⑦「手仕事の医療 評伝 石原寿郎 秋元 秀俊 (著) 」を読む・・・「五 銅合金」 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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⑦「手仕事の医療 評伝 石原寿郎 秋元 秀俊 (著) 」を読む・・・「五 銅合金」


五 銅合金
 和夫人は、痛めている肩膝をかばうようにして台所に立つと、しばらくして私だけのために一皿の水ようかんを出してくださった。普段、食べることに卑しい私も、さすがに私独りの皿には手をつけかねたが、その様子を気にするでもなく、和夫人は石原教授の思い出を話し始めた。それは、ある日の無邪気な喜びようだった。

 「ママね。今日はとっても嬉しい。銅に勝ったんだよ。」
 だって、銅って緑青が出るから、からだに悪いに決まってますでしょ、と和が応えると、そうだそうだと、寿郎は子どものように喜んだ。
 「ほんとうに無邪気に喜ぶんですのよ。」
 話題が話題だけに石原教授の無邪気な喜びようというのが想像しがたいのであるが、それは銅合金の保険用材料採用中止が決定的になった日のことだった。
 石原が、補綴歯科学会で歯科用規格委員会を設置して本格的に代用合金問題にかかわるのは昭和三七年のことであり、二〇〇ページに及ぶ「銅合金に関する見解(案)」をまとめたのは昭和三九年のことだが、ここに至る道程は長い。

 昭和三四年。若いビーチに刺激を受け、臨床医の教育に意欲をかき立てられた眞鍋は、開業医を相手に、東京歯科医学講修所という戦後初の私設研修会(ポストグラジュエートコース)を開設する。そこで年に数人を相手に米国流のモダンデンティストリーの講習を始めた。後に東西の開業医グループの雄となる峯田拓弥、川村泰雄らがその初期の受講生である。ここからスタディクラブと呼ばれる開業歯科医師の勉強会が生まれて、その影響が全国に及ぶことになる。
 この時代を神田川の南側から描くなら、モダンデンティストリーが急速に拡がる時代に、川向うには、旧弊で権威主義的な官学があったという話になる。
 河の南側の日大では米国流の鋳造冠が着実に浸透していたが、石原はぐずぐずしていた。ぐずぐずしていたのは、「問題の本質は歯頸部の適合」と考えていたからだが、開業医たちからは「やっぱり学者先生は古い」と揶揄された。
 石原は、お茶の水の学内学会である口腔病学会に日本大学のビーチを呼んで講演を頼み、それをきっかけにようやく昭和三五年、鋳造冠とバンド冠を学生が選択できるようにした。敢えてバンド冠を残したのは、卒業して保険診療をする場合には、バンド冠の技術が必要になるであろうし、そうれあれば少しでも質の良いバンド冠をつくれるように教えておきたいという思いだった。しかし、石原や教官たちの予想に反して、翌年にはバンド冠を選択する学生は一人もいなくなった。
 「本学学生の中からわれわれの講義および実習の中から帯環金冠を除いてもらいたいという強い要望が出たことは注目すべきことであった。当人は歯科補綴の現状を憂える非常にまじめな学生であって、その熱意は大いに感心させられたが、上にのべた理由を上げて一応納得させたものの、果たしてわれわれのとっている漸進態勢が正しいか否かについては深く反省せざるを得なかった。」
 それでもなお、講義と臨床実習では両方を教えていた。バンド冠の講義を全廃したのは、さらに下って保険の点数改定で鋳造冠の点数が増えた昭和四〇年である。石原の回顧は至って控え目で、自責の言が端々にのぞくのだが、「教育上正しいとする最低限の補綴方法」すなわち保険で十分な鋳造冠の評価を得るために働いたのは、他ならぬ石原自身だった。過去一年の症例から一〇〇歯を抽出して、それに要した材料と時間を算出し、綿密に実証的に原価計算資料をつくって厚生省当局と粘り強く交渉した。それが鋳造冠の高い評価につながった。そこまでして初めて大学のカリキュラムからバンド冠を廃したのである。石原の志は高く、背負っている荷は重かった。

 もうひとつ、鋳造冠を保険で処置する場合、大きなネックは金属の問題だった。
 昭和三二年当時、「クラウンブリッジに帯環を使うのが、うちの学校では70%」。うちの学校とは、「時代遅れ」の「お茶の水」である。当時、保険に採用されたパラジウム合金については、評価は微妙だった。 
 同じ大学の補綴の三人、すなわち中沢勇(一九四六~七七年しか補綴学第一講座教授)、林都志夫に石原が加わって、補綴物用の金属について語った座談記事がある。

 林 キャストクラウンに使えるメタルがあるかどうかですね、現在。
 石原 パラジウム合金と銀合金は使えるわけです、銀錫系の合金はやはり駄目ですね・・・
 中沢 だからパラジウム金は使えそうな気配がしているから、あれをもう少しよくできないかどうかということだねえ、・・・それでなければ、まあ金のカラットを下げて18Kか16Kでも、そのへんで少しいゝのができればいいと思うんだけれどもねえ。・・・
 中沢 ・・・、パラジウム金というのは、かなりいゝ合金なんだけれども、あらゆる面において少しずつ欠点をもっている。・・・
 石原 しかし、パラジウム金が使えるということはとにかく有難いことですね。
 中沢 ほかにないからしょうがない。普通の銀合金じゃまるでいかんから。

 石原はその席で、代用合金は減らす方向で考えるべきだと語っている。
 「日本は貧乏だから、代用合金を使わなければやっていけないという考えが先にたって、その内代用合金でもすむからそのほうが都合がよい、となる。・・・よい金属を患者自身のために使うという決意をもってやれば、私は代用合金を使う率はいまよりもっと減ると思う。」
 かなり楽観的な見通しである。ここでいう代用合金とは、古くから使われていた銀合金、そして、このころ話題になっていた銅合金を指す。

 銅合金は、昭和五年ごろにドイツから輸入されたのが始まりで、世界恐慌の時代に国産されるようになり、なかでもオルデン(安藤合金社)という商品が爆発的に使われた。ただ、この銅合金は、口の中に装着してひと月ふた月で表面に「あばた」状のブツブツができた。これは欠点というよりも材料としての致命的欠陥だった。
 この銅合金が改良され、国民皆保険化を進める厚生省に注目され、歯の詰め物(インレー鋳造修復)用の金属として検討されることになるのだが、これが歯科医療界を二分する対立に発展する。
 銅合金の火付け役は、後にお茶の水の歯科保存学教室の教授となる総山孝雄である。先にふれたが、総山は第一次公職追放解除によって昭和二五年にようやく東京医科歯科大学の講師を任用された。しかし、その直後、大量喀血、肺結核の重篤化により死地を彷徨うことになる。東洋女子歯科医専の教官のときに血痰を自覚していたようだが、からだに自信があったせだろう、無理を重ねて重篤化させてしまった。運良く魔法の弾丸と呼ばれたイソニアジド(イソニコチン酸ヒドラジド)が昭和二七年いわが国でも使えるようになった。これで奇跡的に回復、療養生活を経て、昭和二八年に付属病院文部省内分室の指導を任された。それを機に、歯の型を採る改良アルジネート間接法の臨床試験とインレー用代用合金の比較試験に取り組み始めた。
 その合金の臨床試験の結果は、意外なものだった。新しく開発された銅合金のネオデン(林合金化学研究所)がきれいな金属表面を保ち続けたのである。オルデンなどそれまでの銅合金には「あばた」を生じる欠陥があったが、林合金化学研究所の林実が提供してくれたネオデンという新しい銅合金にはこれが現れなかった。「あばた」は、黄金色を出すために微量のアルミニウムを加えていたことにより生じるもので、アルミニウムをなくすと変色や着色はほとんど生じないネオデンが完成した。総山は、ナオデンの開発者である林実とすぐに深い間柄になって、研究に協力するようになった。
 しかし、新しい銅合金のネオデンには欠点もあった。色が黄金色でなく真鍮のようにくすんでいる、しかも硬すぎるために仕上げの技工操作も難しかった。

 総山に代用合金の研究を指示したのは、お茶の水の修復学教授の檜垣麟三だが、銅合金の研究を強力にバックアップしたのは巖真教(東京高等歯科医学創立の一九二八年から東京医科歯科大学退官の一九六五年まで教授)だった。巖は、旧制一高、東京帝大医学部卒のエリートだが、文部省歯科病院に入ったばかりの大正十五年から一年間兵役に就いた後、高等歯科学校でラテン語、ドイツ語、補綴学を教えた。昭和十六年には、歯科理工学の教室を興して十年になるベテラン教授だったというのに軍医となって出征し、招集解除となるまで軍務についた。からだに恵まれ、長く兵役に服したという点で、若い総山とは相通ずるものがあった。
 総山は、この時期、フルブライト奨学金を得て米国に留学しているが、帰国した昭和三二年の秋に、林実から「美しい色沢が出ることが発見された」との報を得た。アルミニウムの代わりに少量のインジウムを加えたところ銅合金が黄金色に輝いたという。翌昭和三三年夏、林合金化学研究所と森田商会はこれをプロゴールドの商品名で発表し、その後、総山は「銅系合金の臨床成績」について研究報告を公にした。
 新しい銅合金が、耐腐食性や変色・着色において14カラット金合金よりもむしろ優れた性質を示すことを述べた総山の報告は、歯科医師会と厚生省の注目するところとなった。価格が安く性能の優れた金属が登場したとなれば、皆保険政策を進める厚生省が保険用材料として採用に動くのは当然のなりゆきだった。
 「歯科医師会の編集委員から、あなたはこの頃ちっとも論文をくれないが、何か一つ臨床的なものを書いてくれということをずいぶん前から言われておりましてね、・・・。」総山は発表の事情について、乞われて仕方なく出したものだと、語っている。その論文の趣旨は、アメリカで研究してきた鋳造法やアルジネート間接法の紹介で、「代用合金としてはこういういいものができた。臨床試験をしてみると非常にいいというようなことにちょっとふれたのですね。それにたまたま歯科医師会の方で目をつけられ・・・」たと、保険用金属を意識した研究報告でなかったことを強調している。
 問題になった「鋳造冠の作り方」という論文は、たしかに銅合金に関する記述はわずか二段落に過ぎないのだが、かなり踏み込んだ筆致である。
 「20K以上の金合金には勿論劣るが現在保険に採用されている14K金や金パラ合金には遥かに優るものである。・・・1日も早く保険に採用されて大衆医療に貢献することを祈って止まない。」
 補綴の学者たちは、保険採用を意図したものでないという総山の弁明を真に受けはしなかった。新しい銅合金プロゴールドの保険材料採用を推したのは、日本歯科材料器械学会(器材学会)と日本歯科医師会であるが、この器材学会というのは、巖が音頭をとって昭和二六年に設立した学会で、今で言う産学協同、学問だけでなく業界の経済的利益を視野に入れた学会である。設立時の役員は、巖が会長、副会長には歯科材料メーカーである而至化学工業社長の中尾清(一九四六~八三年而至化学工業、而至歯科工業社長)と総合歯科商社森田歯科商店の製造部門から独立した森田製作所の森田二郎(当時社長)が名を連ねていた。
 この器材学会側が巖、鋳造冠で先を行っていた日大の永井一夫、それに総山を加えた三氏を講師にして新しい代用合金の講演会を企画したところ、これに対抗して補綴学会は銅合金の保険採用は好ましくないとする講演会を開いた。こうして、たちまち対立はエスカレートした。この年の暮れも押し迫って、日本補綴歯科学会(山口秀雄会長)が橋本竜伍厚生大臣に「国民医療・・・の極端なる低下をきたすことは明らか」であると訴える反対要望書を提出した。
 年が明けて、銅合金をめぐる対立がエスカレートする中で「歯科時報」という業界雑誌が対立する両者を同じテーブルに着かせて意見を交える場所をつくった。
 この銅合金保険導入は歯科医療界を二分する対立をなったと書いたが、この対立は、たんに銅合金の評価をめぐる対立ではなく、歯科医療の中に保険診療をどう位置づけていくか、という政策判断にかかわる意見の対立であり、さらにそれは医療の目的、医療の価値をどこに置くかという考え方の違いを反映した対立だった。
 ある補綴家は、孫文の「東洋の王道、西洋の覇道」をもじって「患者本位の仁徳にもとづく補綴の王道が、国家経済本位の保存の覇道か」とこれから生まれる対立を予言してみせた。
 「そもそも日歯(日本歯科医師会)は、どうしてお茶の水の総山に鋳造冠を書かせなきゃならんのだ。」いまでは鋳造冠は補綴学の領分だが、鋳造冠が始まった当時は補綴―保存の二つの分野の境界線上にあった。

 「何やったってよくやろう、よくやろうというのが私たちの社会の考え方なんだ。だからいい金属があるのにこっちの方でもいいということを言う必要ないはないですか。」
 補綴家の大御所であった矢崎正方(当時東京歯科大学名誉教授、一九二三~四一年東京歯科医学専門学校教授)は、代用合金不要論である。ここで「私たちの社会」といっているのは日本社会ではなく良識ある歯科医師の社会、言い換えると補綴臨床医の社会だろうが、その作法を重んじるなら、わざわざ安物を使う必要はない。なぜならば、保険用材料に銅合金を認めるようなことをすると、「着物をこしらえるのに、木綿の着物を縫うときには大雑把だけれども、お召しの着物にをぬうときは丁寧にやるという・・・精神上の問題がからんでいやしないかと思う」からだ。安物の材料を使えば、作業も粗雑になるのがこの世ののならいだ。
 「世の中を、余りごちゃごちゃするようなことは、やめておいた方がいいのじゃないか・・・」
 「性能がいいからただ易い銅合金でもいいというようなことではどうも社会的にはちょっと困る問題が起きるのじゃないかな」とも言う。
 矢崎の言葉は、その主語をあいまいにした独特の表現もあって、合理的な主張には聞こえない。
 これに対して総山は、性能が良くて価格が安いのは困るというのでは理屈にならないと、厳しく反駁する。その論ずるところは、合理的である。総山の言に理があるようにみえる。しかし、矢崎の言わんとするところは、「銅合金」を「プラスチック」に置き換えてみると、少し理解できる。物性がいくら優れていても、つくりものはつくりもの。この後一〇年ほどして、私たちの身の回りの様々な生活用品が、木や金属や瀬戸物からプラスチックに取って代わられた。プラスチックは、物性が均一で安定して優れていて、かつ安価だった。身の回りのあらゆるものがすっかりプラスチックに代わって初めて、人々はその味気なさに気づいたのだった。
 矢崎は、理屈ではなく補綴家の仕事をただ大事にしたいのである。この補綴の大家からみれば、新しい銅合金を手にして「性能がいい」とづれて廻る総山は、材料屋の使い走りにしか見えない。

 総山 ・・・患者にもう私は二百四例、口の中に入れているのです。
 河辺(ママ) だって二百四例入れたからって、それは何年で。経年年数がなければね。
 総山 もう試験を始めてから一年以上になりますよ。
 河辺 一年じゃだめですよ。一年じゃ問題にならない。・・・例へばブリッジは二十年超すくらいは持っていなければだめですね。
 総山 あばたになるのは大体一カ月で出てきますよ。・・そのあばたが解消されたから、私はこれがいいということを言い出したのです。・・・
 河辺 解消されたからというのは暴言じゃないですかな。
 総山 暴言じゃありませんよ。
 河辺 暴言ですよ。それは完全に暴言ですよ。だってね、・・・金属学的に金属を分析した表を見て、大した差がないのですからね。
 総山 学問というのは日進月歩をするのですから・・・。過去の常識で不可能なことを可能にsていくのが学問ですから・・・
 河辺 だけれども可能にするものが、入っていないじゃないですか。
 総山 そんなことどうして分かりますか。

 補綴学会側は会長の山口秀雄(一九二七~日本歯科医学専門学校教授、一九六六年退職まで日本歯科大学教授、一九五七年日本補綴歯科学会長)が出席を辞退して、代わりに東京歯科大学の教授だった河邊清治(一九五一~六一年東京歯科大学教授、一九六八~七〇年日本補綴科学会会長)が矢面に立って総山を攻撃する。補綴家たちは、総山の研究について、品質の悪い銅合金を保険用金属にするための研究に過ぎないと、ハナから取り合わない。これに対して若い総山は、研究の結果だと一歩も譲らない。精悍な面構えの総山は脚を組んで背を伸ばし、どこか微笑んでいるようにさえみえた。
 河邊の否定派、あまりにも一方的にみえるが、ここまで頑強に否定するのは、同じ大学の理工学の金竹哲也(一九五五~九二年東京歯科大学しか理工学教授)の意見があるからだった。
 「私も先程の、お話の歯科医師会の会議に出た一人なんですが、そのときに初めてプロゴールドというサンプルをいただきまして・・・、一応のデータが出たところで、・・・突然歯科医師会の方が見えまして、この前配ったサンプルは粗悪品だったから、今度のがいいのだというので、新しいサンプルを持ってこられたのです。総山先生にお聞きしたところ、非常にメーカーさんが次々に処方を変える癖があるのだそうで・・・」そもそも試験サンプルがいい加減。「総山先生の御好意で取り替えていただきまして、そのものについて試験したのですが、分析いたしますと、この合金は九九%以上銅と、亜鉛、つまり真鍮だということがわかったわけです。・・・真鍮に0・何%の元素を加えることによって、飛躍的に口の中で優秀な成績を発揮するということはまず考えられないのです。」
 画期的な合金をいいながら、その実九九%以上真鍮だとすると、これは騙されていたようなものだ。
 この座談の冒頭、「歯科時報」の主筆で社長の中安順次郎は「材料屋の雑誌が・・・」と自嘲的に自己紹介をして話の口火を切ろうとしたのだが、器材学会の永井はそれを咎めた。「材料学に興味をもっている人の雑誌」と言うならいいが、材料屋の雑誌というのはよろしくない。しかし、画期的な発明と謳われた新しい金属が真鍮だったとすれば、材料屋の雑誌が片棒をかつぐという自嘲は冗談にもならなかった。これは詐欺に等しい。
 しかし時代の風は、総山によって追い風だった。同じ雑誌に、総山は小論を寄せている。
 「本邦の社会保険では前歯部インレーに14K金を処方指定しているが、この種組成では金の特徴は大部分失われ・・・。この14K金はその耐蝕性においても銅系代用ネオデンと大して変わらず、歯間黒染の状態は、この合金が金合金を称するよりも、むしろ銅合金を称すべきもの・・・。」
 金合金を含め、銀合金を除くすべての歯科用合金は、量の多少はあるが銅を含んでいる。その意味では、前年に保険で使えるようになった14カラットの金合金も銅合金の一種だというのが総山の理屈だった。質が良くて安価なものを推奨するのは、理の当然だった。「歯間黒染」とは、銅イオンによって歯と歯の間や歯茎との境目が黒く染まった状態を指すらしい。銅表面が錆びて生ずる銅酸化物は水溶性なので、唾液に洗い流されやすい部分は金色に光っているが、唾液に洗われない歯と歯の間が黒くなる。総山が推奨する新しいプロゴールドは、唾液に洗わるところが金色なのはもちろん、この歯間黒染がほとんどない。わずかに黒染が生ずるが20からッとの金と同程度であることが臨床試験で明らかになったという。
 ただ、少し考えると、臨床試験を言いながら金属の色ばかりに注目しているところが気にかかる。総山は、各種合金の臨床的性能比較表のなかで、プロゴールドの色調を「金色美麗」と表現している。

 総山 このデータを見てもらえば、いいというのはもう事実なんです。
 河辺(ママ) このデータは、・・・信用できない、臨床家としてですね。
 総山 いや、・・・テストされた金属のうちでは一番いいですよ。
 河辺 いや、それはわからない。あなたがいいと言ったって、・・・“私はいいと思う”ということに訂正してください。
 総山 これは理工学的性質として機械で試験したのです。7それから私は患者に試験しました。
 河辺 だから“私の実験では”というのでしょう。

 いささか感情的な言い争いにみえるが、この座談の時点では局外者だった石原は翌年に出版した書籍で、さらに明確に同じ大学の同輩総山を批判している。
 「最近わが国において問題となっているのは銅合金で、巖、総山らは特異な立場から冠用材料としてこれを推奨している。銅合金は・・・耐蝕試験では明らかに不適格であり、・・・川原は組織培養から細胞毒性を認めている。したがって銅合金の生物学的妥当性を認むべき根拠はないが、総山はこれら現行の化学的耐蝕試験法および組織反応試験法を臨床条件と背馳するものとして否定し、専ら臨床試験成績による適否判定の価値を主張している。」
 石原は臨床重視の人なので、「臨床試験を尊重すべきはいうまでもないが」としながら、その評価基準もあいまいで、「短期間一部の研究者による判定結果には客観性が乏しい」とし、「今日の補綴学では銅合金の使用は是認されていない」と断じるのである。
 これは補綴畑の学者の常識だった。補綴歯科学会では、代用合金の検討を迫られた日支事変の時代に、詳細な検討をしていた。口腔内に装着した銅合金が光沢を維持するのは、電位差のために分解が進むためで、長所とは言い難く、むしろ代用合金としては色が黒灰色に変色するパラジウムの銀のほうが、分解されにくく生物学的には安全性が高いという評価ができていた。プロゴールドお「金色美麗」は、生物学的な安全性を疑わしめるものという認識が古くから補綴畑の者にはあったのである。
 しかし、時代は総山に味方した。この後、厚生省の補助金(昭和三六年度)を得て、全国七大学の保存修復学教室で、プロゴールドの臨床評価研究が行われ、銅合金を保険の冠用材料とする動きは着々と進んだ。やや先の話になるが、総山は、昭和三八年に東京医科歯科大学の学会誌である「口腔病学会誌」に一〇年に及ぶ新銅合金に冠する研究をまとめた総説論文を発表している。その中で、昭和三六年の夏に、ついに三年前の最終試験資料に劣らないものが完成したと振り返っている。

 そのころの雑誌に、プロゴールドの一ページ広告(森田歯科商会 林合金化学研究所製)が出ている。今読めば、さすがに滑稽な文面である。
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 専売特許 歯科用 金色合金
 プロゴールド 鋳造用
 ・銅は赤血球中ヘモグロビン産生上絶対必要成分である。経験医学である漢方医術は300年前に緑青を増血剤として適用された記録がある。
 ・亜鉛は膵臓の重要成分でありホルモン・インシュリン産生に一役かっている。尚毛髪・爪の有用成分でもある=之等の学理は最新医学の定説である。
 ・プロゴールド・・・は金の代用品、所謂模造金ではなく独自の歯科用合金である。
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 その他、縷々安全性と微量元素としての必要性、銀、銅の医学的毒性比として、銅は無毒だが、銀は一生生涯不治の銀病を起こす、などと書いている。
 銅は無害だ、というのは巖の主張で、それを総山が文章にした。この広告文案はほとんど総山の論文の文章を写したものだ。
 「市販されておるグリーンピースのカン詰なんか、あれはグリーン色を与えるために、一キログラムについて二十五ないし百二十ミリグラムですか、それだけぐらいの銅の塩類が入っているのですね。」と総山は、説得力のありそうな事例を引いている。
 総山の保存修復学は、むし歯になった歯の軟化した歯質を除去し、その歯を守るために削ったり被せたりという処置をする。補綴学も、やはり一本の歯を削ってかぶせる。歯を精密に削って、その穴(窩洞)に鋳造した金属を嵌め込む(インレー修復)のは保存修復学の仕事で、金属を鋳造して歯の一部をカバーする部分被覆冠から全部カバーする全部被覆冠は補綴学の分野になるのだが、問題漢には、その境界線はほとんど分からない。境界線あったりでは、両者はほとんど同じことをやっているように見える。
 いや、事実まったく同じ場所の領分を争っているからこそ対立が深まったのである。

 巖は、終戦間もなく厚生省から補助金を受けて歯科用銅合金の研究を始めた。その中間報告会で「政治問題になるだろうということはわかっておる。・・・必ずこれは問題になりますから、ほかの方がお持ちになったならば問題がある、私がやるということをおぼえておいて下さい」と見栄を切ったのだと自ら言う。
 「銅合金は昔から使われておるという事実と、・・・丁寧に使った場合には二十年、三十年と使えるものであるという事実、・・・金属自体としてどれほど進んだかということは大したことはないかもしらんけども、口腔内所見や技工上の問題として非常によく進んできた。それと総山君の名文とによってこれが大きく浮かび上がってきたということです。・・・私が専門でやっていることですから政治上の問題ではありません。」
 ここでいう「政治上の問題」とは、医療の社会主義化すなわち皆保険化を指す。同じ座談の中で、理工学の永井一夫は、解説する。
 「日本の・・・医療形態(ママ)というものが、資本主義系態(ママ)の医療で納まるのか、あるいは共産主義――とまではいかなくても、社会主義形態の医療行政に移っていくのかという、二つの東西の思想的の問題もあると思うのだ。・・・一部の階級だけに医療サービスと「いうものを行っていればよいのならこれはもうきれいなものだと思うのです。ただ、今日は日傭労働者だって全部デンタルサービスを与えようとしているときに、ノーブル・メタルだけでは進めない日本の経済の弱さがあるのじゃないか。・・・今の厚生省の意向あたりは、・・・国民皆保険にしちゃうのだからね。・・・貧しい人たちにもそういうサービスが与えられるということは、これはまた社会主義的な立場からすれば喜びじゃないか。」
 もちろん皮肉でこう言っているのである。日傭労働者とは、俗にいう「ニコヨン」。職安で受け取れることのできる失対事業の低額日給が百円二枚と十円四枚だったので、そう呼ばれた。日雇いとは失業者を意味した。復興とともに住む家と定職をみたないニコヨンは、大阪では釜ヶ崎、東京では山谷のような寄せ場所近辺のドヤ街に集まるようになり、「日雇い」という言葉には多分に差別的な響きが生まれた。「日傭労働者だって全部デンタルサービスを与えようとしているとき」というとき、貧富の差のない医療給付を始めるという意味を同時に、弱い者に施してやるという意識が見え隠れしているのである。
 たかが銅合金の保険材料化をめぐって資本主義だ社会主義だと論ずるのは荒唐無稽に聞こえるが、当時、ヨーロッパではベルリン危機、アジアでは朝鮮戦争、国内では三井三池争議をはじめ労使対立が先鋭化していた。国民皆保険、国民皆年金という保守合同の社会保障政策は、資本主義の中に社会主義を取り込んでケインズ的社会主義であると位置づけられていた。社会保障は、資本主義を維持するために、その矛盾を解消する政策と考えられていた。
 「私がやっているから政治上の問題でない」と巖が言うのは、原理主義者の私が言うのだから、この銅合金を推奨するのは、社会主義的な意図とは無縁だという意味なのだろう。巖の原理主義は、農本主義でもなく、キリスト教原理主義でもなく、歯科理工学原理主義のようなものだった。
 皆保険化前夜、医師にせよ歯科医師にせよ開業医の間には、政府厚生省の医療政策を社会主義政策だとして抵抗するという空気が満ちていた。しかし、着実に進む皆保険化政策に対して、どのようなスタンスをとるべきか、学者たちには現実的な選択が問われていた。
 とくに石原の考えは、純粋な補綴臨床家のものではなく、保険診療の普及を支えなければならないという思いも強かった。だから悩みも深い。
 「もちろん歯科が一部の豊かな人のみを対象としたものであってよいはずはないので、無闇に高踏的なことばかりもいっていられない。」
 銅合金問題の論争の引き金になった総山の論文は、「鋳造冠の作り方」という標題のハウツウ記事で、「帯環金冠か」という節から始まる。現在の常識からみれば、完全に補綴学分野のテーマである。その鋳造冠のための歯の削り方(形成)では「新しいダイアモンドジスクの利用でこれまでの苦労が一変する」、金属では銅合金が14K金に優り、型の採り方(印象)は而至社のアルジネート印象材を用いた簡便な間接法、松風社のクリストバライト埋没材を用いてブリッジも一塊(ワンピースキャスト)で精密鋳造できる、これは「大して頭は要らないから、技工手に一寸教えてやらせれば歯科医は全くくわえ煙管である」などと補綴家の良心を逆撫でする。補綴家が歯科技工士と呼んでいる職種を「技工手」を軽く扱い、あえて「くわえ煙管」などという芝居がかった表現を使って、総山は意図して補綴家を挑発した。
 挑発されたほうの若手であった石原は、やや時代は下るが、歯科技工士法制定から一〇年を経た歯科技工士をめぐる座談で、歯科技工士の職業意識としてのプライドについて次のように語っている。
 歯科技工士には、「何かある意味では歯科医ではできない、あるいは少なくとも歯科医自身がやるより現実上成果のあがるある特技上の分野をもっている」という「職業意識としての内的なプライド」があるべきだというのである。頭は要らないから仕事をやらせて「歯科医は全くくわえ煙管」という総山の意見とは、まったく相容れない。そもそもGHQの公衆衛生医官サムス大佐は、医者が薬商売で医療歪めることを防ぐために医薬分業を進めようとしたのと同じ理屈で、歯医者が貴金属で儲けることにならないように歯医者と歯科技工を分業すべきだと考えていた。しかし、歯科医師会は、これに真っ向対立したため、技工法制定にあたってしか歯科技工士の職業意識を特徴づけるような歯技分離が実現することはなかったのである。そういう歴史があるから石原は、「職業意識としての内的なプライド」と言っているのだ。

 総山の専門は、むし歯を削って、削った穴を詰める、しっかりと詰めることで歯を守るのだが、主任教授の檜垣は、口の外で詰め物(インレー)を製作する間接法を研究することを総山に支持した。先のハウツウ論文では、インレーどころか、当時歯科補綴学の領分であった帯環金属冠を徹底的に批判したうえで鋳造冠、さらにブリッジまでを論じた。
 先の座談で、補綴家たちは、その総山の勢いに圧倒されている。
 矢崎 それは鋳造体ですか、板ですか。
 総山 板にもなりますけれども・・・
 矢崎 何かそんな噂を聞いたんです。板にして、それを何か金冠の代用にでも使っていいというような・・・
 総山 林合金(の林社長)というのは、一風変わったちょっと面白い人なんです。板にして売れば非常に儲かるだろうけれども、しかし帯環金冠というものには技術上の問題がある。金属の問題でなくて、技術的に歯頸部に合わせることが非常に困難であろう。現実に日本の社会に帯環金冠が氾濫して非常な害をなしているから、たとえ私がいい合金を作っても、・・・

 この当時、クラウンもブリッジも、金属の板を加工してつくるのがポピュラーだった。金属板を歯の周りに帯のように巻く帯環金冠は、「国辱的金冠」と非難されていたと先にもふれたが、非難されながらもこれがクラウンの主流だった。矢崎の質問は、そこに気にしているのだが、議論の流れからみるとピント外れだった。矢崎のような名人旧の補綴家が、帯環金冠をぴったりに合わせるとしても、総山はそういう議論には価値を認めない。保険で普及したときには、職人的な手仕事の精度は忘れられるに決まっているからだ。アメリカでは、そんなものはすでに過去の遺物だった。総山は歯を削る器具も、安価な金属も、型を採る簡易な方法を提案して、鋳造冠を一気に広めて、帯環金冠はなくそうというのだ。他方、補綴の石原が、帯環金冠からその鋳造冠に移行することに、学者らしい躊躇をもっていたことは、先にふれた。ぐずぐずしていたのである。
 
 リンゴが二つくっついて並んでいるとする。リンゴとリンゴの接しているところが小さく腐っている。リンゴを動かさずに腐った部分を切り取るために、保存修復学では腐った部分の上からボックス状い切り取ることを推奨していた。歯はほかのからだの組織と違って再生しないので、健全な歯の組織はできるだけ残したい。このため歯と歯の接するとこを(隣接面)にできたむし歯を修復するときに、健全な組織はできるだけ削らない。一九世紀末にブラック(G.V.Black)が、修復の予後を考慮した削り方の公式「ブラックの窩洞分類」をつくったが、この原則に則って隣接面はⅡ級窩洞というたたちに削る。総山も進級試験では、当然それを正解とするが、実習では、学生たちには横からリンゴを見て、隣のリンゴと接する膨らみを全部すっぽりと切り落とす方法「Ⅱ級スライス式インレー窩洞」を教えた。この方法は、スライスカットと呼ばれた。総山は、保険診療のためにスライスカットに経済合理性があると考えた。こうするとリンゴの腐っていない部分を大幅に削り取って捨てることになるのだが、保険では、時間と手間を節約すべきだから仕方ないというのが総山の合理主義だった。
 スライスカットされた歯を宗風するためには、なくなった隣接面をすべてカバーしなければならない。結果的に口の外で金属修修復物をつくって口の中に装着する間接法になる。これはもう補綴家の許容できることではなかった。だから補綴家矢崎は若い総山に、敵意を隠さない。
 「今日この保険でやっている臨床家が、インレーの窩洞をどれほど正確に作っているか、恐らく正確に作っている人はいないという評判だ。」
 正確なインレーの窩洞とは、ブラックの窩洞の原則を指す。矢崎は「保険でやっている臨床家」という言葉で、保険では経済性を優先して窩洞の原則を無視していいと教える総山のスライスカットを非難したのである。矢崎は、何事も経済優先の、保険というものに対する強い嫌悪感を隠さない。

 銅合金をめぐるしか保存学会と補綴歯科学会の対立は、医者が内科と外科で対立するのと、或る意味では似ている。歯科医学には保存と補綴という二つの異なるジャンルがあって、根本的に思考方法が違うのである。むし歯、歯槽膿漏、歯髄炎、保存修復学など保存歯科という分野は、細菌とからだの反応を扱うので、医学の用語を使う。これに対して歯科補綴という分野は、金属の鋳造、セラミックの焼成、レジン重合、ゴムの加硫というような化学や冶金学の用語を使う。
 しかし、銅合金の保険導入で主役を演じる総山に対する河邊や矢崎らの不信の根の深さと強い嫌悪感は、これだけでは説明がつかない。そこには、歯医者というものの深い悩みと自負が隠されているのだが、それは次節に後回しにして、ここでは補綴という分野の特殊性についてやや踏み込んで解説しておく。
 社会保障の充実が叫ばれ、保険診療が年々拡大するなかで、補綴処置の困難は深刻なものになりつつあった。保存修f区の学者は、概して歯科診療を保険に組み込むことに積極的だった。保険用の代用合金すなわち銅合金の研究に熱心に取り組んだのも、同じ理由からだと言える。他方、補綴家は、基本的に保険に背を向けていた。このため保険の代用合金にも格別の関心も示してくなかった。それどころか代用合金を研究することなど、むしろ学問的に恥ずべきことだと考えていた。保険に対する両者の姿勢が、旗幟を分けていたのである。
 ここで、どうして補綴家が保険診療を嫌うのか、解説しておく。歯医者は、補綴の金銀細工で金儲けをするという誤解があるので、やや脱線だが詳しく説明せざるを得ない。なにしろ当の補綴家が、そこのところをきちんと理解していないし、説明してくれないのだから仕方がない。
 日本の医療保険は、患者に現金を給付するものではなく、医療(療養)を給付するもの(現物給付)として体系づけられてきた。描記やけがの患者に、治療行為や薬を処方することを現物給付という。他方、治療にかかる現金を給付するものを現金給付をいう。ドイツは現物、フランスは現金という具合に、国によって制度は違う。患者が現金を受け取る場合には、その現金でどういう医療を選択するか、その自由度は高い。他方、現物の場合は、患者に選択の余地はほとんどない。そもそも、どういう病気に、どういう治療行為をするか、どういう薬を使うか、医療提供者が決めるからだ。もちろん相応の処置をしてもらわなければ困るので野放図にできない。ある程度、保険診療の基準に則って決めることになる。さて、薬を服用して自然治癒するような病気であれば、十分な説明を受けて納得できれば、決まり切った処置方法でも問題はない。生命の維持であれば、医者まかせでいい。少なくとも急性期の医療には一律の目的、一律の方法がある。ところが、自然治癒のない描記や障害のリハビリの場合に、患者に選択の自由がないとしたらどうだろう。これは不都合である。たとえば末期がんの薬は、患者と相談しなければ決められない。手足の再建、がんで失った顔面の再建、脳卒中の後のリハビリテーション、こういう医療は患者の希望が優先されなければ意味がない。慢性期の医療もまた、患者の健康行動の変化が不可欠で、患者の積極的参加なしには医療が成り立たない。
 歯を失った人の補綴処置も同じで、患者の希望を優先する必要がある。患者にある程度決定権を委ねるべき医療行為は、患者に選択の余地のない現物給付という仕組みには馴染みにくい。補綴処置というものは、生命の維持にはかかわらないが、食べやすさ、話しやすさ、外見の改善に治療目的があり、それを達成する手段を数多くの工夫とその組み合わせから選ぶことに妙味がある。
 この結果、補綴処置はある面で保険から逸脱する必然性がある。もっとも患者の選択の自由をいいことに、根拠の不確かな高額治療を勧める向きがあって、この問題をさらに難しくしていることは否めない。
 以上、補綴処置が、現物給付の保険と相性が悪い理由を述べた。

つづく・・・・

歯科界の重大問題・・・(もう隠さない方が良いのではないのか!?)