❷「福岡伸一動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ」を読む❷「第2章 水について考える」『生体は人体は、『機械論』だけでは語れない!』 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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❷「福岡伸一動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ」を読む❷「第2章 水について考える」『生体は人体は、『機械論』だけでは語れない!』


❷ ヴェネチアの水・NYの水・日本の水道水・ペットボトルの水

・・どう違う???

・・軟水・硬水とは???

・・「GP2遺伝子」の役割は???

「  第2章 水について考える

水の都の雨水濾過装置

世界の中で好きな街は?と聞かれたら、迷うことなく私はヴェネツィアと答える。これまでに二度、旅したことがある。ヴェネツィアは海の上につくられた人工の都市。周りも、街のあらゆるところに入り込んでいる水路も、すべて海水だ。井戸を掘っても海水がしみだしてくるだけで真水は得られない。早くも五世紀頃から都市がつくられ始めたヴェネツィアで、いったいどのように真水は確保されたのだろうか。

両側に建物が迫る迷路のようなヴェネツィアの小路をさまよって歩くと、思いがけず石畳の広場に出ることがある。これはカンポと呼ばれる公共の場所で、大小さまざまなカンポがヴェネツィア中に散在している。そして中央には必ず装飾のついた石造りの構造物。これがポッツォだ。一見、井戸のようだが、単なる井戸ではない。唯一の真水である雨水を集める仕組みなのだ。

真水の確保についてもうひとつ重要なファクターは衛生問題だろう。水にはさまざまなものが溶け込む。細菌や原虫のような感染性の病原体が繁殖していることもありえる。特に雨水のように屋根や樋を伝って地表を流れる水はきれいな水とはいえない。このような水を飲み水に変えるにはどうすればよいのだろうか。それには濾過を行えばよい。

カンポの地下はおおきな貯水槽になっている。直径十数メートル、深さ四~五メートル。周囲は止水のため、粘土層で固められている。その内側は砂礫層になっており、細かい砂粒がつまっている。カンポの周囲には雨水を集めて吸い込む細いスリット状の取り入れ口がついており、雨水はここから砂礫層の中に入って長い時間をかけて濾過されていく。水が砂粒のあいだに浸透するあいだにゴミや細菌などがこしとられるわけだ。そして砂粒の空隙に棲みついた備瀬宇物が水中の有機物を分解する。濾過の本質はこの分解にある。観賞魚を飼う水槽の循環式濾過槽も、水槽の下部に敷いた濾過材のあいだに棲みついた微生物によって、魚の排泄物などの有機物が分解される作用を利用している。あるいは山の湧水がきれいなのは、水が土壌中を通るあいだに自然濾過されるからだ。

さて、このように雨水はだんだん浄化されていき、カンポの中央のポッツォにしみだしていく。これを必要な分だけ汲み取って使う。それがヴェネツィアに生きる人々が編み出した真水確保の方法だ。おそらく貴重な水の分配には厳しいルールがあったことだろう。ちなみにヒトが生存のために必要な飲み水は一日、およそ一リットル。食物からも一リットルほどの摂取があり、それらが呼気、発汗、排泄により排出される水の量とつりあっている。

さすがに現在では、本土側から上水道のラインがヴェネツィア島に引かれているので、カンポの濾過装置は使われていない。ポッツォには丸い鉄製の蓋がかぶせられており、広場のモニュメントとして散歩の人が腰かけたりもたれたりしている。

 

カンポの中心に据えられたポッツォ

 

「良質な水」の真実

カンポに面したリストランテでビールを飲みながら、しばしヴェネツィアと水の歴史について思いを馳せてみよう。

新幹線に乗って洗面所を使うと、この水は飲めません、という表示が目に留まる。温泉に行っても似たような内容が湧き出し口に掲示してあるのを見かける。私たちは飲めない水で手を洗い、飲めないお湯に浸かって、温泉を味わっているのだ。一体全体、飲めない水とはどういうものなのだろうか?

私たちの身体の約七〇パーセントは水でできている。これらの水は身体のどこかにじっとたまっているのではない。絶え間なく流れ、水は身体の中をめぐっている。太い動脈を走る強い流れは枝分かれし分流し、やがて微小な毛細血管網となって、棚田のようにならぶひとつの細胞を柔らかく灌漑する。細胞は、この流れから酸素と栄養素を受け取る。と、同時に、流れは細胞から二酸化炭素や老廃物を回収してくれる。全身の細胞から集まったこの流れは、ある場所に向かって進む。そこで水は浄化されるのだ。生物に備わっているこの浄化システムは「実に精妙精巧にできていて、驚くべき仕組みになっている。生物の浄化システムは、細胞がひとまず水をまるごと捨ててしまう。そのあとイオンや栄養素などの必要な成分ときれいな水だけ再回収して、残りの要らない部分だけを排泄する。だから活性炭やフィルターを交換したりすることなく、メンテナンスフリーで何十年もの間働き続けられるのだ。

この浄化システムの名は腎臓。あなたの腰骨から一〇センチほど上がった背中側の左右にひとつずつある。

そっと触れてみてほしい。ほら、いまもひそかに、しかし一生懸命働いてくれている。体重四〇キログラムのヒトの身体に含まれる水分は三〇リットルほどだが、腎臓は1日なんと一七〇〇リットルもの水を処理しているのだ。つまり、身体の中の水は、1700÷30=56・66・・・・・・回も繰り返し、繰り返し、腎臓を通過するわけである。それだけ全身の細胞が絶え間なく新陳代謝を行っているということだ。だからこそ、私たちが健康でいるためには、この絶え間ない流れを維持すること、つまり良質の水を十分に摂取することが何よりも大切になる。

生物は生きていくうえでどうしても真水が必要だ。細胞の中の反応はすべて水の中で行われ、酸素と栄養物は水に溶けた状態で供給され、老廃物もまた水に溶かして捨てられるので、絶えず新しい真水の流れが必要になる。海水に溶け込んでいる大量の塩(塩は、水の中では電気を帯びた状態、つまりイオンになっている)は、細胞の代謝や細胞膜の輸送活動の邪魔をしてしまうので、海水をそのまま飲んでも必要な水にはならない。むしろ害がある。

では、良質の水とはどんな水だろうか。それはできるだけ人工的な操作が加わっていないナチュラルな水、ということだ。水道水は殺菌のために塩素が投入されている。プールに入るとツーンと臭うあれだ。日本の都市部の上水道のほとんどは、湧水ではなく河川から直接取水した水を使用している。河川水には当然、ありとあらゆる雑菌が棲息しているので、それを効率よく殺菌するために「大量の塩素が投入されている。日本の法律では水道の蛇口レベルで、〇・一ピーピーエム“以上”の塩素が残留していることが定められている。殺菌の徹底を期すために、塩素の最低残存値があるのだ。一方、その上限の定めはない。主要な諸外国では上限がある。ドイツ、フランス、アメリカは、順に、〇・〇五、〇・一、〇・五ピーピーエムが上限だ。そのため、日本の水道水にはかなり高濃度の、おそらく〇・五から一・〇ピーピーエムレベルの塩素が含まれていると考えられる。外国ならば上限オーバーの値だ。それだけではない。今ではありとあらゆる水に塩素が投入されている。銭湯や大規模入浴施設、それから多くの天然温泉にも塩素が入っている。「この水は飲めません」といった表示が湯口などに書いてある場合、それは高濃度の塩素が入っているということになる。もちろん塩素は毒だ。その酸化力で瞬時に細菌を殺す。私たちの身体に対しては重大な障害こそもたらさないものの、細胞には負担になるだろう。消化管に共存して私たちを守ってくれている腸内細菌も干渉をうけるはずだ。魚類などのペットには水道水を直接使うことができない。かならずカルキ抜きが必要になる。カルキとは塩素のことだ。塩素は他の化学物質と反応してトリハロメタンなどの有害物質を生み出すことも知られている。

のどが渇いたときは、適度に冷えた、身体のすみずみにいきわたるようなしっかりした味のナチュラルな水を飲みたいものだ。ナチュラルな水とは、谷筋や山の麓から自然に湧き出す水のこと。雨となって山や森に降りた水は地表にしみこむ。そして長い時間をかけて土壌や岩石のあいだを通り抜けていく。この間、水は自然の濾過の力によって浄化されていくことになる。伏流水は谷筋や山の麓で湧水となって地表に現れる。湧水は昨日今日にできた水ではない。何年、何十年、場合によっては何百年もかけて自然が作り出したものなのだ。

一方、水が地下を通り抜けるあいだに、岩石に含まれるミネラル(金属)イオンが水の中に溶け込む。これらミネラルが水においしさをあたえてくれる。適度な量のミネラルは生物の生存にとって必須のもの。酵素反応や代謝を円滑にすすめるために必要だ。ミネラルの代表は、カルシウムイオンとマグネシウムイオン、これらのミネラルをたくさん含む湧水は、硬水と呼ばれ、しっかりした味の水となる。一方、ミネラルの量が比較的すくない水は、柔らかくやさしい味の軟水。場合によっては炭酸を含んだ水、天然のソーダもある。自分の舌を使って好みの水を見つけてみるのもいいだろう。

 

水と生命体の界面で

水は、栄養素、ミネラル、酸素など、生命に必須な要素を溶かし込んで、運んでくれる媒体だ。そして生命現象に関わる反応はすべて水の中で生じる。かくも必要不可欠な水は、同時にまた、生命体にとって危険なものをもたらす媒体である。生命はそのようなリスクに対しても巧みな仕組みを用意して対応している。

かつて昆虫少年だった私は、新種の蝶の採集を夢みていたが、ついぞ果たされることはなかった。その後、分子生物学者となった私は、虫捕り網を遺伝子工学の実験器具に持ちかえて、遺伝子ハンターとなった、細胞の森の中に分け入って遺伝子を探すのだ。私は大発見をなすころはできなかったが、いくつかのささやかな小発見をすることになった。その一つが機能不明の遺伝子GP2を見つけたことだった。GP2は、膵臓や消化管の細胞で活動している。しかしその役割はなかなかわからなかった。消化管は生体と外界が接する最前線。日々、大量の水と栄養素の吸収を行っている。

ごく最近になって、GP2の役割がようやくわかってきた。それを説明するために、まず消化管のトポロジーを知っていただく必要がある。トポロジーとは空間的思考のこと。物理や化学と違って、生物学にはあまり難しい数字が必要になることはないが、空間的に考えることが大切になる局面があるのだ。

私たちの消化管は、お腹の中にあるように思えるが、口と肛門で外界と直接つながっている。いうなれば、ちくわの穴のようなもの。つまり消化管の内側はトポロジー的には外側なのだ。それゆえ、水や食べ物、空気に由来する外来の病原微生物の襲来を受けている。それに対抗するたねお消化管には免疫システムが備わっている。最前線に位置する防人だ。ここで、外敵を認識し、これに対して抗体を作ったり、マクロファージを動員したりして戦う。ここで重要になるのが、トポロジー的思考。外敵がやってくるのは消化管の内腔側、つまり、ちくわの穴側だ。一方、免疫システムは消化管の血管側、つまり、ちくわの身の中にある、外敵が大挙して血管側に侵入してきたときに、初めて免疫システムが作動していたのでは手遅れ、大変なことになってしまう。だから消化管の内腔側にやってきた病原体を事前に捕捉して、免疫システムに知らせる「細菌受容体(レセプター)」が必要となる。

実は、GP2こそがこの「細菌受容体」だったのだ。GP2は、消化管細胞の内腔側表面にアンテナのように突き出して存在している。そしてサルモネラ菌のような凶悪な病原体が腐りかけの食物や水に混じってやってくるとこれを捕まえる。そのあとGP2はサルモネラ菌を結合したまま細胞の中を横切って、血管側に待機している免疫細胞にサルモネラ菌を引き渡す。GP2は門衛役なのだ。GP2の知らせによって、免疫細胞は抗体を準備したり病原体を捕食してしまうマクロファージを動員したりして、警戒態勢を敷くことができる。

消化管におけるこのような細菌受容体の発見は世界で初めてのことだった。機能が長らく謎だったGP2には隠れた働きがあったのだ。この発見は高く評価され、科学専門誌『ネイチャー』に掲載されることになった。

水は絶えず私たちの身体の中を通り抜け、流れている。つまり生命はいつも水に接して、水に支えられて生きているのだ。水と生命体が出会う界面では、栄養素、見習る、酸素などのやり取りがあると同時に、さまざまな情報交換、あるいは、せめぎ合いが行われているというわけである。

 

ニューヨークの真水事情

私は今、ニューヨークに暮らしている。二〇年以上も前のこと、学者の卵としてここで研究修行していた時は、その同じ場所、ロックフェラー大学に戻って、勉強をしなおしているのだ。修行していた時は、初めての海外生活の緊張と、とにかく研究の成果を挙げなければならない焦燥感から、日夜仕事に必死で、ニューヨークを楽しむ余裕はほとんどなかった。その時と比べれば(あれから私は何か大きなことを成し遂げたわけではないが)、今回は客員教授として逗留しているので、季節の移り変わりや街のあれこれを眺めるだけの余裕ができたように思う。

私の好きな散歩コースは、壮麗なメトロポリタン美術館や奇抜な渦巻き模様のグッゲンハイム美術館の前を通って、セントラルパークに入るルートだ。通りから一段上がった土手の上に登ると、目の前に突然、広大な水面が青々と広がる。向こう岸までざっと500メートルほどあるだろうか。周りは樹々が茂っているが、その向こう側にはマンハッタンの高層ビル群が垂直に屹立して並んでいる。このコントラストの鮮やかさはニューヨークならではだろう。ここには、ジャクリーン・オナシス・ケネディ・リザヴァ―という名前がついている。

一八世紀から一九世紀にかけて、ニューヨークにどんどん人が集まるようになると、いかに都市に新鮮な真水を供給するかが大きな問題となった。市内各所に掘られた公共井戸だけでは到底まかないきれない。市北部を流れるクロドン川から導水路が建設されることになった。

私の住んでいるアッパーイーストサイドからマンハッタンを北に上がったところに古風なアーチ型の橋がかかっている。車や人が渡る橋ではなく、クロトン川から導水路がマンハッタンへ渡る水道橋だ(この水道橋は老朽化のため現在は使われておらず、公園として整備される計画らしい)。

さて、さらに二〇世紀になって人口が増加を続けると水需要がより高まってゆく。幸いニューヨーク州は、北に自然豊かなキャッツキル丘陵地帯がある。そこから長大なトンネルを掘ってニューヨーク市街へ水を導くことになった。難工事を経て地下水路は完成したが、現在でも水道網の整備は続いており、ニューヨーク市の地下には人知れず巨大なトンネルが縦横無尽に入っている。トンネルと水道本管の総延長は一マンキロメートルを超え、ニューヨーク市(人口約六〇〇万人)およびその周辺地域に、毎日一〇憶ガロン(三八七・五憶立方メートル)以上の水を供給しているそうだ。

リザヴァ―はいざという時のため、一時的に水を確保しておく貯水池だ。魔八端のど真ん中にあるこのリザヴァ―、なぜ“ケネディ”なのだろうか。ちょっと調べてみるとわかった。ダラスで悲観的な最期を迎えたケネディ大統領の妻ジャクリーンと幼い子どもたちは、事件の喧噪を逃れて、この近くの高級アパートに暮らした。子どもの名前はキャロライン。そう。駐日大使として赴任し、注目を集めたあのキャロライン・ケネディさんだ。

ニューヨークの水道水(タップウォーター)はおいしいことで評判だ。これは大都会にしては希有なこと。都市河川から取水しているのではなく、州北部の清浄な水源地から直接引いてきているからだ。

すこし前に、ニューヨーク市では、「水道水を飲もう」というロハス運動が起こったほどで、市民の環境意識は高い。ニューヨークの水道水のボトル詰め商品まで登場した。

ニューヨークの水道水は原水が正常だとはいえ、もちろん塩素による殺菌はされている。しかし濾過はしていないので、塩素殺菌だけではそうしても除去しきれないジアルジアやクリプトスポリジウムといった微生物がごく微量検出されることがある(水道局が定期的にデータを公表しているが、健康に問題のある数値ではない)。最近では、最新の紫外線殺菌システムの導入も進められているそうだ。そのような事情もあって、健康志向のレストランやコーヒー店では浄水器を設置して、より安全な、濾過した水をサーブしているというのが現実の姿だと思われる。

なので、レストランに入って「お水hどうしますか?」と聞かれた場合、どうしても気になる人はボトル入りのミネラルウォーターを注文すればよいのだが、私はだいたいダップウォーターをお願いすることにしている。

先日、たまたまメイスイの永井会長がお仕事で立ち寄られたので、ミッドタウンの街角に古くからあるイタリア料理店の二階でお食事をご一緒した。そのときもタップウォーターを頼むと、ウェイターは冷たく澄んだ水をきれいなグラスになみなみと注いでくれた。とはいえ、私たちはすぐにワイングラスの方に移っていったのだが・・・・・・いらリアンなので、まずは白のピノ・グリージョから。歓談のうちにニューヨークの夜はふけていった。

こんな小話をどこかで読んだことがある。孫がおばあさんにたずねる。「ねえ、おばあちゃん。昔に比べて何が一番便利になった?車?電話?冷蔵庫?」「いやいや、なんといっても一番便利になったのはこれじゃよ!」そう言っておばあさんは勢いよく蛇口をひねって水をほどばしらせた・・・・・・。きれいな水がいつでも、どこでも、いくらでも得られること。考えてみれば人類が達成した都市文明の中でこれほど重要なものもない。しかし今日、それがあまりにも当たり前になりすぎて、私たちはしばしばその重要性を忘れがちである。忘れがちであるどころか、過小評価さえしている。これを反省し、今一度水道水の重要性を再認識しようという気運が、私の住むニューヨークをはじめ、米国各地で高まっている。

たとえば名門コーネル大学やニューヨーク大学では、Take Back the Tapキャンペーンが展開「されている。Tapとは水道水のこと。ペットボトルをやめて水道水に戻ろう、と呼びかける。自分で水筒を持参し(マイボトル)、構内のリフィル施設で水道水を補給する。このことによって廃棄物をして環境負荷の高いペットボトルの使用を逓減さええようというわけだ。

西海岸でも気運が盛り上がっており、カリフォルニア大学バークレー校では構内に水道水ステーションが設けられ、I♡Tap(アイラブ水道水)運動が進められている。マイボトルで水を汲むたびに、「これで〇本のペットボトルをセーブしました」という表示が出るそうだ。さらには、サンフランシスコ市では、公用地での二一オンス(約六二一ミリリットル)以下のペットボトル水販売禁止条例(全米初。罰金は最大で1000ドルほど)が二〇一四年から施行された。

昨夏、独立記念日の花火大会を見物にでかけたときのこと、川沿いの広場になにやら人だかりがしている。近づいてみると、ニューヨーク市が設置している臨時の飲み放題水ステーションだった。

もちろん地域によっては、どうしても水道水の硬度(ミネラルイオン含有量)が高くなり、料理(特に出汁をとるような和風料理)に不向きであったり、洗髪後に髪がきしんだりといった問題があり、フィルター使用やボトル水の購入が必要な場合もあるだろう。

とはいえ、水道水回帰はアメリカ全体の新しいトレンドといっていい。街を歩いてビルの屋上を見上げると、年季の入った大きな貯水タンクがあちこちに設置されていることに気づく。州の北部の水源地からやってくる水は街のすみずみにまで引かれ、いったんビルの上にまでもちあげられてから各戸に供給される。これがニューヨークのスカイラインに独特の都会的な風合いをみたらしている。高い澄んだ空に映えるマンハッタンのタンクを眺めながら、水のあり方にあらためて思いを馳せた。なんだかおいしい水を飲みたくなってきた。

2025/6/24 つづく・・・