。それでも皆さんはキッシンジャーを無視することはできない。特に現在はそうである。新刊『悲劇の不可避性:ヘンリー・キッシンジャーと彼の世界(The Inevitability of Tragedy: Henry Kissinger and His World)』で、ヘンリー・キッシンジャーと彼の活躍した時代を包括的にまとめ、知性の歴史について新たに論じたバリー・ギューエンが述べている通りだ。実際、私たちは今年5月で97歳になった年老いた政治家を無視することができないだけでなく、今まで以上に必要としている。より正確に言えば、私たちにはキッシンジャーのアイディアと直感(instincts)が極めて必要なのだ。キッシンジャーのアイディアと直感は、私たちが現在認識している通り、機能不全の世界をどのように生き抜くか、そして世界を何とか機能させていくかについてのものだ。アメリカ政府の観点からすれば、現在の世界は、キッシンジャー的な世界観の様相を呈している。アメリカの十字軍的な世界改革運動は終わり、失敗に終わった。破棄された土台の上で崩れてしまっている。ウィルソン流の十字軍主義(crusaderism 訳者註:世界改革主義)は冷戦期の賢明な封じ込め(containment)から一枚岩の共産主義という神話に対する、無益で妄想に満ちた戦いへと変化させた。この十字軍主義はヴェトナムで恐ろしい終焉を迎えた。そして、冷戦後の時代に、「悪(evil)」の政権を終わらせるという新レーガン主義の要請として再興し、イラクで悲劇的な結末を迎えたが、もうすっかり出尽くしてしまった感がある。そのため、アメリカ国民は率直な、新たな国内問題解決優先主義者(neo-isolationist)であるドナルド・トランプをホワイトハウスに送り込み、アメリカを世界から切り離すことができるようにした。コロナウイルス危機はトランプ政権の掲げた政策の実行を促した。そして、「アメリカ・ファースト・アイソレイショニズム(国内問題解決優先主義、”America First” isolationism)」の新しい波を鼓舞している。トランプ政権の米通商代表ロバート・ライトハイザーは最近の論稿の中で、中国の「略奪的な貿易・経済政策(predatory trade and economic policies)」と新型コロナウイルス感染拡大の起源を巡る欺瞞に対して、アメリカ経済の海外依存(offshoring、オフショアリング)を逆転させるよう主張している。トランプ政権は、前時代の世界のブロック化を呼び起こし、中国から切り離した、志を同じくする国々による「経済繁栄ネットワーク(Economic Prosperity Network)」の創設をもくろんでいる。2020年の大統領選が本格化する中、習近平国家主席を時折賞賛するトランプを、民主党の大統領選挙候補者であるジョー・バイデンが叩くなど、対中冷戦の様相を強め、民主党の中国攻撃が激化している。この大きな理由は、中国がWTOのルールを悪用して違反し、アメリカの中産階級から職を奪ってきたという不満が高まっているためである。アメリカは世界から離れる全く準備ができていない。確かに、アメリカの外交官たちは国際秩序から抜け出す方法を見つけ出してはいない。確かに、4分の3世紀(75年前)前の第二次世界大戦から生まれた自由主義的な国際秩序と同盟のシステムは、ありがたいことにまだ存在しており、私たちはそれらを活用し続けるだろう。しかし、同盟諸国間の不信感は深刻であり、協力は皆無に等しく、各国は自国のナショナリズムに傾倒しているように見える。国連やWTOのような国際的な機関は、ワシントン、北京、モスクワがトップの座を争う一方で、政策の遂行を懇願する、貧乏くじを引いた人物のような、腰の引けた状態になっている。国家間の大きなイデオロギー闘争は終わった、あるいは少なくとも深い冬眠の中にある。過去1世紀あまりの間に、王政(monarchy)、権威主義(authoritarianism)、ファシズム(fascism)、共産主義(communism)、全体主義(totalitarianism)が、それぞれ試行錯誤の末に破滅に向かうのを目撃してきた。そして今、私たちはある程度、民主政治体制(democracy)の失敗も経験している。ワシントンのように、多くの場所で両極化して(polarization)、麻痺しているように見え、誤報の流れに溺れ、ロシアのような悪意のある外部勢力にハッキングされているのである。また、資本主義が、生産手段の所有という点では冷戦時代の共産主義に勝るものの、社会的公正を生み出すという点では著しく劣ることが証明されている。世界で選ばれたこのシステムは、常に崩壊しやすい。

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リチャード・ニクソン米大統領とキッシンジャーはブリュッセルでのNATO会議に出席するためにエアフォース・ワンに搭乗(1974年6月26日)特に、ミネアポリスで警察に拘束されていた黒人が殺害された事件で発生した抗議行動に対するトランプ大統領の残忍なやり方が国際的に非難され、その結果、トランプ大統領の分裂的で偏向的な1期目が頂点に達した。それ以上に、大統領の愚かな排外的愛国主義(ジンゴイズム、jingoism)と手探りの新型コロナウイルス対策は、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代に始まった評判の失墜への道を完成させたに過ぎない。イェール大学の歴史学者ポール・ケネディが、この唯一の超大国は経済的・軍事的支配において古代ローマをも凌駕したと述べた、あの冷戦後の一極集中の瞬間(post-Cold War unipolar moment)が、20年も前、つまり2001年9月10日の時点でアメリカの威信がどれほど高かったかを今思い出すのは困難である。おそらくアメリカ史上最悪の戦略的誤誘導(strategic misdirection)であったが、ブッシュと彼のネオコンの教唆者たち(概念的に言えば、彼らは全員隠れている最中だ)は、国際社会に残る犯罪者、イスラム教徒のテロリストに対する世界的に統一された闘争であるべき戦いを、侵略と、もぐらたたきのような、疲労感だけが残る帝国主義的ゲームに変え、その過程で地上と空中におけるアメリカの脆弱性をさらけ出してしまった。そして、ブッシュはアメリカ経済に相応のダメージを与え、ウォール街の大暴落と大不況という結末を迎えた。一方、中国は台頭し、世界中に金融の影響力を広げ、ウラジミール・プーティンは威張りくさりながら陰謀を企て、ヴィクトル・オルバン、ナレンドラ・モディ、ジャイル・ボルソナーロはそれぞれの道を歩き出した。そして、アメリカ人は、自分たちがいかにひどい欺瞞に陥っていたかに嫌気がさし、まず、イラクを「馬鹿げた戦争(dumb war)」と呼んで有名になり、その後8年間もアメリカの海外関与について迷走した新人連邦上院議員(バラク・オバマ)を選出し、最後にアメリカ第一主義のポピュリズムを受け入れる、という反応を示したのである。こうした状況によって、私たちは、キッシンジャー、偉大なリアリストであるハンス・モーゲンソー(彼はキッシンジャーの先生であった)、そして現在の激しい地政学的緊急事態に直接的に立ち戻ることになる。世界的な無政府状態の中で、大国間の対立が激化し、モーゲンソーが理論的に構想し、キッシンジャーが実践的に習得したような、よく練られた、強硬な戦略外交が求められている。これはギューエンの著書の主要なメッセージであり、特に中国恐怖症(Sinophobia)が急増し、北京が全力で反撃している今、研究する必要があると考えられる。今日の中国は、「部屋の中のアパトサウルス」だとギューエンは書いている。
(貼り付け終わり)
(つづく)

2023年05月02日「同意しないことに同意する」というところから始めるキッシンジャーのリアリズム的な外交政策の真髄(第2回・全3回)古村治彦です。キッシンジャー論の2回目です。
(貼り付けはじめ)


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1969年のキッシンジャー(左)、1963年のキッシンジャー(右)、1973年1月24日のパリにおけるヴェトナム戦争に関する和平交渉で北ヴェトナムのレ・ドゥク・トと共に「米中関係の将来と、その正否に大きく依存する世界の平和と安定に対する答えは、過去にあるのかもしれない」とギューエンは指摘する。ヴェトナム戦争、市民的不服従(civil unrest)、ウォーターゲート事件、1970年代のスタグフレーションなど、外交官が大国間の共通認識と均衡を見出さなければならなかったアメリカの弱体化の時期に、キッシンジャーと彼の哲学が陽の目を見たのは、決して小さな偶然ではないだろう。このように弱体化し、混乱したワシントンは、キッシンジャーのお気に入りの対象であり、彼の最大の外交的大勝利の焦点であった中国に対して、今日、類似の場所にいる可能性があるからである。特に、大国間のライヴァル争いを安定的で平和的な生存様式(modus vivendi)に変えるために、ワシントンには、試行錯誤を経た現実政治(realpolitik)に立ち戻ることが必要であろう。中国研究者であり、北京の台頭を間近に見てきたオーストラリアのケヴィン・ラッド元首相は、最近『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した新型コロナウイルスの流行に関する論稿で次のように書いている。「不快な真実は、中国とアメリカがともにこの危機から著しく衰退してしまう可能性が高いということだ。新しい中国の平和(パックス・シニカ、Pax Sinica)も新しいアメリカの平和(パックス・アメリカーナ、Pax Americana)も、廃墟から立ち上がることはないだろう。むしろ、 米中両国の力は、国内外において弱体化するだろう。その結果、国際的な無政府状態へと緩慢と、しかし着実に向かい続けるだろう」。しかし、このように2つの大国が互いに弱体化する可能性があるからこそ、解決の糸口が見つかるかもしれない。その答えは、私たちが今日直面していること、すなわち永久に灰色の世界(permanently gray world)であることを認識し、受け入れることから始まる。第二次世界大戦以来、数世代にわたって、そして冷戦勝利の余波の中で、疑う余地のない世界支配に慣れてしまったアメリカ人にとって、これは受け入れがたいことである。しかし、モーゲンソーが70年以上前に近代リアリズムの原典『国際政治学(Politics Among Nations)』で先見的に描き、キッシンジャーがその外交キャリアで展開したのは、学界を除いて今ではほとんど忘れられているが、大部分がこの21世紀の混沌とした世界そのものなのである(ギューエンがその著書で見事に立証している)。モーゲンソーは、人間の統治と社会の完璧さ(perfection in human governance and society)を求める合理主義者たち(rationalists)が、ギューエンの言葉を借りて言えば、「悲劇の必然性(inevitability of tragedy)」を否定したと言って、人間社会の進歩(progress of human society)に関する信念の現在の崩壊を予期していた。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評欄を長年にわたり担当してきた編集者であるギューエンは、「モーゲンソーが直面した選択は、善と悪の間ではなく、悪とそれ以下の間での選択だった」と書いている(正直なことを述べると、ギューエンはたまに私に書評を書くように依頼してくる)。中国との国交回復、1973年の中東での停戦、更にはヴェトナム戦争の混乱と血なまぐさい終結、失われた何千もの命など、キッシンジャーのキャリアの多くが、この本の中で書かれている。キッシンジャーは人々から好意的な評価を受けるような人物ではない。ギューエンは著書中でこのことを詳細に述べている。キッシンジャーとリチャード・ニクソンは、第二次世界大戦で連合国が落とした爆弾よりも多くの爆弾をカンボジアに投下し、最終的に何十万人もの無辜の人々を死なせた。この政策と、1971年にバングラデシュで起きた大虐殺への無関心、チリで起きたクーデターに対する明白な支持は、シーモア・ハーシュからクリストファー・キッティンズまで、著名なリベラルの世代の人々を刺激し、キッシンジャーは偏執狂的で戦争犯罪者であるとレッテルを貼られたのだった。キッシンジャーの信念と動機には常に二重性(duplicity)があり、彼の言葉を借りれば、アメリカ人は「力の均衡を保つ(preserve the balance of power)」ため、戦うつもりはないことを知っていた。(キッシンジャーは1965年の時点で、ヴェトナムを訪問した後、ヴェトナムには勝てないという結論を出していたが、それでも戦争を支持していたとギューエンは指摘している)。ギューエンは、キッシンジャーをレオ・シュトラウスやハンナ・アーレントら、ホロコーストを逃れ、ワイマール民主政治体制の失敗に悩まされたドイツのユダヤ人思想家たちの系譜に位置づけようとしているが、シュトラウスのしばしば不明瞭な思想が後にネオコンを刺激し、ヒトラー時代のドイツからの難民であるマデレーン・オルブライト(旧姓コーベル)が熱心な強権派ウィルソン派として立場を確立していることから、ギューエンの主張の説得力は完全ではないだろう。しかし、キッシンジャーの考え方は、今、明らかに70年代のアメリカの弱体化に似た状況にあるからこそ、より大きな反響を呼んでいる。外交政策のエリートたちは、勝利を目指すのではなく、ただただ生き残ること(survival)を考え、特にアメリカの国内問題が当時と同様に間違いなく疲弊している現在、そうあるべきなのだ。ギューエンの本で最も残念なのは、キッシンジャーのニュアンスに富んだヒトラー的リアリズムの伝記と歴史的源泉を何百ページもかけて掘り下げた後、それを現在にあまり適用せず、中国にもほんの少ししか適用していないことであろう。なぜなら、21世紀の最初の数十年間に中国で起こったことほど、キッシンジャー的リアリズムの正当性を証明するものはないからである。冷戦後の世界市場と新興民主政治体制に中国を取り込むことで、中国を徐々に啓蒙主義的な規範(Enlightenment norms)へと導くことができると考えることがワシントンで流行した四半世紀後、このような幻想(illusion)は消え去った。かつてキッシンジャーは、こうした幻想を「敵の改心によって平和を達成するという古くからのアメリカの夢(the age-old American dream of a peace achieved by the conversion of the adversary)」と呼んだ。キッシンジャーは毛沢東と会談して以降、100回以上も中国を訪問してきた。彼の厳しい見方と適合するのは、新興の超大国中国だけである。そして、もしキッシンジャーの分析が正しいとすれば(おそらくそうであろう)、米中両国は、説教(preaching)を最小限にとどめ、努力すれば、歩み寄りを見いだすことができるだろう。

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北京の人民大会堂での国賓を迎える晩餐会(state banquet)で中国の周恩来総理からの料理を取り分けてもらうキッシンジャー※


冷戦後にアメリカの勝利を唱導した人々が理解していなかったのは、ソ連崩壊後、私たちが直面した「イデオロギーのない世界、それは、民主政体という超越的な処方箋が目の前の問題に対する答えにならない」ということだったとギューエンは書いている。実際には、それよりもはるかに悪い状況になっている。私たちは、社会と統治の完全性を求める全ての希望が裏切られ、革命を起こすべき大義名分がもはや存在しないというポストモダンの現実を率直に受け止めるべきだ。トマス・ジェファーソンの「自由の玉(ball of liberty)」は、かつてアメリカ人が世界中を動かすことを期待する言葉であったが、結局は溝に落ちてしまった。フリーダムハウスが最近発表した『移行中の諸国家(Nations in Transit)』という文書には、「民主政治体制の驚くべき崩壊(stunning democratic breakdown)」について記されている。特に、中央ヨーロッパと東ヨーロッパ、そして中央アジアの失敗を指摘し、「1995年にこの年次報告書が始まって以来、こうした地域の民主国家は現在、どの時点よりも少なくなっている」と述べている。歴史は脈々と続き、アフガニスタンのような弱小国は失敗し続け、アメリカや中国のような民主主義国家と独裁国家は互いに争うことになるであろう。しかし、この意志のぶつかり合いが、ある社会的・政治的組織形態が他の形態よりも有利になるような「偉大な目的論的成果(Great Teleological Outcome)」をもたらすとは、もはや誰も妄想してはいけない。その結果、キッシンジャーがかつて説明したように、「ほぼ全ての状況が特殊なケースである(Almost every situation is a special case)」ということになる。ナショナリズムの新たな台頭は、「アメリカと対峙することで国家や地域のアイデンティティが追求される(national or regional identity by confronting the United States)」ことになるかもしれないと彼は書いている。これは習近平の中国が行っていることだ。実際、今日のナショナリストの多くは、かつてソ連が行ったようにワシントンに反応し、外敵からの脅威を誇示することで国家統制を強化している。こうした、世界中のネオ・ナショナリズムは、ジョージ・ケナンがソ連に対して推奨したのと同じ柔術的な方法で対処されるべきだろう。アメリカからの彼らに対する脅威を軽減すれば、中国のような権威主義体制は自ずと衰退する可能性が高くなる。ラッドはフォーリン・アフェアーズに掲載した論稿で、習近平のコロナウイルスへの対応は「中国共産党内に重大な政治的不和をもたらし、その『高度な中央集権的指導スタイル(highly centralized leadership style)』に対する薄っぺらな批判さえ促している」と書いている(現在も習近平は深刻な内部課題に直面しているかもしれない)。ギューエンが指摘するように、キッシンジャーは2011年に出版した『中国論(On China)』で、何百万人もの中国人を死に至らしめたマルクス主義革命家の毛沢東でさえ、レーニンのような思想家ではなく「中国第一(China-first)」のナショナリストであり、アメリカと同様の例外主義の偏狭さ(exceptionalist insularity)を持つ国を代表していた。しかしアメリカとは異なり、中国の政権は海外への布教や熱意をほとんど必要としていなかった。今日の中国は、あらゆる場所で影響力を増している。しかし、世界各地にいわゆる債務植民地(debt colonies)を作ることは、完全な征服(outright conquest)よりもはるかに脅威が少ない。重要なのは、過剰に反応しないことだ。そして、冷静に対応するという選択は、米中両国にとって受け入れがたいものである、とギューエンは書いている。彼は次のように述べている。「限界と外交的妥協(limits and diplomatic compromise)を受け入れられるだけの知的進化(intellectual evolution)を遂げるか、あるいは血を大量に流すか、いずれにせよ、彼らは大切な例外主義(exceptionalism)を捨てて、ウェストファリア的な国際多様性(international diversity)のシステムと、不快ではあっても、より控えめな均衡(more modest, if uncomfortable, equilibrium)を実現しなければならないだろう。」 更に言えば、ワシントンと北京は、この新しい力の均衡(balance of power、バランス・オブ・パウア)を受け入れるために、他の主要な世界の諸大国を自陣営に引き入れる必要があるだろう。キッシンジャーは、このような事態の多くを予期していたとギューエンは書いている。数十年前、キッシンジャーはレーガンの時代と冷戦の終結が、ネオコンや自由主義的国際主義者(iberal internationalists)が期待したようなアメリカ型の自由主義的で民主的な資本主義(American-style liberal democratic capitalism)の新しい始まりではなく、むしろ「本質的には輝かしい日没(in the nature of a brilliant sunset)」であることを予見していた。キッシンジャーは、ウィルソン的な理想主義(idealism)がアメリカの外交政策の中心であり続けることをいつものように認めながらも、冷戦の勝利の中にあっても、それは議論における人権の優位性(特にソ連圏内での役割)によって勝ち取った部分もあると認めており、アメリカの指導者たちは新しい形の力の均衡を明確にしなければならないと書いた。キッシンジャー「世界のいくつかの地域で均衡を保つために、これらの地域におけるパートナー国は常に道徳的配慮だけに基づいて選ぶことはできない」と書いている。中国もまた、世界支配をどこまで進められるかという自問自答の議論を今日も行っている。この国の地政学的な用心深さ(global caution)の長い歴史は(常に言葉通りではないにせよ)心強いものである。このような自己懐疑と、キッシンジャーが好んだ言葉の1つである「限界(limits)」の相互探求の中に、たとえ米中2つの経済がサプライチェーンや金融の共依存(codependence)という点で切り離されても、共通基盤(common grounds)を持てる可能性がある。新しい形の力の均衡を見出すための賢明で積極的な外交がなければ、破滅的な、あるいは世界を終わらせるような過失(missteps)が生じる可能性があるからだ。特にキッシンジャーは、ウィーン会議に始まり1914年8月に終了した、100年にわたる平和を最も深く研究してきた人物である。今日のワシントンや北京の多くの人々と同様に、当時のヨーロッパの指導者たちは「リスクを取ることが効果的な外交手段である(risk taking was an effective diplomatic tool)」と軽率に考えていたとキッシンジャーは書いている。現在、北京はアメリカの民主政体に対してボットの軍隊と数十億ドルを用意している。ワシントンの多くの人々は、共和党の新星であるミズーリ州選出のジョシュ・ホーリー連邦上院議員の言葉を借りれば、「全ての自由主義国の国民にとって脅威である(a menace to all free peoples)」北京の帝国主義者に立ち向かうための新たな冷戦を無謀にも呼びかけている。この危険な新しい主張の最初の課題は、WTOからの脱退である。WTOのもとで、中国は「国際経済システムのルールを自らの利益のために曲げ、濫用し、破って」、300万人のアメリカ人の雇用を奪ってきた、とホーリーは5月20日の演説で述べている。

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左:2018年11月8日に北京の人民大会堂で習近平中国国家主席と会談するキッシンジャー、右:2017年10月10日にホワイトハウスの大統領執務室(オーヴァル・オフィス)でドナルド・トランプ米大統領と会談するキッシンジャー※


(貼り付け終わり)
(つづく)