❼『生体は人体は、『機械論(きかいろん)』だけでは語れない!』「第7章 「がんと生きる」を考える」❼「福岡伸一動的平衡3 チャンスは 準備された心にのみ降り立つ」を読む | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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❼『生体は人体は、『機械論(きかいろん)』だけでは語れない!』❼「福岡伸一動的平衡3 チャンスは 準備された心にのみ降り立つ」を読む

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第7章 「がんと生きる」

を考える

あるジャーナリストの闘病

 本棚から古い本を探し出す。『ニューヨークでがんと生きる』(千葉敦子著、文春文庫)。一ページ目。物語はこう始まる。

 

 「次のステップを踏み出さなければならないことは分かっていた。次のステップが何であるかも分かっていた。それでも思い切って踏み出すには、かなりの勇気を要した」

 

 フリーランスのジャーナリスト千葉敦子は、乳がん再発のおそれを抱えたまま、愛猫とともにニューヨークに渡る。この街に住む。これが彼女の長年の夢だった。当時彼女は四〇歳と少し。がんに侵された今、躊躇する時間の余裕はそれほど残されていない。「次のステップ」とはその夢を実行に移すということだった。

 西麻布にあったアパートの荷物を整理し、引き払う。ニューヨーク行きの飛行機を手配する。しかしニューヨークで何が一番たいへんかといえば、安全で安価な住まいと探しだすこと。千葉さんはとりあえずニューヨークに行くことを優先し、知人宅に間借りをして、アパート探しを開始する。ジャーナリストとしての仕事の態勢も整えなければならない。慌ただしい毎日がはじまる。

 幸い、間もなく友人のつてでグリニッジビレッジによいアパートを借りることができた。しかし家賃は東京の二倍(ジャーナリストらしく金額もきちんと明示してある。ニューヨークの家賃が高額なのは今もまったく変わらない――というよりむしろどんどん高騰している。そしてだいたいの相場が東京の二倍、というもの同じである)。ニューヨークではすべてがチャレンジとなる。家主と闘い、引っ越し業者と闘い、警察と闘う(引っ越しの梱包材を街路に出したら、違法投棄だと通報され、警察から罰金を言い渡される。納得いかない彼女は裁判所に不服を申し立て、結局、罰金の取り消しを勝ち取る)。たくましい。

 彼女は、意欲的に外出し、取材し、書く。MoMAなど美術館をめぐり、大好きなバレエを鑑賞しにリンカーンセンターへ行く。つまりニューヨーク生活を満喫する。その日々がリズムのよい文章で克明に綴られる。一方、がんは実際、再発した。正確には再々発である。彼女は三年前、乳がんの手術を受けた。そのあと乳房を再建した。すっかり回復したかと思われた二年後、リンパ節への転移を見つかった。放射線治療を東京で受け、しこりは小さくなった。それがニューヨークへ来てから九か月ほどが経過した夏のこと、左胸の上に異常を見つけた。検査では医師から大丈夫と言われていたにもかかわらずである。しかし自分の身体に関して自分以上に心配りをしてくれる者は他に誰もいない。

 

 「私はしこりの感触が、過去二回のときとそっくりなので、再々発であると確信していた」

 

 バイオプシー(生体組織診断)の結果、やはりがんであったことが判明する。彼女は、制度や言葉の壁があるにもかかわらず、ニューヨークで治療を受けることを決意する。

 放射線治療と化学療法。激しい副作用に苛まれながらも、彼女は決して弱音をはかない。冷静に自らの病状を観察し、日米の医療現場の差を記録する。アメリカの医療費は驚くほど高額だ。しかし医療の質も高い。ありとあらゆる情報を与え、患者に自分のことを自分で決めさせようとする。そして医師や医療スタッフは常に患者と対等に接する。医師と患者の立場が非対称的な日本とは大きく異なる。独身の彼女には家族はいないが、ニューヨークの友人、知人たちが次々と手を貸してくれる。

 これが書かれたのは一九八〇年代なかばのこと。思えばもう三〇年以上も前である。今なぜ再び、彼女の本を読み返す気持ちになったのか。それはかつて刊行された直後に読み、今また私自身がニューヨークで生活するようになったので読み返したくなったのだ。筆致はまったく古びている。むしろ彼女の真摯さがよりハック力を持って迫ってくる。そして地名や街の様子、位置関係などもよくわかる。

 彼女が選んだ病院は、スローン・ケタリングがん研究所病院。これが私の留学先であるロックフェラー大学の向かい側、アッパーイーストサイドに位置している。世界最高のがん治療・がん研究の拠点である。ロックフェラー大学とも研究交流、共同研究がさかんに行われている。

 

がんの転移と免疫

 千葉敦子は、乳がんを患い、その後、繰り返し起こった転移・再発と闘い続け、彼女が終の生活の場として選んだ街・ニューヨークで、親しい友人たちに看取られながら旅だった。享年四三という若さだった。

 彼女が選んだのは最初は外科手術による切除、乳房の再建、リンパやもう片方の胸への転移が発見されたあとは(転移は自分で発見した。どんな名医であっても、自分以上に身体に関心を払ってくれる者はいない、というのが彼女の持論だ)、放射線照射による治療と抗がん剤による化学療法だった。間欠的に襲ってくる副作用(だるさ、吐き気、脱力感、悪寒・・・・・・)に苛まれながら、ジャーナリストとして取材し、書くことを続けた。

 彼女は、もっと早期に抗がん剤治療を始めていれば、再発を防げたかもしれないと思ったが、始めることができない理由(主に経済的な理由――米国では一回の注射に、当時ですら一〇万円がかかった――と、副作用によって仕事ができなくなることを避けたかった)があったのだからくよくよしないことにした、と書いている。このあたりのきっぱりした合理的な割り切り方が彼女の持ち味である。

 しかし、今日的な視点から見ると、たとえ早くから化学療法を始めていたとしても、再発を防ぐことはおそらくできなかっただろう。なぜなら転移性の、つまり悪性のがんは、そもそも原発巣(彼女の場合は乳がん)のしこりが発見された時点で十分に増殖しており、そもそも無数のがん細胞が全身に転移してしまっていたはずだからである。

 このようなケース、つまり、すでに多数の転移が起こってしまった後、外科的に切除することは不可能で、広範囲に固形がんの転移が広がってしまった状況で、抗がん剤でも治る見込みがない場合、もはや闘うのは諦めるべきなのだろうか。

私が考える生命観のキーワードは「動的平衡」である。生命は絶え間のないバランスの上にある。押せば押し返し、欠落があればそれを補い、損傷があれば修復する。生命を生命たらしめるこのダイナミズムを動的平衡と呼びたい。

 最近、以下のような事例を放射線科医から聞いた。

 がんが発見された。しかし、すでに肺全体に多数の転移が起こってしまった後だった。治療チームは、病巣の一つを超音波を使ってピンポイントで焼いた。転移しているので、もちろんがんを一つだけ殺しても根治療法にはならない。

 しかしこの処置の後、まもなく、すべての転移巣は消失もしくは大幅に縮小し、患者は生還を遂げた。一体、何が起こったのだろうか。

 がん細胞が顕在化するまでは、体内におけるいくつもの“検問突破”がある。その最たる“検問官”は私たちの身体に備わっている免疫細胞だ。本来なら、がんの予備軍は早いうちに免疫細胞に見つけられて排除される。

 一方、がん細胞のほうも驚くべき狡猾さを身につけている。サイトカインと呼ばれるある種の信号物質を放出し、免疫細胞の一部を騙して味方につけ、自らの周囲を守る防御壁として利用、がんを退治する別の免疫細胞の接近を封じているのだ。

 上記のケースは次のように解釈された。一か所のがん病巣を超音波で焼くことによって、この防御壁を壊すことができた。つまり、がん細胞からサイトカインが出なくなった。こうして、防御壁を乗り越えて、“検問官”たる免疫細胞が焼け跡に到達した。そこで免疫細胞は初めてがんの存在を認識した。一度認識が成立すると免疫細胞の動きは急激に高まる。たちまち免疫細胞は増殖され、あらゆる転移巣に対して総攻撃を開始した。

 これはちょうど予防接種をした予めインフルエンザウイルスの到来を免疫細胞に知らせておくと、実際に大量のウイルスが襲来してきたときに総力戦を開始することができることに似ている。

 この事例は非常に特殊なケースかもしれない。しかし、もし二一世紀、がん治療に何らかの革新があるとすれば、それは敵と直接対決するのではなく、むしろ予め身体に備わっている味方の力を応援し、増強することにこそ活路があるのではないか、という示唆がある。それはとりもなおさず動的平衡から生命を捉えなおすということでもある。私はここに希望を感じる。

 

発がんとストレスの奇妙な関係

 私たちの身体に備わっている免疫システムは、身体の中に発生した異常な細胞(その典型例はがん細胞である)を初期のうちに発見し、除去してくれる。

 私たちの身体は約三七兆個の細胞からなっており、そのほとんどの細胞が常に更新されている。つまち古くなった細胞が死に、あるいは積極的に壊され、新たにできた細胞に入れ替わる。新たに細胞が作られるためには元になる細胞(これを幹細胞と呼ぶ)が細胞分裂を行う必要がある。細胞分裂を行う際には必ずDNAの複製が行われ、遺伝子情報が継承される。DNAの複製が行われるとき、不可避敵に複製のミスが生じる。DNAの遺伝子情報は三〇億文字からなっていて、これが極めて正確にコピーされるのだが、ときに写し間違いが起こるのだ。それは私たちがキーボードを叩くときに起こす打ち間違いよりもずっと低い確率でしか起こらないし、たとえ間違いが起こっても原本と照合して間違いを直す修復システムが備わっている。それでも間違いが見逃されてしまうことがある。その間違いがこれまた、たまたま細胞の増殖や成長に関わる遺伝子であった場合、細胞が暴走を起こし、協調性を失ってどんどん増殖することがありうる。それががん細胞である。

 約三七兆個もの細胞が常に細胞分裂を繰り返していれば、一つ一つのミスは低い確率でしか起こらなくとも、長い時間が経過すれば必ずミスは起こり、そのミスが致命的な場所で起こる可能性も増える。また、DNA上の突然変異は、複製のプロセスで不可避的に起こるエラーだけでなく、外部から取り込んだ化学物質(DAのらせん構造の間にハマり込んで複製を邪魔するような物質)や放射線(DNAに当たると、DNAを形づくる化学物質を変化させ、遺伝情報を書き換えてしまう可能性がある)を受けたときの起こりうる。これらはすべて時間の関数である。長く生きれば生きるほど、細胞分裂の回数は増える。その分ミスが起こる可能性がある。また、環境から変異原生物質や放射線を受けるリスクも増える。

 ヒトの年齢を横軸にとり、縦軸にがんの発生率をとると、年齢とともにがんの発生率が急上昇していく右肩上がりのカーブとなる。これは時間こそが発がんの最大の援軍であることを意味している。

 時間の関数として不可避的に上昇する発がんのリスク。これに対して私たちはどうすることもできないのだろうか。そんなことはない。最初にも述べたとおり、異常増殖をするがん細胞は、」ふつうの細胞と挙動が異なり、細胞の表面に生えているタンパク質にもがん特有の特徴があるので、ふつうであれば免疫細胞に見つかって食べられてしまう。免疫細胞は全身をくまなく循環し、あらゆる場所で発がんの芽を摘んでくれている。

 がん細胞はもし初期のうちであれば――それがまだ人間が感知できないような小さな細胞集団のレベルであれば――免疫細胞によって除去されうる。が、しかし、もしこの免疫システムがうまく働かないような状況が出現したらどうだろうか。免疫系の警戒網をかいくぐってがん細胞の増殖が進み、いろいろな場所に転移し、それぞれがかなり大きな細胞の集塊となってしまうと、もはや手おくれとなる。

 そして、免疫システムの最大の敵は、ストレスなのである。生命体は身体的、あるいは精神的なストレスを受けると、ストレスホルモンと呼ばれる物質(ステロイドおよびその類緑体)のレベルが上昇し、ストレスの耐えるよう身体が防御反応を起こす。戦闘態勢に入るか、あるいは逃走するか。いずれにしてもストレスから逃れようと反応する。うまくストレスをやり過ごすことができれば、ストレスホルモンのレベルは下がり、身体はもとに戻る。

 ストレスホルモンは免疫システムを制御するように作用する。免疫氏syてむを一時的に抑制することによって、免疫システムが使っていたエネルギーや栄養素を、ストレスと闘うためのほかの緊急システムに(心拍数を上げて血圧を高めたり、筋肉運動を促進したり、交感神経系をアップさせたりする)振り向けるためである。

 ストレス応答は本来、一過性の防御反応であるにもかかわらず、現代人は、恒常的なストレス下に置かれることがしばしばある。これが免疫システムを常に傷めつけてしまう危険性がある。免疫システムの抑制は発がんに手を貸す。かくしてストレスと発がんが結びつくことになる。

 

免疫力でがんに挑む

 一九世紀末、米国の医師ウィリアム・コーリーは、がんの患者が、細菌に感染し高熱に苦しんだ後、しばらくするとがんが縮小していることに気づいた。がんと細菌は、本来は無関係のはずである。コーリーは、がん患者に細菌を意図的に感染させることによってがんの治療をめざす実験を始めた。彼は多くの患者に対して延命効果があったと主張した。

 現在の視点から解釈すると、細菌の感染によって活性化された免疫系が、がんに対しても有益に作用したものと考える。がんと免疫系に関する初期の観察結果とされるが、当時はまだ免疫システムについて十分な理解が進んでいなかったことと、コーリーの治療法に必ずしも再現性がなかったことなどにより次第に忘れ去られ、二〇世紀になるとがんに対する治療は外科手術や放射線照射が主流を占めていくようになった。

 しかし近年になって、身体に本来備わっている仕組み、すなわち外敵から身を守るシステムとしての免疫力を賦活化してがんに挑む方法が、再び見直されるようになってきた。しかも新しい方法は、細菌毒素のような方法で全般的な免疫活性を高めるのではなく、もっとがんを特異的なターゲットとして免疫系の標的にできないか、という方向に研究が進んでいる。

 がんは内なる敵である。身体の内部で勝手に増殖し、転移し、正常な細胞や組織を侵していくという点においては、最近やウイルスと同じ「敵」である。が、がんは外からやってきたエイリアンではなく、もともと自分自身の細胞が異常化してできたものである。ここにがん治療の難しさがある。

 完全な外来者であれば、免疫システムは、簡単にそれを認識し、さまざまな方法で攻撃を行うことができる。マクロファージという免疫細胞は、異物を認識し、それを食べてしまうし、B細胞は、異物と結合して無力化してしまう抗体というミサイルを発射ことができる。これはそもそも免疫細胞が、自分自身を構成する自己の細胞と、それ以外の外来者を認識できるからだ。外来の細菌やウイルス、あるいは同じ人間の細胞であっても他人の細胞であれば、その表面に存在するタンパク質に自分の細胞とは微妙な差異がる。これを免疫細胞は検出して攻撃を仕掛けるわけだ。外来者の目印となるタンパク質を外来抗原と呼ぶ。

 一方、がん細胞は、肝臓がんならもともとは自分の肝臓の細胞、白血病ならもともと自分の白血球が、あるとき変調してがん化し、統制を乱して異常な増殖を開始するものである。だからがん細胞は自分自身の細胞とほとんどそっくり同じものだといってよい。それゆえに、免疫システムとはいえ、自分自身の清浄な肝臓細胞とがん化した肝臓細胞を見分けるのはなかなか容易なことではない。

 それでもがん化すると細胞内外のタンパク質の分布に微妙な変化が生じ、正常細胞とは異なるタンパク質が現れることがある。このようなタンパク質ががん細胞の目印となり、免疫細胞が目印をもった細胞を見つけ出して攻撃してくれると、がんの治療につながる。一方、がん細胞のほうも巧妙・狡猾で、できるだけ正常細胞と見分けがつかないように目印タンパク質を隠す傾向がある。ここでにがん細胞と免疫系のせめぎ合いが生まれる。いま「巧妙・狡猾」といった擬人的な言葉をあえて用いたが、もちろんがん細胞自体に意思や思考があるわけではない。でも見かけ上、がん細胞はそのように見えるふるまい方をする。

 つまりこれは、あまたあるがん細胞のうち、たまたま目印タンパク質を隠すことができたものが生き残り、がんとして増殖を続けることができる、という現象の裏返しである。

 がん細胞を攻撃することのできる免疫細胞としてもっとも有望なのが、キラーT細胞と呼ばれるものだ。異物の目印タンパク質を認識すると、それに対して細胞膜に穴を空けたり、細胞を破壊する酵素を放出したりして、ターゲットとなるががん細胞を死に至らしめることができる。さすがのがん細胞も細胞膜に大きな穴が空くとひとたまりもない。そこでがんの免疫療法として、いかにしてキラーT細胞を活性化し、がん細胞に特異的な攻撃を仕掛けるのを応援することができるかが研究の焦点となった。

 

腹痛と白血球

 大昔のことである。当時、私は貧乏な研究者の卵。その夜も遅くまで下宿の狭い部屋で一人、論文を読んでいた。夜もふけていたと思う。突然、右の脇腹がキリキリと痛み出した。肋骨の下、腰骨の上あたり。少し待てばおさまるかと思って我慢していたが、逆に痛みがどんどん増してきた。何か尖ったものを刺し込んだかのような鋭い痛み。こんな腹痛はこれまで経験したことがない。勉強机に向かって座っていることができなくなり、身体をくの字に折り曲げるようにして畳の上に倒れこんだ。今日、食べたものを必死に思い出してみたが、普通に食堂で食べただけである。ご飯、味噌汁、唐揚げ。生ものや傷みやすいものは食べていない。とにかく痛みだけは激しいが、吐き気や下痢はない。吐血も熱もない。いったいこれは何なのか。腸捻転?盲腸炎?寄生虫?思いは千々に乱れるも痛みは一向にひかない。たらたら冷や汗が出てきた。これはちょっとまずいのではないか。

 携帯電話もメールもない時代のこと。固定電話も引いていない。学生はみな公衆電話で用事をすませていた。救急車を呼ぼうかと思ったが、公衆電話まで歩くなら、その先少し行ったところにちょっとした病院があったはずだ。直接行くほうが早い。とるものもとりあえず、身体を引きずってその病院になんとかたどり着いた。古ぼけた受付で、ベルを鳴らすと奥から看護師さんが出てきた。「お腹が急に痛くなって・・・・・・」「あ、そうですか、とりあえず宿直の先生を呼んできます」。「先生はなかなか出てきてくれない。しばらくしてようやく眠そうな先生が出てきた。

 ちょっと頼りなげな先生だったが、指で何度も私のお腹を押してていねいに反応を調べてくれた。それから採血をして奥にもって行った。しばらくしてから先生は現れて言った。「開腹手術かとも思ったけど、そうも炎症じゃなさそうですな。白血球が上がってない」。

 ちょっと前振りが長くなった。私が書きたかったのはこの白血球のことである。私たちの血液中には、酸素を運ぶ赤血球がたくさん流れている。が、そのほかに、赤血球よりも数は少ないが、異なるタイプの細胞が流れている。それが白血球。赤血球はその名のとおり真っ赤で、中央がへこんだアンパンみたいな形をしている。一方、白血球は、表面に無数のヒゲ状の突起が生えた球形をしている。顕微鏡で覗くと、赤血球がアンパンなら、白血球は和菓子みたいに見える。血液一マイクロリットルあたり、赤血球は、成人男性なら平均およそ四二〇万~五五〇万個、女性なら三八〇万~四八〇万個もある。この数は比較的安定していて、もし健康診断でこの範囲を下回っているようなら貧血の可能性がある。一方、白血球は血液一マイクロリットルあたり、五〇〇〇個ほどしかない。しかしこの値は個人差が大きく、また、尾内人間でも状況に応じて変動する。特に大きく変動するのは、外部環境から侵入者があったときだ。白血球数は急上昇し、一万とかそれ以上になる。白血球は外敵と戦うための防衛隊なのである。

 それゆえに、もし私の腹痛が、外来微生物による感染症やそれに伴う炎症(いわゆる盲腸炎=虫垂炎も異物が滞留し、そこに細菌の感染が起こって炎症が生じた状態)、あるいは寄生虫による攻撃などであった場合、白血球数が急上昇しているはずである。医師はまずそれを確かめたわけだ。

 さて一般的に白血球と言った場合、それは広義の、生体防御に関わる免疫細胞の総称を意味する。この先は血液中の白血球のうち、いちばん大きな部分、およそ二〇~四〇パーセントを占めるリンパ球について話を進めたい。

 なお、先に書いた私の腹痛だが、不思議なことに医師に診てもらってからしばらくするとすーっと和らいで、翌朝にはケロリと治ってしまった。

 いったい何が起こったのか今でも判然としない。ただし虫垂炎や腹膜炎など、消化管の感染症状でなかったことは確かである。開腹手術などされなくてほんとうによかった。

 あとで知ったことだが、腹部を指で押してから急に離したときに、痛みが強くなる場合、これを反跳痛と呼ぶ。また、腹部の筋肉が緊張して硬くなっている状態を筋性防御と呼ぶ。これらは腹膜刺激症状と呼ばれ、腹膜炎の典型的な症状だそうだ。ていねいにこれらを試しながら、私を診察してくれた医師の判断は、まことに的確だったのだ。

 

細胞の分化と初期化 

 われわれ多細胞生物は――それはヒトの場合、総計約三七兆個になるとすいていされるが――もともと精子と卵子が合体してできたたったひとつの受精卵細胞に由来する。受精卵細胞が分裂を繰り返し、二、四、八、一六、三二、六四、一二八、二五八、五一二、一〇二四と増えていく過程で、徐々に変化を遂げていく。ある細胞は皮膚の細胞に、別の細胞は血管の細胞に、あるいは脳、心臓、肺、肝臓、腎臓、脾臓、消化管などを構成する細胞に専門化していく。このプロセスを細胞の「分化」と呼ぶ。

 細胞分裂のたびにもともと受精卵が持っていたDNAが複製され、受け渡されていく。だから同じ受精卵に由来するすべての細胞は同じDNAを持っているはずである。ところが分化があまりにも劇的で多様性に満ちているため――実際、細長い繊維状の神経細胞と球形の血液細胞ではまるで異なる細胞に見える――分化のプロセスでDNAそのものも変化し、その結果として細胞も変化するのではないか。そう考えられていた時代もあった。

 しかしこの推定はある鮮やかな実験によって否定された。今から五〇年以上も前、イギリスのジョン・ガードンは、オタマジャクシの腸の細胞からDNAを含む細胞核を取り出し、それをこれから分化しようとする受精卵細胞の核とすげ替え、それでもちゃんとオタマジャクシになることを証明した。つまり、すでに分化を遂げた細胞のDNAは、質的に変化しているわけではなく、もともと同じ情報を保持している。

 となれば、すなわちDNAに変化がないのであれば、いかにして細胞は分化を遂げることができるのか。これが新たな問いかけとなった。肝臓の細胞は、肝臓で使われる代謝酵素や解毒酵素をたくさん生産する。心臓の細胞は、心筋を構成するミオシンを大量に保持している。肝臓の細胞のDNAにもミオシンの情報は書かれているがミオシンをつくることはない。一方、心臓の細胞のDNAはアルコール分解酵素の情報をもっているがそれをつくることはない。

 すべての細胞が基本的に同じDNAを持っているのにもかかわらず、その中から読みだす情報が異なっているわけだ。

 それはこのようにたとえられる。同じカタログを保有しているのだが、その中から注文する商品が違う。よく注文する商品のページにはポスト・イットのような付箋が貼られる。この付箋の貼り方が、細胞の分化によって異なるパターンを取る。

 実際にDNAの解析がより進むようになってから、興味深い事実が明らかになってきた。DNAの情報は、DNAを構成する四種類のヌクレオチドという単位物質の配列に記録されている。mヌクレオチドの配列は、肝臓の細胞と心臓の細胞とで一致している。つまり同じDNA情報を保持している。しかし、ヌクレオチドをさらに詳しく解析してみると、各所に小さな化学物質によって細かい目印が付けられていることがわかってきた。それは専門用語でDNAのメチル化、と呼ばれている。このメチル化がポスト・イットにあたるものだった。メチル化の有無によってDNA情報の読み出し方が変化する。つまり遺伝子のスイッチのオン・オフが変化する。細胞分化のプロセスにおいて、各細胞ごとに、DNAのメチル化のパターンが異なるものになっていく。メチル化の差異が、DNA情報読み出しの差異と異なり、遺伝子のオン・オフをそれぞれの細胞で異なるものにする。これが細胞に個性を与え、専門化を進めていくことになる。

 さらに興味深いことが判明した。DNAに付加されたポスト・イット、すなわちメチル化は、取り外すことも可能だということだ。細胞の中にはDNAをメチル化する酵素と、それを取り外す、DNA脱メチル化酵素が存在している。分化を遂げた細胞のDNAは、その専門性に応じて特有のメチル化がなされている。しかし、そのDNAを、ガードンが行ったように、もともとの受精卵の環境におけば、DNA脱メチル化酵素の働きによって、メチル化が取り外され、まっさらの状態、つまり初期化がなされる。そうするとこのDNAは再出発することができる。

 同じようなことを人工的に行う方法を編み出したのが、iPS細胞だった。分化した細胞に対し、脱メチル化を促す遺伝子を強制的に活性化することによって、細胞を初期化する画期的な方法。

 しかし、iPS細胞が出現するよりもずっと前から、私たちは、細胞の初期化について知っていた。いったんは分化を果たし、専門化した細胞として一心に仕事に邁進していたはずなのに、あるときそのことを忘れ、未分化状態の細胞――無個性で、ただ増えることだけを行う細胞――に逆戻りしてしまう細胞を知っていた。がん細胞である。

 

がん治療の画期的な展望

 がん細胞は、いうなれば、社会の一員として職業に就き、自分の専門の仕事に邁進していた大人が、あるとき、何の拍子か、急にすべてを放り投げて、青春期に戻って当てのない自分探しを始めてしまったようなもの。細胞の場合、質が悪いことに、青春期に戻るということは、分化状態の前段階に戻るということであり、それはより旺盛な細胞分裂能力を取り戻すということである。だから自分探しをすると同時に、細胞分裂を繰り返し、自分のクローンをどんどん増やしてしまう。

 このような細胞が身体の各所に散らばり、無制限に増え、他の細胞(ちゃんと仕事をしている正常細胞)の酸素や栄養をうばい、圧迫するようになる。そして最後には身体自体を死に至らしめてしまう。これが、がんの正体だ。

 前述した通り、がんの治療がむずかしいのは、がんが外からやってきたエイリアン的悪者ではなく、自分自身の細胞が変質して無法者になったものだからである。つまり内なる敵であるからだ。

 細菌やウイルスのようなエイリアンであれば、それを叩く特別な薬物で攻撃すればよい。細菌ならその増殖を阻害する抗生物質(抗生物質はヒトの細胞にはほとんど作用しない)、ウイルスならタミフルのような特異的な薬がある。また、身体自体が持っている防御機構である免疫システムが、エイリアンを見つけ出し、食作用(リンパ細胞が異物を飲み込んで消化してしまう)や抗体(異物にくっついてその作用を無力化してしまう)によって排除してくれる。

 ところががん細胞の場合、もともと自己の一部からが、免疫システムにとってとても見分けがつきにくい。がん細胞に作用すべく開発された抗がん剤も、多くの場合、正常な細胞をも同時に傷つけてしまう。

 結局、もっとも効果的な治療法は、外科的に切除するか、放射線で焼くことになる。しかし、転移して散らばってしまっていたらこれらを完全に取り除くことはできない。

 それゆえ、もし究極のがん治療があるとすれば、それは内なる敵としてのがん細胞と正面から戦うことではない。むしろ、がん細胞に「君は、もともとちゃんとした大人の細胞だったはずだろう。正気を取り戻したまえ」と諭すことである。それによって、がん細胞がはっと我に返り、自らを取り戻すことができるなら、それがもっとも有効ながん治療法となるはずだ。

 しかしそんなことはこれまで誰にもできなかった。どうやって言葉をかけてよいかも、がん細胞が聞く耳を持つかもわからなかったからである。

 千葉敦子ががん治療を行った病院として本章の冒頭でも登場した、ニューヨークにあるスローン・ケタリング研究所は、世界最高のがん研究拠点のひとつ。私の母校であるロックフェラー大学の向かい側に、巨大な研究タワーと病院がそびえ立っていて、古めかしい石積みのロックフェラー大学とは好対照の外観だ。このスローン・ケタリング研究所から最近、画期的な研究論文が、著名な研究専門誌『セル』に発表された。研究チームは、マウスを用いた動物実験で、大腸がんになった細胞に正気を取り戻させる方法を編み出したのだ。

 専門的にいえば、APC遺伝子を活性化して、Wntシグナルという命令系統を正常化することを試みた。すると数日以内にがん細胞は成長をとめ、数週間ほどすると大腸の病巣は正常な細胞を生産しはじめた。もちろんこの成果はまだ基礎研究段階であり、すぐにヒトの治療に

応用することはできない。より多面的な検証が必要だが、がん研究に新しい展望が開かれたことは間違いない。

 

つづく・・・・2025/8/3/

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