「呪い」は成就したのか?・・・どうも本当の様な気がします・・・ | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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「呪い」は成就したのか?・・・どうも本当の様な気がします・・・


祈りと呪い

先日、鹿児島の源麹研究所を訪問し、併設のホテル(麹ホテル)に泊まりました。温泉があって、そのお湯が最高に気持ちよかった。社長さんいわく、「麹造りに使うのと同じ地下水を使っています。加温していますが基本同じです」
ここで作られる麹の秘密の一端に触れたような気がしました。すばらしい水があってこその、すばらしい麹なんだなと。
食堂で夕食をとっているときに、白髪の男性に声をかけられた。「お食事はいかがですか」
この人こそ三代目社長(現在は会長)の山元正博さんでした。知らない人は「誰だろう。スタッフかな」と思うかもしれない(笑)
山元さんは毎朝3時に起きて、筋トレをし、特攻で亡くなった英霊のために祝詞を唱える。それが山元さんの日課です。
山元さんは祈ることの重要性を分かっておられます。この会社の麹の品質がすばらしいのは、水のおかげもさることながら、それだけではないと思います。

アイスランド大学のエルレンドゥール・ハラルドソン(Erlendur Haraldsson)教授がこんな実験をした。試験管240本に酵母菌をいれて、120本にはお祈りをする。他の120本には祈らない。すると、どうなったか。

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祈ったほうの試験管では、酵母菌の成長率がはるかに高かった。何度実験しても同じような結果になった。
どういうことか。
人間の意識とか愛情、思念が微生物に影響を与えているということです。

麹を作るためのノウハウは当然あるだろう。水の質とか温度とか混ぜ方とか。そのノウハウに従って作れば、それなりの商品はできる。しかし、そこに作り手の祈りとか思いがあるかどうか。その有無によって、商品の質は別ものというレベルにまで変ってくるだろう。

僕は祈ることの効用を信じています。宗教的な人間だから、ではありません。祈ることの効用は現代科学だって認めています。RCT(無作為比較試験)をするのは、プラセボで改善してしまう人間の信念の力を肯定しているからこそでしょう。
祈ることで病気が治ることは当然あります。
同様に、祈りとは逆の思念、呪いによって、人が病気になる、最悪の場合、死ぬことだって、あり得ないことではないと思っています。

今からちょうど80年前の1945年3月、東京は空襲で焼け野原になりました。

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真珠湾攻撃から快進撃を続け、東南アジアの広範囲を勢力圏内に治めた日本軍だったが、1942年6月のミッドウェー海戦を境に、戦況は次第に悪化した。サイパンが陥落し、レイテ島も落とされ、せっかく獲得したアジアの占領地はことごとく米軍に奪われた。
45年3月には沖縄戦が始まり、東京、大阪、名古屋などの都市部への本土空襲も次第に激しさを増し、敗戦の空気が色濃く漂い始め、いよいよ「本土決戦」と「1億総玉砕」が現実味を帯びてきた。

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しかし日本軍は、敗戦のそのときを手を拱いて待つばかりではなかった。起死回生を図るべく、極秘計画が準備されていた。
それは、呪術である。
いったい軍首脳部の誰の提言であったか、それは明らかではない。ただ、とにかく、その計画は立案され、実施に向けて具体的に動き始めた。

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真言密教の高僧たちが東京某所に呼び集められた。目的は米国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトを呪い殺すことである。

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動員された高僧たちが、護摩壇を焚いて祈祷を開始した。呪詛の祈祷である。この呪詛の念は、某所の電波塔から米国に向けて送信された。

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呪詛には即効性がない。それは、あたかも癌細胞が健康な肉体を徐々に蝕むように、人の魂を蝕む。ルーズベルト大統領を呪い殺すにも、その効果が確認されるまで、辛抱強く継続する必要があった。この作戦の成否が戦争の勝敗、さらには日本の国体護持ができるかどうかの分水嶺なのだとされれば、簡単に打ち切ることはできなかった。しかしついに、そのときがやってきた。

1945年4月12日、ジョージア州ウォームスプリングは快晴だった。静養先の別荘で、ルーズベルトは画家に肖像画を描かせていた。すでに日本の敗戦は決定的で、大統領は勝利を確信している。何の不安もない心持ちだった。ただ、大統領として気位高く姿勢を正し、後世に残る肖像画を描かせる。至福の時間だった。
そのとき、いきなりルーズベルトは激しい頭痛に襲われ、椅子から崩れ落ちるように倒れた。すぐさまボディーガードが駆け寄ったが、意識がない。医者が呼ばれたが、午後3時35分死亡が確認された。

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戦時中の大統領の突然死である。敵国による何らかの電波攻撃だろうか。それとも毒殺か。あらゆる可能性が考慮され、死後解剖が行われたが、死因は高血圧性脳出血と結論付けられた。他殺の可能性は否定された。

呪詛は成就した。ついに日本は計画を成功裡に終わらせたのである。
ルーズベルトの死後、副大統領のトルーマンが大統領に昇格した。そして1945年7月16日原子爆弾の実験に成功し、日本は2個の原爆を落とされ敗戦した。
このような歴史の流れを俯瞰で見たとき、いったい戦争末期の、敵国大統領の呪詛による殺害成功は、何の効果があったのだろうか。日本の敗戦は必定で、歴史の大勢には何の影響もなかったとすれば。

上記の話は、当然学校で習う歴史の授業では出てこない。大学で近現代史を専攻したとしても、習わない。
確かに、それぞれの断片的な事実がある。戦争末期、真言密教の高僧たちが動員されたこと。彼らが呪詛の祈祷を行ったこと。1945年4月12日米国大統領が突然死したこと。
すべて事実である。しかし、それぞれの事実の間に因果関係を認めるかどうか。日本政府、米国政府、両国の歴史家。恐らく誰も認めないだろう。
でも、僕としては、そういう現象は当然あると思っている。
それは、オカルト好きだからではありません。念じること、祈ることの力を信じているからです。
病気に苦しむ人が、自分の回復する姿をイメージする。それも強く、明確に。すると、医学的には治らないはずの病気が治る。そんな事例は世間に無数にあるし、僕もいくつか目撃したことがある。
当然、逆もあるだろう。人の死を強く祈れば、それが通じてしまうことも。
もちろん、「人を呪わば穴二つ」で、他人の不幸を祈った人は、自らの不幸をも覚悟する必要があるけれども。

【参考】
帝都物語(荒俣宏著)