2025/11/15/・・・2017年の「副島・菅野」対談は「真実を抉(えぐ)り出して」いる。「政治運動とは何か」。・・・「革マル」から議員さんとか、各地首長になった人たちが結構おられることの意味も考えなければならない・・・
事前参考資料:
『温故知新(おんこちしん)』「学生運動」に関する過去の情報は極めて重要です・・・『枝野幸男(えだのゆきお)は、東北大学の革マル派だ。』は事実の様です・・・
「
「1656」全4回で『日本会議の研究』の著者、菅野完(すがのたもつ)氏と副島隆彦の対談を載せます。「政治運動とは何か」(1) 2017年2月27日
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中田安彦です。今日は、2017年2月27日です。
安倍政権に強い影響力を与えている、保守系団体である「日本会議(にっぽんかいぎ)」の源流と裏側の秘密を暴露した本、『日本会議の研究』(扶桑社)を昨年発刊した、作家の菅野完(すがのたもつ)氏をお呼びして、先月末に副島隆彦先生を囲んで行った対談の記録を載せます。この対談を行って2週間後に、現在安倍政権に激震を与えている、「森友学園(もりともがくえんぎごく)疑獄」が発覚しました。
この問題は大阪の日本会議の幹部を務める私立幼稚園を運営する学校法人が、小学校を建設する土地を入手する際に、異常な格安(9割引き以上)で国有地を売却したという事件です。この小学校の名誉校長には、安倍晋三の妻である昭恵夫人が就任しています。国有地売却を巡っては、安倍晋三周辺だけではなく、安倍政権を大阪で支える大阪維新の会の松井一郎府知事が、土地の取得や小学校の設置許可を巡って、森友学園側に便宜を図ったのではないかという疑いが浮上しています。
菅野氏はこの件の調査に今は大阪に何度も通われています。この問題は、問題をスクープした、「朝日新聞」の記事に詳しく経緯が説明されています。
(記事の貼り付け開始)
国有地売却、首相が弁明 「安倍晋三小」何回も断った
「朝日新聞」(2017年2月25日)
南彰、岩尾真宏 吉村治彦、飯島健太2017年2月25日01時50分
学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる問題が安倍晋三首相を直撃した。24日の衆院予算委員会では野党が首相の責任を追及。首相は新設される小学校の名誉校長を妻が辞任したことや、自らの名を使った学園の寄付金集めに抗議したことを明らかにして、疑惑の払拭(ふっしょく)に努めた。それでも、売却をめぐる問題は不透明さを増している。
首相はこの日、審議の冒頭から森友学園との関係性を否定しようとした。
「教育者としていかがなものかと相手方に伝えた。何回も断っているにもかかわらず、寄付金集めに(安倍晋三記念小学校の)名前が使われたのは本当に遺憾で、抗議をした」
首相は妻昭恵氏が学園が開設予定の小学校の名誉校長を辞任したことも明らかにし、同学園の籠池(かごいけ)泰典理事長に対して「非常にしつこい」とまで口走った。
17日の衆院予算委で「妻から(籠池)先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」と語った好意的な口ぶりは影を潜めた。質問した民進の福島伸享氏は「先週は同志愛を示していたが、この1週間でだいぶ変わった」と皮肉った。
小学校は「日本で初めてで唯一の神道の小学校」をうたい、系列の幼稚園は明治天皇の名で教育理念などを規定した教育勅語を暗唱させる教育方針で知られる。籠池氏は、憲法改正で首相を後押しする日本会議のメンバーでもある。
首相が追い込まれたのは、国有地の売却手続きの異例さとともに、学園が経営する幼稚園が外国人に対する差別的な言動や教育内容をめぐって保護者らとの間でトラブルを起こしていることが背景にある。
昭恵氏が一昨年、名誉校長を引き受けた際の講演会で「こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っている。(卒園後)公立小学校の教育を受けると、せっかく芯ができたものが揺らいでしまう」と語っていた映像も明るみに出て、同学園の寄付集めや小学校認可を首相が後押ししているかの印象も強まった。
籠池氏との関係について、首相はこの日、「(予定されていた講演の辞退を)電話で話したことがほとんど唯一に近い」。幼稚園について「私が訪問したことは全くない」「どういう教育が行われているかは文部科学省や大阪府が判断すべきだ」と突き放した。
菅義偉官房長官は24日の記者会見で、「夫婦はみな個人的な考え方で行動しているのではないか」と語り、首相を擁護。首相官邸の幹部は「これで政権が追い詰められるような話にはならない。昭恵夫人がファーストレディーとしては甘かったという程度で終わるだろう」と述べ、政権への打撃を抑えたい考えだ。
しかし、政権幹部が森友学園の問題を把握したのは今月に入ってから。首相が重用する稲田朋美防衛相が籠池氏に感謝状を贈っていたことも明らかに。民進の安住淳代表代行は「政治家の名を借り、総理の威光を背に色々なことを進めてきたのではないか」として、週明けも首相の出席が続く予算委員会で追及を続ける構えを見せる。
自民党内からも「問題はだんだん大きくなってきた。なぜ用地がそんなに安くなるのか怪しく感じる」(中堅議員)と不安の声が漏れ始めるなか、首相はヤジで騒然とする委員会室でいらだちを爆発させた。「私だって職を賭して答弁しているんですよ。まじめに聞いて下さい」(南彰、岩尾真宏)
■売却経緯、異例ずくめ
森友学園が大阪府豊中市の国有地(8770平方メートル)を買うまでの経緯は、異例ずくめだった。
一帯は住宅地や田畑だった。1974年に大阪(伊丹)空港の騒音対策区域に指定され、国による補償・移転が進んだ。区画整理で2005年に1筆に集約。騒音対策区域からも外れ、国土交通省大阪航空局が財務省近畿財務局に売却を頼んだ。しかし国の09~12年の調査で3メートルまでの地下に廃材などが見つかり、一部区域から環境基準を超える鉛とヒ素も検出された。
別の学校法人が11~12年、学校用地として7億円前後で売買交渉。最終的には汚染土とごみ撤去の自己負担を見込んだ上で約5億8千万円を提示したが、財務局は応じなかった。
森友学園が小学校用地として手を挙げたのは13年9月。校舎建設費などがかさむことを理由に、まず10年以内の売買を約した定期借地契約を15年5月に結んだ。学園は同年7~12月に地下の大きな廃材や汚染土を除去し、国が1億3176万円を負担した。
ところが学園は16年3月、基礎工事中に地下深くから新たなごみが見つかったと報告し、約2週間後に「国が撤去していたら開校が遅れる」と購入を希望。同年6月、財務局は鑑定価格9億5600万円からごみ撤去費8億1900万円などを引いた1億3400万円で、公共随意契約で売却。10年分割払いとした。
24日の衆院予算委員会などで、財務省の佐川宣寿・理財局長は、定期借地から売買に変えて分割払いまで認めた契約を「適正な処分」と強調しつつ、過去に例がないと認めた。民進の今井雅人議員は「ウルトラCの技を合法の中で組み合わせて、芸術品とも言えるスキーム」と指摘した。
そもそも問題発覚の発端は、財務局が原則公表の売却価格を「学園側の強い要請」で非公表にしたことだった。今年2月8日時点で過去3年間に公共随意契約で売った36件のうち非公表はこの1件。朝日新聞の報道後、一転して公表した。
民進など野党は国会で、財務局が「開校に間に合わせたい先方の意向」を理由に、ごみ撤去費の見積もりを本来の一般競争入札にかけず、掘削調査せずに大阪航空局と調整して算定した妥当性も追及。学園側が一部しか撤去していない疑念も強まったが、佐川理財局長は国の免責条項を根拠に「撤去するかは先方の判断」と述べた。
売買と学校認可の二つの審議会も異例の「協議」をした。大阪府の基準では小学校用地は自己所有が原則だが、国有地の借地は例外で認めている。府私学審議会は定期借地契約前の15年1月27日、財務状況の確認など条件付きで「認可適当」と答申。2週間後、財務局が事務局を務める国有財産近畿地方審議会は定期借地契約を「了承」した。
府私学審議会の梶田叡一会長は「認可適当を出さないと国有財産の審議会が動かないこともあり、事務局同士が協議した」と述べた。22日の臨時審議会では学園の財務状況を危ぶみ、認可に慎重判断を求める意見も出た。(吉村治彦、飯島健太)
(記事の貼り付け終わり)
この森友学園は、日本会議の関係者やそれに思想的に共鳴する政治家を呼んで、「教育講演会」を開いています。今回の国有地の格安払い下げをめぐる疑惑は、安倍政権を支える日本会議という集団が、信奉するまがい物の右翼思想を更に広めるために、教育勅語を園児に強制的に暗唱させる幼稚園や、その幼稚園児を継続的に教育する小学校の建設が行われていることを明らかにしただけではなく、安倍政権という国家権力が民間に国有地の払い下げによって便宜を図っていたという権力の腐敗をも露呈しました。
今回の対談は、その疑惑の発覚直前に行われたということで、その話は含まれていませんが、左右の政治運動に詳しい、副島隆彦先生との対談ということもあり、非常に興味深いものになっています。

以下に対談を載せます。(会員ページでは対談の動画も載せます)
170127菅野完副島隆彦(full) from SNSI on Vimeo.
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中田 皆様こんにちは。私、中田安彦でございます。今日は2017年1月27日金曜日です。本日はベストセラーになりました『日本会議の研究』、扶桑社から出ている本ですけど、こちらをお書きになられた菅野完さんをお呼びして、副島先生とざっくばらんに語り合っていただくという企画でございます。

菅野完氏
菅野完(すがの)さんを簡単に紹介させていただきますと、奈良県生まれでいらっしゃいまして、サラリーマンで勤務した傍ら執筆活動を開始された方で、お仕事をやめられてから、15年から政治分野の記事や雑誌を、オンラインの「ハーバー・ビジネス・オンライン」というところで連載を始められました。当時から『日本会議の研究』は「草の根保守の蠢動(しゅんどう)」というタイトルで人気を博していたものです。去年、この連載がめでたく、これが1冊の本になりました。そしてマスコミでも大きく取り上げられまして、「日本会議」という言葉がある種、去年の日本の政界のキーワードになったわけです。それで現在に至るわけですが、菅野さん、この本が出てから日本会議のほうから直接に攻撃もありましたよね。
●「日本会議の研究」は本職の右翼から褒められた
菅野 そうですね。扶桑社に対して日本会議の事務総長の椛島有三(かばしまゆうぞう)から出版差し止めをお願いしますというファクスが送られてきました。その後、僕がここで名前を挙げている人たちから一通り扶桑社に対して抗議の手紙、ファクスが届いているという状態ですね。第6章に登場する安東巌(あんどういわお)という人物に裁判を起こされているというのが今のステータスです。
中田 安東さんはこの本である種、黒幕的な扱いというか。
菅野 まあ黒幕というか、精神的支柱という。
中田 精神的支柱ですね。逆に日本会議の関係者だった方とか、保守と言われる人たちからよくぞ書いてくれたという声は。
菅野 拍手喝采と言ってもいいんじゃないんですかね。
中田 なるほど。
菅野 とりわけ本職の右翼の人たちはものすごく喜んでくださっている人々が多いですね。
中田 どういうふうに喜んでいらっしゃるんでしょう。
菅野 本職の右翼とはちょっと違うんですが、わかりやすい事例は、これは後ほど先生とのお話の中でも申し上げようかと思っているんですが、北朝鮮による拉致問題をずっと追いかけていらっしゃる方々もそうです。拉致問題というイシューの性格上、あそこは運動体の中に女性の比率が結構高いんですね。子供がかわいそうとかいうところがあるので。そこの集まりに呼ばれていったときときに、何で拉致被害者の救援活動をやっていらっしゃるような方々に僕は呼ばれるんだろうと思ったんですけど、よくよく話を聞いてみると「私たちは同じように日の丸を持って、君が代を歌って運動しているけど、日本会議は大嫌いだ」と言うのです。あそこほど男尊女卑(だんそんじょひ)が激しいところはないんだと。「あそこは天皇陛下だとか憲法改正だと言っているけども、本質は反共でも何でもなく、単なる男尊女卑のミソジニー(女性差別主義者)の集団じゃないかと思っていて、本当に嫌いだった。菅野さんがそれを言語化してくださったのでとてもありがたい」というような話をされまして、なるほどと思ったりしたこともあります。
中田 私、菅野さんのお名前とツイッターでの活動とハンドルネームが最初、一致していなくて、@noiehoie というハンドルでやられていて、2011年の原発事故から政治的なある種の発言を繰り返されてきていて、ツイッターではよく炎上をしていたという認識があって。それでこちらの本を出されて、「あっこれがnoiehoieさんの出された本なんだ」と。すごくある種の違和感というか違うなというか、別の人が出したんだろうと思っていたんですけれども、その前に菅野名義で出された本ではなくてnoiehoie名義で出された本(『保守の本分』)も読みました
菅野 ありがとうございます。
中田 街頭運動みたいなことにも参加されていた。しばき隊というものにも所属していた時期があるというふうなことを書かれていましたけれども、今回の本を書くことがその前の活動とどういった関係があるのかなという、すごい触発された部分があるのかなと。
● 「運動に参加することと本を書くことは別」
菅野 運動によってモチベーションに火がついたとかは一切ないですね。運動のモチベーションと本を書くモチベーションは全く別なので。ただ、運動によって知り得た、あるいは運動するに当たって必然的にする必要のあった観察の結果、入手した情報というのはこの本に大分反映されているというか。とりわけ、副島先生だとわかっていただくと思いますけど、本を書くときって何を書くよりか、書かないことを選ぶことのほうが大変じゃないですか。あれもこれもいっぱい書きたいというので、書かなくていいことを……
副島 落としていくんですよね。
菅野 どんどん落としていくんですけど、その本を書くに当たって、今回の本の場合落としましたが、日本会議と在特会(ざいとくかい)の接点の部分、僕の調査は実を言うとこんなしようもない連中がこんなに活動をやれるというか、維持できるのはなぜなんだろうと。何でいろんなやつが、あんなやつらに共感するんだろうというのは、3年、4年前の僕の調査のスタートポイントだったので、そこはもう完全に運動と。
副島 なるほど。4年前がこの本を書く……
菅野 調査のスタートポイントでした。
副島 始まったと。ということは2012年。
菅野 2012年ぐらい。
中田 そうすると、今はもうある種の運動という前線からは引かれてるわけですよね。
菅野 はい。
中田 そういったある種、左の運動と右の運動両方研究されたのかなというふうな。
菅野 左側の運動って今やあまりおもしろくないので。その内実を追いかけても社会的意義もないですし、文学的なおもしろみもないわけで、はなからあまり興味はなかった。
● 右派の学生政治運動を研究
中田 そこで今日の副島先生との対談のテーマが「政治運動とは何か」「政治学生運動とは何か」ということで、こちらの『日本会議の研究』でも大きな一つのテーマとして、今、安倍政権である種、右、右翼と言われている政治家の方々がもともと長崎大学の反共学生運動のOBであるんですね。日本会議というのは、その流れに乗っている活動であるということで、いろいろな自民党の議員の名前の方が若手も含めて出てきます。
副島先生はある種、左翼政治運動に非常にお詳しくて、同時に右翼の、当時の国際勝共連合(こくさいしょうきょうれんごう)とかそういったものの活動も見てきていらっしゃると思うので、世代は違いますけれども、政治運動という形でお2人にぜひお話しいただきたいということで、今日の企画になりました。
これぐらいで私のほうの前振りは終わらせていただきまして、副島先生と菅野先生の対談に移りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
菅野 よろしくお願いします。
副島 副島です。今日は菅野完(すがのたもつ)さんに来ていただきました。私も初めてお会いしました。私は初めてお会いしました。
これ私が12月31日の夜に、彼にお電話したんです。初めてお電話した。なぜならこの『日本会議の研究』の巻末の経歴のところに西麻布の自分のご住所と電話番号まで書いてある。こういう人はもうこの30~40年、いないんです。1960年ぐらいまでいたかもしれない。だけどいろんな問題があって、普通の人ですら住所は書かない。電話番号、教えない。もっと言うと自分の家のアパートの名前すら消すという時代ですから、こんな時代に自分の顔も当然そうだけど、住所と電話番号までさらして生きているというのは大変なことです。あなたは偉いと言って、まず私は褒めたというか、私でもそういうことはしません。
● 言論人の良いところは「組織に所属しないこと」
嫌がらせや妨害はあると世の中の人もみんな考える。人間関係というのはどんどん複雑になっている。だから菅野さんがこういうことを自分でなさっているから、お電話に出られたんで40分ぐらいお話しした。それで菅野さん、偉い人だなと思って。私の言葉で言うと真っ裸主義と言いまして、私も真っ裸主義でやってきた。私生活の秘密というのはあるけどそんなもの別にどうだっていいんだと。
言論人、評論家ですから、ほかの権力者とか有名人たちの私生活はどうでもいいんだけどね。政治思想の流れで人物像を描いてきた人間ですから、自分のことを書かれるという段になったとき逃げるわけにはいかない。ご自由にどうぞというほどでもないけども、やっぱり物書き、言論人、ジャーナリストは自分をさらして、評価判断を周りがするんだということを前提にして、堂々とした態度を常にとっていなければいけない。
だから物書き、言論人の唯一の取り柄は、組織団体に所属しないということなんですよ。所属してもいいんだけども、お金がかかっている、生活がかかっているような企業とか、ちょっとしたお金をもらっているような組織、団体にかかわっていますと、発言はとにかく控えなければいけなくなります。自由に物が言えない人間は、言論人としてはだめなんですね。自分の意思に基づいて、自分の知能と存在を全身でかけて文章を書いて発言をするというのは非常に大事なことだと私は思っていて、菅野さんがあらわれてくれてよかったなと思いました。
この本の内容、私は12月になって初めて読んだ。この本は去年の5月に出ているんですが、12月になって読んでその年末の日にお電話した。この内容に関して、今から私は菅野さんにこのページの何という人物と何という運動についての確認みたいなことをしながらお話をしていきたいと思います。
菅野 はい。ありがとうございます。
副島 あと、最初に言っておきますけど、1月にYouTubeに菅野さんが内幸町ですか、外国人記者クラブ、フォーリン・プレスのクラブに呼ばれていって、英語でお話ししている部分もあった。テキサス大学のご出身だとか。
菅野 そうです。
副島 非常に大事なことなんですけど、ほとんどは欧米の白人、アジア諸国でもいんですけど、記者たち相手に英語できちんと堂々と「日本会議の研究」という、この組織は一体どういう組織であるかということをお話しした。
ただ、すごいなと思ったのは1点、日本会議というのは女子供を相手にしない人たちだというか、先ほどのアルル君の言い方で言えば、差別している人たちなんだという、その1点を英語で簡潔に外国人記者たちに語っていたという点です。
この1点を突くというのは非常に大事なことで、東京に来ている外国人記者クラブだって、それはもう『ニューヨークタイムズ』みたいな大きなところの、後ろに恐ろしい組織を背負っているような大新聞から、ヨーロッパのテレビから、あとはインディペンデントなジャーナリストみたいな人たちまでいます。
彼らに説得的に、パースウェイシブ persuasiveというんだけど、がっと押していくためにはメンタリティーよりマインドなのよ。マインドは心じゃないですよ。日本人は心臓と言うからおかしくなるけど、脳なんですね。ブレインの中の「シンキング・アビリティー」のことをマインドというんですよ。こういう基本のところができていない民族で本当に嫌になる。そこのマインドのところで、知能、思考のところで外国人記者たちをうわっとつかんでしまうんですね。ああ、これは女性差別をしている団体ですということで、それは世界基準に合わない。
世界基準という言葉を私はもうこの30年、ワールド・バリューズと呼んできて、スタンダードはだめなんですよ。ワールドスタンダード、グローバルスタンダード。あれは工業品規格という意味なんです。JIS規格みたいなね。やがて中国は日本のJIS規格を改良して世界基準の工業規格を世界に向かって公表するんじゃないかと私は思っています。そのぐらい日本のJIS規格も、ジャパン・インダストリアル・スタンダードですよ。スタンダードが基準なんですね。工業品規格。そうじゃない、文化的なもの、社会的なもの、政治的なもの、全部含んだ価値の全体のあり方はワールド・バリューズというんだと。
そのワールド・バリューズがわかっている人なんだと菅野さんは。非常に珍しい日本人で、42歳ですから私のここにいる弟子たちとほとんど同じ年で、私は63だから21歳違いますからね。私が知っていることで大事なことを教えたいという気持ちがありましてね。
菅野 ありがとうございます。
副島 だからここは、もう菅野さんもこの本1冊でデビューなさっているから、評論家としていろいろなところに呼ばれてこれからも言論戦もやるし、いろいろな言論で闘っていかれると思うけども、私としてはまず基本事項の知識のところで21年早く生まれた人間として、この言葉のここは実はこういうことだったんですというのをお教えしたいというのが、私が菅野さんとお話ししたかったことで、それは学生運動って何だったんだということの説明をしたいと思ったからなんです。
● 「日本会議」は女性差別主義者の集団
ですから、何で女性差別なんていう、そんなことは誰も知っていることだけどだめなのかは、今の天皇譲位(じょうい)問題で明仁(あきひと)天皇、今上天皇(天皇陛下)と美智子皇后が怒っているわけですよ。自分は皇室典範をさっさと変えてほしいと、はっきりもう代理人を通して言っている。なぜなら憲法違反だから。両性の平等って憲法に書いてあります。男女平等を無視した法律は日本国内にあってはいけないんですよ。このことをわからないんですよ、日本人は。
特に天皇は男じゃなきゃいかんとか言う連中はね。例えば企業が男子総合職30人、女子補助職募集とかやったら、これは労働基準監督署や総務省や人権を管理している法務省が飛んできますよ。叱られるだけじゃ済まないですよ。
ところが皇室典範という、日本国内上は法律で男系の男子は皇統を引き継ぐ、次の天皇になると。そういうことを言ってはいけないんですよ。これがわかっていないんだ。つまりワールド・バリューズに反しているという自覚がない。何が悪いとこいつら言いますからね。本当にいけない人たちで、それを外国人記者クラブの人たちは当たり前のこととして理解しているんですね。
菅野さんもそれがわかっている人なんですよ。ところが私の弟子たちでもそれがわからないのがいっぱいいて、日本というのは国内と世界との関係における教育ができていないんですよ。恐ろしい国なんです。これは戦後70年のアメリカによる愚民化政策だと思う。くるくるパアに日本人をするための教育が一貫してなされてきた。一番悪いのはここです。しかし、それに便乗するような形で日本的右翼というか、自分たちでは愛国派だと思っているおかしな連中がここまではびこっている。その象徴が日本会議ですから、この部分で話が一致していきましてね。
だから私は外国人記者クラブで菅野さんが自分で講演なさっているところで、最終的に天皇の譲位問題で次の徳仁皇太子が徳仁(なるひと)天皇になる。そのお嬢様である愛子(あいこ)様が精神的に不安定であるから排除するとか、そういう理屈を言う。お母様の雅子様もおかしいとかね。何を言うかと。
長女であれ長男であれ、天皇の次の長子(ちょうし)が引き継ぐのが正しいんだと。これがリベラル派左翼は戦前からの天皇制による政治弾圧があったので、嫌いなんですよね。天皇問題を語りたくないんですよ。しかし、ここは一応憲法1条から8条まであるので、9条が戦争放棄、平和憲法ですね。天皇制というのは国王ですから。エンペラーとか皇帝ではありません。世界中にある国、王国の一種なんですね。それを認めた上で憲法を守ろうという勢力があるわけで、私はもうそこに所属します。
菅野さんも大体そうだと思いますが、どうですかね。そこはまた……
菅野 最近、ちゃんとした左翼の方で確かにそんなことを言う人は少ないですけど、嫌だなと思うのは、安倍政権憎しで天皇陛下のお気持ちを踏みにじるつもりかなんていう言葉を、リベラルと自称する人が簡単に口に出すところがあるんですね。僕はあれが安倍政権よりもいらいらして。
副島 不愉快で。
菅野 不愉快ですね。リベラル、自由主義者だと言っているのであれば、立憲主義に基づいて粛々と処理しろということ以外は言えるはずがないのに、安倍は天皇陛下のお気持ちを……
副島 不敬であるとか。大御心(おおみこころ)に反する、とかいう。
菅野 反しているとか。それは僕ら右翼が言うなら別にいいですけども、リベラルの人たちが言う言葉じゃねえだろうと、最近ずっといらいらしていますね。
副島 とにかく護憲勢力と憲法改正勢力で、安倍はもう確実に憲法改正に向かって自分の全存在意義をかけていますからね。その一歩手前のところで天皇譲位問題で次の次は悠仁(ひさひと)皇子ですけど、御子を秋篠宮(あきしののみや)の息子をつけたいという勢力を代表している。日本会議なんてそのための団体のような人たちでね。憲法改正派なんですね。そこは日本国内の大きな対立線ですからね。私はそういう枠組みというのは、自明のこととして、一応言葉の使い方から始まり、ここで菅野さんとお話ししたいと思いました。ちょっと私の話が長かったんですけれども。
菅野 いえいえ。
副島 何かご自分のご主張とかあったらどうぞ。
菅野 これは後で出てくるんですけど、今日の対談ってどういう方がごらんになるかわかりませんが、僕側から見ている人に持って帰ってもらいたいのは、こんな本を書いておきながらなんなんですけど、日本会議って別に大したことないよということ。「巨大組織・日本会議」みたいなイメージがもし見ている人の頭の中にあるのであれば、いや、そうじゃないんですよということと、まずそれを前提にして「でも影響力、持ってるよね」ということなんです。
その影響力ってなぜに、どのように行使されるのかということですね。時間は限られていますけど、その中でこの対談を読み終わったら、「ああ、そういうことか」とわかってもらえればいいと思います。
副島 弁明するわけではないけど、私はこの本の中に出てくる人の7割ぐらい知ってるんですよね。呼ばれて行って話をしたとか。その説明をしたかった。村上正邦(むらかみまさくに)さんのところにも呼ばれて行って、(永田町の)パレ・ロワイヤルで話をして、その時に最後に「二度と来ません」と言ってやった。失礼だと。村上正邦さん自身は参議院のドンと呼ばれた人ですからね。この人は野中広務さんやら横にいる親分だった竹下登の子分の
菅野 青木さん。
副島 村上さんは、青木幹雄(あおきみきお)さんたちに追い出されたんですよ。そういうことはもうはっきりしている。自分がドンですから、好々爺(こうこうや)で立派な人格の、すぐれた穏やかな人の態度を一貫してとっているんですけどね。
私は嫌なんですよ、あの態度は。呼ばれていって、話をしたんだけども二度と来ませんと。あなたたちはアメリカに対する態度を間違っている。私は日本は本当の独立国でありたいけれども、アメリカは日本国民の資産も奪い取るけれども、独立国としての行動を許していないと。日本共産党もそうです。創価学会もそうですけど、「米軍帰れ」って言えばいいのにどうして言わないんですかと。自分の国は自分で守ると一言も言えないで、右翼だとか愛国家だと言うこと自体がおかしいと。この議論は、本当は日本共産党系の憲法学者たちから、戦後最初に出たんですけどね。
● 「世界普遍価値」に挑戦する日本会議
日本国憲法よりもその上に安保条約があるじゃないかと。それは安保条約のほうが上なんですよ。日米安保条約。そうすると、前提の大きな真実を隠しておいてから憲法を守れとか、憲法を変えようということ自体がおかしいと。ただし、これを言い出したのはリベラル派もいるけども、共産党系の憲法学者たち、これは昔は優秀でした。その人たちが言ったことなんですね。
だから理論の組み立て方っていろいろなふうにできるので、だから私がさっき(譲位問題について)言ったのは日本国憲法を解釈して、内閣の助言と承認、憲法4条に反して今の天皇が勝手な発言をしたと。内閣である安倍政権を無視して勝手な発言をしたと。ゆえに憲法の外側に出た、許さん、処罰するという考え方なんですよ。そうじゃないんだと。あなたたちの憲法解釈なんていうものではなくて、日本国内の憲法解釈より上に世界というものがあるんだよと。ワールド・バリューズがあって世界で通用している大きな流れがあって、それに逆らうのはやめなさいと。
公然と男女差別をして当たり前とかね。もう前振りで言っちゃいますけど、1978年に昭和天皇が戦犯合祀、靖国神社に東条英機以下17~18人、名前の札を持っていっただけなんだけど、それは厚生省の戦後を処理している局が持っていった形になっているけど、合祀(ごうし)してまとめてまつってしまったら、昭和天皇はもう行かない、参拝しないと宣言したんですよ。怒っているんですね。ストライキをやったんです。
これは私は10年前に自分の論文で書きました。ザ・カルト・オブ・ヤスクニと。安倍晋三たちはあのとき政権をつくっていましたから、世界から呼ばれているんだと。あなたたちはカルト集団なんだと。欧米のジャーナリストはそう思っていますよと書いた。日本国内ではほとんど理解されず、2007年、2008年からもう10年たちました。ですからそういうことで、こういうことを言っても安倍晋三及びその周辺は歯牙(しが)にもかけない。副島なんて影響力がないから放っておけばいいぐらいに思っていますけどね。そうじゃないんだと。「あなたたちがやっていることは、昭和天皇の意思にすら逆らっているんですよと。とんでもないことなんだ」と言わなきゃいけない。
(保守の奴らは、)「昭和天皇は好きだけれども、今の明仁天皇は嫌いだ」と公然と言いますからね。昭和天皇の意思が子供さんである明仁天皇につながり、さらに子供さんである徳仁、次の天皇につながっているんですと言うふうには考えない。だから世界の言うことを聞け、戦争を仕掛けるな。危ないことをするなという昭和天皇の意思に逆らう気かという議論になるんですね。
これは菅野さんが言った、いわゆるリベラル派のどの程度の知識人か知らないけど、彼らも無自覚なんですね。今はもう戦い、争いがなくなったものですから、素朴な自分の感情がほとばしり出ちゃったりするんですよ。でもほとんどの旧労働組合運動とか、左翼系とか、市民運動の人たちは、天皇問題には触れたがりません。発言しません。考えません。それが現状だと思いますけど、どうでしょうね。この早瀬善彦さん(注:『日本会議の研究』に登場する、元日本会議のメンバー)という人も何か訴えているんですか。
菅野 えーと、彼は……
副島 同志社大学の嘱託講師。
菅野 そうですね。今、もうそれをやめちゃったのかな。京都で塾を経営して結構成功してるみたいですけど。彼は最も早く学生の立場で日本会議の活動にオルグされちゃって、こいつらおかしいんじゃないの、気持ち悪いんじゃないのという声を上げた人ですね。
副島 あっ、そうですか。
菅野 はい。
(つづく)
「1658」 全4回で『日本会議の研究』の著者、菅野完(すがのたもつ)氏と副島隆彦の対談。「政治運動とは何か」(2) 2017円3月4日
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(動画では、だいたい26:45からです)
170127菅野完副島隆彦(full) from SNSI on Vimeo.

副島 じゃあ、私が質問していってよろしいですか。
菅野 はい。
副島 もう最初のほうから私の読み込んだ印象なんですけど、(この『日本会議の研究』は、)非常にすぐれた本で、緻密にこれだけの本を4年の調査で書けるというのはすばらしいと思います。私の弟子たちも本を書いていますから、ちょっと評論家デビューをしているんですけれども、なかなかご飯を食べていくのは大変だという状況です。この本は、気持ちはしっかりとした本で、緻密でそつがないし、細かく政治思想の流派まで正確に把握なさっているから、私も驚いた。だから、もうこの日本会議というのは、国会議員だけだったら300何十人いる。
菅野 そうですね、今300人ぐらい。
副島 参議院、衆議院。民進党の連中もいるんですよね、かなり。
菅野 ああ、そうです。昔、民社党と日本会議の(前身の)日本青年協議会は仲がよかったので、民社党系の民進党の議員さんは日本会議のままと。現役だったら東京の松原仁(まつばらじん)さんが一番有名かな。引退した人だと塚本三郎(つかもとさぶろう)さん。

民主党の松原仁(左から3番目)と籠池泰典氏ほか主要な右派人脈
副島 民社党ですね。
菅野 ええ、民社党から流れて。
副島 塚本さんの子分が今の河村たかしさんかな。

塚本三郎・元民社党国会議員

春日一幸・元民社党国会議員
菅野 そうですね。
副島 春日一幸(かすがいっこう)さんの秘書もやってたあの名古屋市長ですね。
菅野 そうそうそうそう。
副島 右翼ですからね。あの人、対中国になるとね。

名古屋市長・河村たかし
菅野 だから右翼じゃなくて、反中国、反韓国というところになっちゃうんですね。
副島 まあ、そういうことですね。だから減税運動をやるというのは正しいと私は思いますけど。やはりこの谷口雅春(たにぐちまさはる)さんという人がつくった「生長の家」という団体の青年局ですね。ここをこの本全体の柱にして、ここから育った人たちが今の日本会議をつくり、そして安倍政権をつくっているという証明なんです。これはすばらしいことで、単線的に証明していっている。それで証明ができ上がっているんですね。ぐうの音も出ないはずだと思います、この本に書かれたことでね。谷口雅春さんというのは、私の知識では「ニュー・ソート・ムーブメント」というのがありまして。
菅野 おっしゃるとおりです。
副島 新思想運動というのがアメリカのマサチューセッツ州のボストンで始まったんですね。実はダグラス・マッカーサーなんかもちょっと関係あるんですけど、これ新思想運動は新宗教運動で、実は裏が深いんです。これはもう話すときりがないからやめますけれども、セシル・ローズたちのラウンドテーブル、円卓会議というのがあって、そこの中でもうこれは1800年代の終わりからある秘密結社に近い人たちなんですけど、この資金が入って谷口雅春さんは、それまではあそこだったと思うんですね。
日本における明治からこっちの、一番巨大な、真っ当な、一番大きい新宗教運動は大本教ですからね。出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)さんなんですね。出口なお(直)さんという人が教祖様のお母様で、政治弾圧に遭ったりしたんですけど、ここの書記局か印刷局みたいなところに最初、おられた。
菅野 それどころか大本(おおもと)の中で結構有名信者、幹部という言葉は当たらないですけども、普通に出家というか、信者として大本で活動していて浅野二郎とかと一緒に結構有名な信者、看板塔みたいなことをやってたんですね。
副島 神戸か何かの印刷局があったんでしょうかね。そこに入社しちゃったのかな。
菅野 多分それは、大本をやめた後だ。印刷会社に勤めるのは。
副島 資金がやっぱりボストンのニュー・ソート・ムーブメントから来ていますね。そうすると、その片割れが例えば熱海に私もいますけど、そこに世界救世教とかその系統のMOA美術館、岡田茂吉(おかだもきち)さんとかああいう人たち。明るい感じのいわゆる新しい時代のスピリチュアリズムが入っている宗教ですね。谷口雅春は、戦前にスタンダード石油系の「ヴァキューム・オイル」に勤務していたけど、啓示を受けて、やめてボストン・ニューソート運動に関わっていったんですね。

谷口雅春・生長の家創始者
菅野 ちなみに「ニュー・ソート・ムーブメント」というのは、日本の人に一番なじみがあるのは、渡部昇一が80何年かに翻訳してベストセラーになった『マーフィーの(成功)法則』。あの『マーフィーの(成功)法則』を日本で初めて持ってきたのは渡部昇一じゃなくて谷口雅春のはずですね。谷口雅春が戦争が終わってすぐぐらいかな。『マーフィー博士の成功哲学』とかいう本を翻訳して出してもうけたと。
副島 ポジティブシンキングでしょう。
菅野 ポジティブシンキングです。いわゆるポジティブシンキング。
副島 明るく前向きに生きなさいという思想。
菅野 プラス全ての起こることには何らかの意味があるみたいな。
副島 マーフィーズローというのはもう一つあって、少しでもだめなことは必ず失敗しますよ、気をつけなさいという法則もあるんです。これは人物が違うんですね。私は否定的なほうが好きなんですけどね。ちょっとでも危ないことはしてはいけないと。失敗するよと。
菅野 トーストが床に落ちるときは、バターを塗った面を下にして落ちるとかいうのもそうですね。
副島 だからそっちじゃない、明るく物事を考えているスピリチュアリズムの一種ですね。そこはそれとして、もう前のほうから私は大事なことを言います。(本をめくりながら)この北岡伸一さんという人がいて、これは今は国際大学学長ですが、立教大学から東大の政治学の先生をした私よりちょっと若い人で、60ぐらいでしょう。この人は優秀な人で、頭のいい人で、日本の学者でキレるなという人は私はこの人ぐらいだと思っているんですよ。保守系、体制派で。

北岡伸一・国際大学学長
ところが菅野さんの本を読んだら、もうこの人が大やけどしたと書いてある。私の言い方ですけど、2015年の3月幾日に安倍首相に向かって中国とかアジアに謝ってくださいと。もうこれは私たち有識者会議で研究した結果、やはり日本の政府及び日本軍が戦争中にやったことは反省しなきゃいけないんだと。謝ってくださいとはっきり言ったんですね。本人にも言ったと思います。この人が座長代理で、諮問委員会の委員長ですからね。
ところが4月10日になったら突然におわびの踏襲にこだわる必要はないと。「おわびする必要ない」に態度を変えたんですね。そのときに北岡は大やけどしていますね。知識人思想家としてはね。
菅野 このとき北岡先生は、学者とか知識人とかという立場ではなくて、政治家という立場を僕は選ばれたんだと。もちろん議員ではないですけども、政治家として、あるいは日本語の文脈でいえば社会人というのかな、そういう立場を優先されたんだろうなと。
副島 大人だよ。
菅野 大人になったつもりなんでしょうね。
副島 だから私にこうやって笑われてしまうんですよ、北岡君は。彼はぽっきり折れたと。本人はやはり嫌だと思いますよ。
菅野 本人はものすごく嫌な気持ちをしていると思います。学者として。
副島 うん。やっぱり首相を説得するも何も諮問委員会で諮問を受けて、諮問の答申を出したのに、蹴飛ばされた形なりますね。ただ一番悪いのは、中西輝政(なかにしてるまさ)というのがいましてね。静岡大学にいたんだけど、京都大学の政治学部。こいつはもっと右翼で、一切謝る必要はないと言った。
つっぱねろと言ったところが、2015年のこの戦後70年の安倍談話は謝ったんですよ、実は。外側に向かってはね。アジア諸国と中国に大変な迷惑をかけたと。
菅野 外務省のサイトを見るとすごくおもしろいですね。英語を読める人間があれの英文テキストを読むと、文法的に日本語には合致しているのに意味合いとしては乖離(かいり)しているという、極めて政治的な文章が今もまだ財務省のサイトに上がっていますけど、あれはもう外務省の官僚の意地なんでしょう。
副島 おわび、あるいは謝罪はしているんですよ。外務省としても謝罪しろという態度で、日本外務省としては謝罪しているんですよ、実は。歴代首相たちにさせているんですよ。
菅野 英語で読むと謝罪しています。日本語で読むと謝罪していない。
副島 だから安倍晋三たちはそういう連中なんですよ。ここのところ、彼らを説得しなきゃいけないと私は思う。会話が通じないとか、右翼と左翼で話が通じないということではないんです。私は安倍系の言論人たちとどなり合いをしてでも説得しようと思っていましてね。どなり合いは説得にならないというかれしれないけども、世界で通用しないことをやると本当に恥かきますよじゃなくて、責任問題になりますよということをね。
そうすると、いや、俺は日本にいて立てこもっていて、俺が何を言おうが俺の勝手だとか平気で言いますから、最後は。この人たちの知能の水準というのは本当に低いということになります。
北岡さんはいいんだけど、同じページに長谷川三千子(はせがわみちこ)さんという、これは埼玉大学の教授をしていた。このおばさんは、年賀状のやりとりだけ私はずっとやっているんですけど、とんでもない右翼のおばさんで、日本会議そのものですね、本当に。なのに、態度としてはやわらかいんです。いいんです、こんな人はどうでも。大した知能がないから。これが49ページですね。

長谷川三千子
菅野 野上弥生子の孫ですよね。
副島 ああ、そうだ、そうだ。野上弥生子さんは女流文学者としては立派な人だったんだけどね。あとはもう村上正邦さんはいいや。もうこの人には参った、もう。これどん亀、亀井静香と仲よかったり、石原慎太郎と仲いいみたいなことをひけらかしながら、週刊誌のコメンテーターをやりたいだけなんですよ、実は。
自分のところで勉強会をして引きずり込んで。自分自身は生長の家から全国区で参議院議員をしていたくせに、生長の家のことを言わないでしょう、あんまり。
菅野 いや、今は積極的におっしゃっていますよ。
副島 ああ、そうですか(笑)。
菅野 ええ、今、積極的におっしゃってます。
副島 一時は追い出されたんじゃないかと私は思って。
菅野 いやいや、追い出されてはないです。立派だなと思うのは、村上先生の事務所に行くと、いまだに谷口雅春に書いてもらった額縁が真っ正面に飾ってあったり。
副島 ああ、そりゃそうでしょうね。私も見ましたよ。だから谷口雅春先生を尊敬するけれども、自分の兄貴分であって、自分が師匠としていたくせに、玉置和郎(たまきかずお)さんというドンが参議院にいたんですね、この人に対して俺は同格だと言い続けている。

村上正邦・元参議院議員
菅野 玉置さんが生長の家から見ると、生長の家の力で当選したにもかかわらず、裏切っちゃったというふうに認識していたんです、生長の家側が。
副島 なるほどね。だから私は別に恨みはないですけど、目の前にあらわれた連中の目つきがあまりにも悪かった。
菅野 玉置さんですか。
副島 いや。
菅野 村上さん。
副島 そう。これの子分たちが不愉快でした。目つきが悪い連中がごろごろと30人もいてごらんなさい。どんなに不愉快か。私は人間は顔で判断します。やっぱりもとの顔は私だってやくざ、暴力団顔をしてるんだけど、だんだんいい顔になるんですよ。おかしくないことをしてるとね。
あと悪いことばっかりしてきたやつも、間が抜けたようにいざ逮捕して投獄とかなると、見てるといい顔になるんです。魔が差す、魔が抜けるんですね。魔性というか、悪魔性が抜けるんだって。その程度では、やっぱり顔で人間を見ます。大衆、民衆はそれをやっていると私は思いますよ。顔ってテレビで本当の真意が見えちゃうんですね。それがこのネット時代というか、画像時代のすごさです。あとは衛藤さん。
菅野 衛藤晟一(えとうせいいち)。

衛藤晟一・参議院議員
副島 大分の別府市で選挙運動を彼がやっているとき、私もたまたまあそこで声がかかったものだから、彼の選挙事務所に行って「やあ」と挨拶したら何か顔が引きつっちゃって、向こうは。何でこんなところまで来るんだという顔をされた。そのとき私は日本会議の雑誌に何回か書かされているんですよ、半ページ。何回か。
菅野 ああ、『日本の息吹』。
副島 うん。書いているんですよ、私。何て書いたのかよくわからないけど、書けと言われたから。1万円か何か1回もらったと思うんですけど、私を引きずり込もうと思ったか、こいつは保守言論人ぐらいに思ったんでしょうかね。
菅野 いつぐらいの話ですか。
副島 もう20年前でしょう。だから日本会議青年部というよりも生長の家青年部みたいな人たちでしたね。
菅野 ああ、じゃあ日本青年協議会。
副島 それ。日本青年協議会です。
菅野 『祖国と青年』という雑誌ですかね。
副島 その人たち。そう、それも『祖国と青年』です。今だったら「わっ、とんでもねえやつだった、副島は」と彼らは思っているでしょうけれども、衛藤晟一(えとうせいいち)(総理補佐官)さんが安倍首相をけしかけて横に立ってわいわいやってもう一人がだれだ、萩生田。
菅野 (萩生田)光一(官房副長官)さん。
副島 よくぞ暴力団みたいなやつね。
菅野 萩生田光一さん。

萩生田光一・内閣副官房長官
副島 私は堂々と言って、彼に伝わってても、彼らは私の発言は知ってますからいいんですけどね。本当にあの右翼体質の。右翼という言葉を使うとおかしくなるんだけど、暴力団体質だね。何か下品だ、もう本当に。
菅野 そう言うと、僕は本職の暴力団にちょっと失礼かなと思うんだけど。(笑)萩生田さんはちょっと頭が悪いので別格ですけれども、衛藤晟一さん、萩生田光一さんとか日本青年協議会の人たちって基本的には純粋さだけで世の中を渡る極めて頭の悪い人たちの集まりなんですよね。そこは僕は結構、怖いところだなと思って。
副島 彼らはまず、私の前でばっと足を開いて座るんです。そういう人たちです、みんな。これはどうにもなりません。持って生まれたものとしか言いようがないぐらい。
菅野 衛藤さんは僕は遠目で見たことはありますが、飯の食い方が汚いですな。あれはよろしくないですね。
副島 だから1976年に神社本庁や靖国神社が、これは71ページですけど、「英霊にこたえる会」というのを結成してから、とにかくこれが始まりに近いですね。
菅野 そうですね。これ今の日本人が忘れかけているんですけど、70年代の前半まで日本人のほとんどが何らかの形の遺族だったんですね。東京大空襲の焼夷弾(しょういだん)も中国戦線での敵の弾も南洋での飢餓(きが)も宗教の宗派にかかわらず襲ってきますので、戦死者の中にはクリスチャンももちろんいれば、戦没者の中に創価学会の会員もいるわけですから、ちょっと創価学会だけは特殊ですけれども、戦後しばらくの間、靖国神社を国家的な追悼施設にしてほしいという意見は何も神道の信者だけではなくて、創価学会を除くほとんど全ての日本の宗教の人々のかけ声だったんですね。

英霊にこたえる会の昭和54年の意見広告
ここはもう結構、日本という国を考えるときに重要だと思ってて、人間の心の信条として当然だと思うんです。国の命令によって死んだ人たちなんだから、国が追悼するのは当然だと。しかし、それを神道でやるのはもうおかしいよねと。だから無宗教の施設にしようと。靖国神社という名前は古来の名前を引きずるけれども、鳥居も撤去して、建物はなるべくそのまま使うけれども、中で神式の儀式もしないという国家追悼施設にしようという運動があったんです。
副島 それは世界基準でいうと無名戦士の墓というんだよね。
菅野 そうそう、それにしよう。
副島 兵士たちが死んだんだと。国民の一部である兵士たちが。無名戦士の墓というんですね。それを千鳥ヶ淵の慰霊碑でやるということも、自民党ですら考えてたんですけどね。

2013年10月に米国務長官、国防長官は揃って千鳥ヶ淵を訪問
しかし二ヶ月後に安倍晋三は靖国神社を参拝
菅野 それをやろうとしたの。
副島 神道イズムの、神道の神社にほかの国の大統領や首相が来て、花輪をささげるというのは嫌なんですよ。でもおまえらだってキリスト教でやっているじゃないかということになるから、そんなの一緒じゃないかということになるんですけどね。
菅野 ちなみにアメリカはアーリントン墓地は無宗教というか、全宗教ですからね。墓の中には宗教のマークを入れますが、世界中のありとあらゆる宗教があそこはそろっていますから。日本だけでしょうね。特定の宗派だけで戦没者を慰霊しようなんていうことをやっているのは、確かに。

アーリントン墓地に献花するトランプ大統領
副島 ですからその「英霊にこたえる会」の2年後に、靖国神社の宮司が合祀してしまいましたので、松平何とか(松平永芳)というのがね。息子のほうですけどね。おやじは立派だったのに、あの息子は何ということだと昭和天皇が嘆き悲しんだわけですよ。で、もう78年に合祀してしまったから、だから昭和天皇が怒っちゃったと。行けなくなった。

1969年、かつては昭和天皇は靖国神社に普通に参拝していた
だってその行為は世界を敵に回すからですよ。A級戦犯で東条英機以下は犯罪者として世界が処刑したんだと。なのに、処刑した人たちに「謝れ」という理屈になってしまうんですよ。でも、アメリカやヨーロッパが謝るわけないですから。
日本より上だと彼らは思っていますからね。世界が判断したんだと。戦争犯罪人だと。昭和天皇はその言うことを聞いたんですよ。副島隆彦の言い方をすると、昭和天皇はもともとは明治憲法なんだけども、戦後は日本国憲法という座敷牢の中にみずから入ったんだということを聞いて、世界の言うことを聞いて、日本国が栄えること、国民の安全を守ることという。元元首ですから、そういう判断をした人なんだと私は思っていまして、世界を敵に回すなという、今もそうですけどね。その理念で動いていると、ここは私は安倍晋三以下を説得したいんですね。
ところが1985年には中曽根康弘が勝手に首相になって行ったでしょう。それからあとは2001年に小泉純一郎が首相になってから行きましたね。100円玉か何か投げに行ったんですよ、あれ。4回連続で行ったんだっけ。
菅野 英霊にこたえる会のところで日本の戦後ということを考えるし、今の安倍政権の根幹である反中韓というところを考えるのに、とてもここは僕、重要なポイントだと思っています。『産経新聞』が好きだったり、月刊誌の『正論』が好きだったりする人たちは、靖国神社問題というものが惹起したのは、中国より韓国の反発があるからだというふうに捉えているんですね。彼らは。
副島 世界がとは言っていないわけね。
菅野 中国と韓国がと言っているんですけど、実を言うと靖国神社問題というのはA級戦犯合祀の前に、さっき申し上げた「靖国神社国家護持法案」の頓挫という、国内的な政治大問題を起こしちゃっているんですよ。さっきもちょっと申し上げましたけど、全ての宗派が靖国神社を非神道化した上で無宗教の国家追悼施設としようというところでまとまっていた、それで法案を出したわけです、自民党も乗り気だった。
にもかかわらず、当の靖国神社と神社本庁が、「いや、靖国神社は神道でなければならない」なんていうすっとんきょうなことを言い出したもので、宗教界がばらばらになるんですね。そうすると、その法案なんか通るはずがない。だから最終廃案になる。
廃案になった瞬間に世間は気づくわけですよ。今までみんなで仲よくやってたのにもかかわらず、神社本庁と靖国神社は我を通して神道だと言うということは、こいつらは戦前から何も反省していないんだということに気づくわけですよ。
しかもこいつらは自分たちのやりたいことをやろうとすると、国家神道の復活とかそういう難しい話を前に、憲法で定められた政教分離の原則さえ踏みにじるのが平気な連中なんだということに世間は気づいちゃうんですね。それで大反発を受けるんです。大反発を受けたので、三木首相が靖国神社に参拝するけれども、これは私的な訪問であって公的なものではないですよと、まるで櫻井よしことか今の右翼(が聞いたら)。

三木武夫
副島 バルカン政治家と言われて、どうしようもないやつだった、やっぱり。その態度のとり方がね。
菅野 あのときに、今、櫻井よしことか百地章(ももちあきら)とか、今の右側の浅薄な学者は、あれは三木が中国におもねったからだとか言うんですけど、そうじゃないんですよ。三木からすると、当時の政局的に言うとそう言わないとおさまりがつかないところに追い込まれてたんです。三木は被害者なんですよね。だから、じゃあ靖国神社問題を問題にしてしまった、惹起したのは誰かというと、中国・韓国ではない。それは、神社本庁ですよ。靖国神社ですよ。彼らが問題を問題にしちゃったんですよね。
副島 それで一言で言うと、私の周りにもいるんですよ。私の知人、友人でさえ外国がうるさいと言うんですよね。うるせえと。俺たちは戦争で死んだ人たちを、軍人やら首相たちを拝んで何が悪いと。外国がうるせえと、これですから。この一言で彼らは解決しちゃって、居直りますからね。もう話にならないんです。
最後は、俺が何を考えようと俺の自由だという、本当に5歳の子供みたいな知能でとまってしまうのね。これを説得することはちょっと無理だというのは、私、わかるんだけどね。愛国主義、民族主義か何だか、彼らなりの理屈だと思い込んでいる。もうこれはこれ以上言うとどうにもならない。2013年12月に安倍晋三が、靖国参拝をして。そうしたら株が暴落したりしてね。やはりアメリカが許さないと。ヨーロッパ諸国も許さないと。連合諸国はね。
菅野 アメリカはちょっと本当に嫌がっていますね。オバマ政権のときは特にそうでしたけど。
副島 これはそのまま核兵器の保有問題にもつながっていくわけです。菅野さんの本の116ページに、長尾敬(ながおたかし)というやつが出てくる。これは非常に悪いやつだ。これ安倍の直接の子分なのにもともと民主党から出ていたんですよ。大阪の八尾というところから出ている。民主党時代に私は何度か応援に行って、選挙カーにものってマイクを握っています。
中田:私なんかは、1週間泊まり込んで応援した。民主党から09年に当選したあとに一度、小沢訪中団の後に大阪で会ったら、タクシーの中でものすごく態度が大きくなっていました。その後は、鳩山のあとの民主党代表選挙で、松下政経塾の出身の樽床伸二(たるとこしんじ)を次期代表に推して党内でも浮き始めていて、安倍晋三に対して急接近を始めていった。2012年の総選挙で、
副島:ですから、その後の経緯を見ていくと、ものすごく不愉快です。「うまくだましてやったぜ」ぐらいに思っているんでしょうけど、失礼なやつでね。もう親の代から右翼で、統一教会で、みたいなやつですから、もう何もならんのですけどね。

長尾たかしと安倍晋三
中田 長尾敬は、日本青年協議会だったんでしょう。
菅野 日本青年協議会ですね。
副島 あとは本の144ページ。これは早瀬善彦さんの話でもういいんですが、そうですね。この160ページにはどこの宗教だって構わないし――左から3行目。統一教会と組むのも構わないと。政治運動は合従連衡の合従なんですね。正体を明かしている限りは幸福の科学と一緒にやってもいいじゃないですかと書いてある。
菅野 早瀬さんの意見ですね。
副島 そうですね。ここまでもう彼は言ってしまっているんだな。この統一教会問題のことを私は本当は菅野さんとお話ししたいんだけれども、今のところ、ちょっと後でやりましょう。私が自分がかかわった人たちは、例えばあとは、私は(明星大学の)高橋史朗(たかはししろう)さんとはつながりがないんですね。(活動家の)西村修平さんも知らない。
菅野 ああ、そのほうがいいと思います(笑)。
副島 そのほうがいいと思います、本当に。
だからこの本全体で一番重要な役割をしている椛島有三(かばしまゆうぞう)さんも、(どこかで私は)見ているんだよね。出会ってはいるんだけど、危ない人たちだという判断が私にはありました。同じ椛島という名前のもっと恐ろしい人がいるでしょう、もう一人。椛島家というのはそういう伝統なんですかね、何かの。います。いらっしゃる。


鈴木邦男
それで、鈴木邦男(一水会)さんというこの人も早稲田大学出身です。高橋史朗さんも早稲田で、私も一応早稲田ですけど、彼に呼ばれていって、小さなミニ講演をやらされたりして。ふらふらっと連れていかれてね。鈴木邦男さんのことがようやく私、わかったんですよ。生長の家の青年部でありながら、早稲田大学の正常化運動みたいなことをやっていた。
菅野 早大同志会ですね。
副島 で、追い出されたと。
菅野 そうですね。・・・・・。
副島 それから一水会をつくってもう一回復帰して、70年になってからね。格好よくて、穏やかな人で新右翼運動というのを始めた人なんだけど、全然彼に私は反感ないですけどね。彼は本当は早稲田の反新左翼運動たちのエリートでプリンスだったんですね。
菅野 当時の鈴木先生を知っていらっしゃる方々が異口同音に言うのは、鈴木先生がめちゃめちゃイケメンだったという話です。
副島 そうそう。
菅野 すごいカッコよかったと。
副島 カッコいい。
菅野 それは鈴木先生のことを好きな人も嫌いな人もみんな異口同音に言いますね。
副島 さわやかで鮮やかだよね。
菅野 すごいカッコよかったと思います。
副島 まあそうなんだよね。菅直人(かんなおと)の若いころなんかと似てますよ。ハンサムで立派でと見せかけてたでしょうけど、遠くのほうから私のことを評論してくれているようですけど、鈴木邦男さんとはあまり接点はないですね。
ここからわかることは、一番最後にこの本の結論のところです。「我々はまだ長崎大学正門前のゲバルトの延長を生きている」と書いている。本当はこれ、「彼らは」なのに、菅野さんはわざと「我々は」にしちゃっているんだよね。我々日本人全部が。
菅野 こいつらの主張が、今、憲法改正という渦になっているわけです。僕らが今、目撃している憲法改正の流れというのは、長崎大学の正門の前で椛島有三(かばしまゆうぞう)が、新左翼に殴られるのを見た安東巌(あんどういわお)の決意からというふうに考えると。

椛島有三・日本会議事務総長
副島 これ結論なんですね。あなたのこの本の。
菅野 僕の中では、こいつらの私怨がひっかき回しているというのが(結論です)。
(さらにつづく)
「1659」 全4回で『日本会議の研究』の著者、菅野完(すがのたもつ)氏と副島隆彦の対談。「政治運動とは何か」(3) 2017年3月9日
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※前回「1958」からの続きです。
以下の動画では(54:36)からです。
170127菅野完副島隆彦(full) from SNSI on Vimeo.
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◯新左翼という政治運動とは何だったか?
副島 私怨(しえん)というか個人的な強い激情にかられた、怨念までも含めた激しい情熱のことですね。1966年というのを皆さん覚えてもらいたい。というのは、2016年からするとちょうど50年なんですよ。ビートルズが日本に来たというので有名です。これは266ページに菅野さんが書いているけど。これは文化大革命が始まった年なんです、中国で。ものすごい残酷な、恐らく1億人ぐらいは餓死したり、殴られて死んだりした激しい中国の毛沢東(もうたくとう)が権力闘争のためにやった恐ろしい運動が起きたときです。あれから50年なんです。だから私はここから先は菅野さんに、学生運動というのは何だったんだということを、ちょっと私なりに教えたいということが本当にありましてね。これは若い人たちに伝えていかなきゃいかんという気持ちがあるんです。それでここからは、私にとっては学生運動って何だったんだと。私の弟子たちも、もう40ですからね。あなたと同じで。もう10年区切りで話をしましょう。あまり細かいことを言うとおかしくなるから。
そうすると学生運動は、高橋史朗にしても鈴木邦男にしても、実は今、70歳なんですよ。一言で言うと。私は63。70なんです。この間、私は鳩山由紀夫元総理のところに呼ばれていってお話ししたときに……。あっ、その前に私たちの「学問道場」の会に、そのうち菅野さんにも来ていただきたいけど、学問道場の総会に近いような集まりがあって、そこに呼んで、600人ぐらいのやつ、後ろ半分というか、天骨はげと私は呼んじゃったんだけど、ぴかぴか光っているんですよ、写真で見ると。
菅野 鳩山さんですか。
副島 いや、みんな。鳩山さんも自分も、僕も光ってる。お客さんも光ってる。ヒラリーもトランプも70なんですよ。
菅野 ああ、そうですね。
副島 みんな「ベトナム反戦運動世代」です。本当に。それは20代のときですね。70なんですよ、みんな。私は7歳違うから、新左翼運動の少年兵なんですよ。そのことをあなたにいろいろお話ししたかった。ただ、私はいろいろな場面を目撃しているんです。私は逮捕されていませんし、捕まっていません。有罪判決も受けていない。殴り合いまで参加していますけど、失明はしなかったけど激しい争いもやりました。恐ろしさも知っているんです。暴力運動というものの恐ろしさを体で知っているのね。
だから小説を書いてもいいんだけど。(実際の政治運動というのは、)激しく、勇ましく、立派に闘ったなんていうのはないんですよ。あなたはゲバ棒の中で殴り合って、過激派の、新左翼の連中と勇ましく闘ったという書き方をしているけど、実はそんなもんじゃなくてね。私は現場で見てますからね。ゲバ棒が出てきたのは70年ごろ。竹ざおなんです。4メーターの竹ざおを横にして、つくるんですね。これは機動隊の盾に対してつくる。やがて新左翼内部の過激派同士の戦いのときに、竹ざおを横にこうして突っ込むんです。そこへ小隊長みたいなやつが短い鉄パイプを持って殴り込んでいくんです。これは戦国時代と一緒なんですよ。こんなのは儀式と言っちゃなんだけど、これで死ぬことはないんですよ。機動隊、周りにいっぱいいますし。こういうのは時期の問題なんです。
実は私が1973年に早稲田に入ったころからは、これはただの鉄パイプじゃないんです。ガス管なんです。その前はこういうテーブルの下のアルミの鉄管みたいなのを切り落として並べて、こんなのパンパン殴ったってどうってことない。鉛の水道管が出てきたらとんでもないことですよ。
74~75年から後は恐ろしい殺し合いになってくるのであって、その前は高橋史朗や椛島だって素手の殴り合いでつかみ合いなんですよ。それが何か勇ましそうに見えただけで、鼻血が出る程度。それ以上しませんでした。70年前、まだ貧乏な学生は、67~68年とかは学生服なんです。もうちょっと言うと早稲田でも、一応私立大学でも布団抱えて3畳一間か4畳半の汚いアパートを友達のところに泊まって回っているやつがいた。苦学生というんです。五木寛之なんて苦学生だった。私より少し上ですよ。7~8歳上は、血を売りに行ったりしてた。
菅野 売血(ばいけつ)。
副島 売血すると保健所で3000円か5000円くれるんですよ。そういうことをやっていた。なぜなら私も経験があるんです。学生さんはだめだよと言って、ニコヨンというかニコヨンというか労働者は断られていたんです。なかったんです。だから高度経済成長の後は家庭教師という収入があるようになったんです。60年代は、そういうのはないんです。貧しいのはみんな高校時代からの学生服なんです。着るものもないんです。布団を抱えて友達のところを渡り歩いているようなのがいました。本当に貧しかった。戦後の焼け跡からそのままつながっているようなね。
菅野 戦争が終わってまだ20年しかたってないですからね。
副島 そうすると、一応大学には受かったけどみたいな人たちがいた。だからそれから、ただのつかみ合いなんだと。何百人も集まっているところでつかみ合いをやって、小さなメガホンがありましたからね、偉そうにわんわん演説したら英雄になれるんですよ。その程度なんですね。
菅野 先生、ご入学はいつですか。
副島 1973年。だから私は少年兵と言ったでしょう。私は高校時代に教師を殴って高校中退で、文部省の検定試験(大学検定試験)ですから。それで早稲田に行った。その前に全国のあちこちの現地活動本部みたいな、反原発運動みたいなところを渡り歩いていた時期もあって、いろいろ知っています。女川(おながわ)とか伊方(いかた)とかいろいろなところに行っていますからね。水俣(みなまた)運動の現場にも行って見ているし、成田にも行っているし。私、実はいろいろなところの目撃者なんですよ。
菅野 早稲田に入って、セクトはどこに。
副島 セクトはないんです、私には。
菅野 ノンセクト・ラジカルだったんですか。
副島 ノンセクト・ラジカルで黒ヘルという連中もいましたが、この話を今、本当にあなたが聞いてくれたからするけどね。黒ヘルですというのは1968年からいるわけ。全国全共闘運動というのが。全共闘の主流派が黒ヘルだったと。どこのセクトにも入りませんといった人たち。各大学の自治会にはいるわけですね。
ここが大事なところで、私の弟子たちに20年私は説明し続けるんだけど、そんなものどうでもいいですからと、アルル君なんか私の説明を聞かないんです。「そんなくだらない学生内部の争いなんかどうでもいいですよ」という。
順を追って話すと、全学連、全共闘の前に、その前に日本共産党との分裂という話があって、これが大事なんですけどね。それは1960年の前の1958年、1959年の日本トロツキスト同盟(聯盟)というのができましてね。トロ、トロと言われて、ウナギとか刺身というか、おすしみたいですけどね。

レオン・トロツキー
Trotskyite(トロツカイト)と本当は英語では言うんだけど、トロツキー主義者というのが出現して、日本共産党にものすごく嫌われた人たちですね。この運動はさらに10年さかのぼる。1970年が東大の入試が中止になった年です。
菅野 そうですね、70年はそうですね。
副島 あそこが天王山(てんのうざん)で、象徴的に全国から活動家が結集したんですね。逮捕者は400人ぐらいです。周りには4000人、どうかすると日大やら明治大学を入れると5万人。10万人までいたと思いますけどね。
彼らは周りはいるんだけど、一言で言うと捕まりたくないんですよ。みんなけがしたくないんです。ここが大事なところなんです。あなたにも電話で言ったけど、1970年がピークでだんだん廃れていくんですが、いわゆる活動家というのは「クラス活動家」というんです。
◯「学生運動のセクトとは宗派のことである」
クラスの自治委員(早稲田大学の場合は文連委員という)で、その大学の学部の代表で、自治会に入ったりするんだよと。この人たちは党派なんかに行きません。どのセクト、これはローマンキャソリックの中の「ゼクト」、宗派ですからね。ドミニコ派とかフランチェスカンとかベネディクト派とか。
イエズス会はセクトであるべきなのにセクトを名乗らなかった異様な集団でだから私は大嫌いです。本当はイグナチオ・ロヨラがつくったから、ロヨラ会とかロヨラ派、イグナチオ派と言うべきなのに。上智大学の前にイグナチオ教会ってあるでしょう。そうなんですよ。あいつら、「ソサエティ・オブ・ジーザス」とか言って、一般の平信徒(ひらしんと)の会のふりを今もしています。でも本当はセクトなんです。まあ、いいですけど。
セクトというのはそういうもので、宗派ですから、狂った集団と言ってもいいんだけど、「8派全学連」(はっぱぜんがくれん)という言葉があってね。8派あるんです。本当は、全部で20派ぐらいあるんです。私は今でもそれを全部分類できるんです。黒ヘル集団とかノンセクト、ラジカル何とかの、さらにアナーキスト系と毛沢東主義者系と、それからトロツキー系でも4派に分かれ、それから「反帝学評」というのがあってね。反帝学評というとわけわからない。
彼らは、青いヘルメットなんです。東大とか東北大とか早稲田も強かったんです。この人たちは悪いことをしない人たちだったんです。
菅野 反帝学評はみんなそう言いますね。でもそういう意味で言うと、一番研究者が多いのは反帝学評なんですけどね。

副島 ですから、この一番上の人も革マルに殴り殺されたんです。「マッセン・ストライキ理論」といって、「ローザ・ルクセンブルキスト」なんです。ドイツのローザ・ルクセンブルクという人の理論なんです。社会党、社青同解放派(しゃせいどうかいほうは)ですから。この人たちは最後まで一切、悪いことをしなかった。ただ一人一人は堂々としてた。勇敢でした。頭もよかった。

ローザ・ルクセンブルク
全国の国立大学の一番優秀なやつらがこの社青同解放派。それの学生組織のことを反帝国主義学生評議会、反帝学評(はんていがくひょう)というんですね。何でそんなことまで私は知っているかというと、死ぬほど目撃しているからですよ。もう14~15歳からずっと彼らの動きを探察しているんです。九州の田舎にいたくせに、何だか知らないけど徹底的に追っかけやるんですね。でも、もう私が大学に入ったときはほとんど消えてなくなっていたんですよ。いないんです。
菅野 74年。
副島 もういない、73年。いましたよ。(残って)いて、彼らの動きを知ってるけどね。みじめで、哀れでした。一言で言うと犯罪者ですから。もう本当のことを言うと、73~74年から革マル派と中核派の内ゲバと世の中は言うけど、300人ぐらい死者が出たんじゃないかな。負傷者だけで4000人。身体障害者になったまま生きている人で、4000~5000人出たんじゃないかな。殴り合い。鈍器で殴り合いますから。
菅野 累計ということですね。
副島 そうそう。立花隆(たちばなたかし)という嫌なやつが、『中核vs革マル』という本も文藝春秋(講談社?)から出していて、本当に不愉快なやつだった。僕らのころはもう普通の人、99%の世の中の大学生たちもそんなのかかわらないですよ、もう。

誰も相手にしない、残り1%の1大学数百人、数十人の人たちだけの哀れな左翼、新左翼運動が退潮していって、無残に残っていった敗残兵たちの波なんです。ところが組織というのは恐ろしくて、もう一番上は40歳とか50歳ですから、本当のことを言うと中核派と革マル派が殺し合いをやるというのは、相手の家の鉄筋アパートでもアパートの2階まではしごをかけて、まさかりでたたき殺しに言ったんです。あるいは、鈍器でね。
それは、こんな大きな鉄の塊で。(その部隊には)警察のスパイが入っているんです。日本の公安警察の政治警察がスパイで潜り込んでいて、今あそこにあいつがいるぞと。襲撃しようというふうにやって、お互い殺し合いをやったんです。これを日本共産党は知っているんです。だって自分たちが同じことを戦前もやられているし、戦後もやられているから。
ところが私の7~8歳上の先輩たちは、私は目撃しているけれども、もう敵に対する憎しみだけですから。自分たちが日本革命運動を率いているみたいな正義感だけでした。だからそれに気づかない。あとはもう悲惨なものですよ。もう私は第二次世界大戦の悲惨さも戦国時代の悲惨さと同じでしょう。
ぼろぼろになってぼろ雑巾のようにアパートの中で5~6人で住んでいる様子とか目撃してますからね。本当に悲惨なものでした。だから私は硫黄島(いおうじま)の玉砕とか沖縄戦とか気持ちはわかる。洞穴の中の様子とか。血だらけとは言いませんよ。病院には行きますからね。逮捕されたやつはずっと牢屋にいるわけで、哀れなものなんですよ。戦争末期の敗残兵たちの恐ろしさです。ただそれでもまだ戦うぞ、みたいな連中は今でも数千人ずつ残っているでしょう。
菅野 特に革マルはすごいというか、何というんですかね、あそこは組織を温存することには天才的な、みんな判断を。
副島 いや、だからあなたがそういうふうに幻想で持っているのを訂正したくて、今日お話ししたかった。革命的共産主義者同盟、これは革共同(かくきょうどう)といいます。それは政治局があるわけ。幹部たち。暴力団の親分たちですよ。革共同の下に、革命的マルクス主義派(革マル派)というのが1965年に革命の中核というのと分裂したんです。
◯保守のクロカンが日本会議を産んだ安東巌
小野田襄二(おのだじょうじ)という人が分裂のときに真ん中にいて、私はこの人とお酒を飲んでいたりするんです。この人は評論家か何かになってたから、どっちにも入らない。中核派に入ったのか。革マル派と中核派というと、ばかみたいでしょう。
革マルって、「マルとかカクとかサンカク」って、世の中から見たらばかの代名詞ですよ。私はそれがわかる。ただ1965年ですから。トロツキー主義なんですね。ただここの革命的マルクス主義派の親分で教祖様の黒田寛一(くろだかんいち)という男は目黒高校を出ていて、目が見えなかったんです。この人が1980年代に死ぬまで教祖様でした。

菅野 僕の第6章に出てくる安東さんは、黒寛のことをイメージしながら書いていました。
副島 ああ、でしょうね。それで私はこんな人に会ったこともないけども、革マル派は動力車労組(どうりょくしゃろうそ)という大きな国鉄の、今のJRの全国の機関車を運転している人たち。労働組合が強くて、これを握っていたんです。千葉県だけは成田闘争があるものだから、動労千葉(きんろうちば)だけは中核派だったんです。400~500人ね。あと全国、恐らく1万人ぐらいは革マル派だった。
ところが目黒に動力車労組の本部があって、そこはもう鉄格子になって防衛隊がいて、名前は忘れたけどこの親分(黒田寛一)を守っているわけです。もう襲撃合戦みたいになったら、本当に殺し合いですからね。もう暴力団の抗争と全く一緒です。全く一緒。
でも上のほうはJR労組みたいになってしまって、日本政府をおどしたり、あるいは国鉄解体という、国労をたたきつぶせというときには、革マル系の動労は、なんと政府のほうにくっついちゃって、国労(こくろう)をいじめたんです。国労、つまり、国鉄労働者組合は、社会党の左派です。公務員的な団体ですから、公務員団体の労働組合で温和なんですね。労働者の立場と権利と地位を守れと言う人たち。しかし、一番最後は中曽根政権の民活(民間活用政策)で国鉄が解体されたときに、国労は、最後は200人かそこらがおりみたいなところに入れられて、草むしりをさせられるわけです。1日の仕事は、ここからここまで草むしりみたいな、そういう辱めを受けながら、裁判闘争だけやり続けて、あと散り散りばらばらで終わっていきました。
日本の総資本というんだけど、経営者側とか体制を握っている人たちというのは大人ですからね。暴れさせないように、力を抜いていって消滅させていくんですね。それは労働組合運動ですけどね。私は全体像をつかまえるということを自分の知識人としての使命にしていますから、どこの角度からでも見られる。経営者の側から、右翼の側から。鉄道のストライキなんかやられたら迷惑だという(感情が爆発した)「上尾暴動」というのがあったんです。
菅野 上尾事件。
副島 夜、11時12時になっても帰れないものですから、JRの電車が……
菅野 朝です、上尾事件というのは。
副島 あ、そうか。朝です。
菅野 出勤時間。
副島 出勤か。夜中もあったんですよ。(ストに反発した)乗客たちが暴れ出しちゃって。ものすごかったですよ。そうすると、ストライキは権利があるという言い方は世界中、今でもパリなんか、フランスなんかで農民組合でも労働者はストライキやりますからね。これは世界的に認められたワールドバリューに基づく労働者の権利ですから。あってしかるべきなんだけど、住民、国民、利用者を怒らせたら、これは大変なことだという問題もあるわけね。
それは一つですが、さっきの話に戻すと、やっぱり左翼労働運動には、公安警察官たちがスパイで潜り込んでたんですよ。お互い殺し合いをやらせて、大学の中でもあれは異常な集団だと認識させた。要するに、「気違い集団」なんだと社会の表舞台から隔離して、誰からも相手にされないような方向へ持っていったんです。だから国家というのは恐ろしいものです。
◯潜り込んだスパイに壊滅させられた過激化した学生運動
そのために公安警察の中にそれぞれの部署があるわけですね。各派閥ごとに担当者がいて、何百人ですよ。スパイになりに入りに行く、恐ろしい仕事をするやつもいるわけですね。もし見つかったら殴られるだけでは済まない。ただ日本の場合は、アメリカのマフィア映画なんかで、あれは麻薬組織の中に潜り込んでいって、見つかったらナイフで刺し殺されるわけですが、日本の場合はそういうことはないんですね。
オウム事件の場合も自衛隊のやつが1人、公安警察のやつが1人、明らかにオウムの上九一色村(かみくいしきむら)の中に潜り込んでいました。この2人、殺されています。最初の死者4人の中の2人は。最初は新聞記事に名前まで出てたんです。やがて消しました。これは麻原彰晃、松本智津夫の目の前で大きな電気レンジみたいなやつで焼き殺されたんですね。こんなのは事実だけど、そういうのは新聞記者たちも書かないことにしてしまいました。
そこからオウムたちの転落が始まって、みんなの前で自分たちで実際に殺していますからね。だから犯罪者集団で、殺人集団です。ところがその後のいろんな弁護士さん一家殺人とか何とかも殺人なんですが、転落していって最後はサリンをまいたんですね。変な言い方ですけど、サリンも警視庁の中でまけばよかったんですよ。そうしたら警察官たちやら、そりゃ死にますよ。そうしたら警察とオウムの戦いみたいになったんですね。
でも、何だか知らないけど、電車の中でまいちゃう。ああいうふうにして、恐ろしい殺人集団になっていくんですね。これが国家のやり口です。恐らくドイツでもフランスでもそうだったと思います。極左活動家たちはそうやって潰されていったんです。そして最後は刑務所の中で狂い死にするやつもいれば、首をつって死ぬやつもいたり、元気いっぱいまだ今でも生きているやつはいると思いますけどね。そういう人たちもいる。
ただ刑法上は暴力行為ですからね。傷害罪とか殺人罪はないんだけど、ほとんど傷害罪で警察官に殴りかかったら公務執行妨害(こうむしっこうぼうがい)ですけどね。そういう犯罪者の形で処分されて、一生公安警察に追いかけ回されるわけです。私もマークの中にも入っているんだけど、私は犯罪歴はないですから。言論人、知識人に成り上がっていった人間だから、彼らにしてみれば嫌でしょうけどね。
◯左翼学生運動に対する異議申し立てが日本会議につながっていく
私はあの時代全てを目撃して、書いて残さなきゃいけないと思っている人間なんですよ。だからあなたにわかってもらいたいのは、この高橋史朗(たかはししろう)とかね。私は彼らと同格ですから。この6~7歳上の鈴木邦男(すずきくにお)とか椛島有三(かばしまゆうぞう)だって、同格。実際は、先輩ですけどね、6~7歳上は。同格なんですよ、気持ちは。「おまえな」という感じで対等で話せるんです、今だから。だって63と70のじじいが2人いて、先輩後輩もないでしょう。そのぐらいのところにようやく私も来たかなという感じがあってね。
だから、細かい事実関係はもっと私は詰めていきたいぐらいに思っていますが、この大きな時代の雰囲気を教えたいんですよ。だからそんなくだらねえということはくだらないんだけどね。ただこの本の結論にある、非常にすばらしい。安倍晋三にまで乗り移っているんだけど、ちょうど50年前の長崎大学の正常化運動というんですね。
菅野 そうですね。
副島 これは左翼学生運動に対抗する大学正常化運動です。ストライキとかバリケードとかやめて、教授の授業をちゃんと受けようや、勉強しようやと。大学は勉強するところだという学生たちの声を代表した人が、彼らなんですね。例えば東大だったら、町村金五(まちむらきんご)という内務官僚、特高警察の宣伝をやっていたやつの息子で町村信孝(まちむらのぶたか)元文科大臣がそう。彼が東大の中ではこの正常化運動の代表だった。ほかにもいます。いろいろ政治家たち。彼らは保守ですからね。右翼とは言わない、保守で、いわゆる過激派運動の連中に大学空間をのっとられて、非常な暴力集団が何十人かいるだけなのに。

町村金五

町村信孝
菅野 大分はしょって書きましたけど、恐らく町村さんもそうですし、阪大のキムラコウゾウさんもそうでしょうけど、正常化運動というのは特に国公立大学でいっぱいあったんです。恐らく全学スト解除に最も最初に成功したのが、多分長崎大学だったんじゃないですかね。これが歴史の表舞台にあまり出てこなかったのは、生長の家という宗教団体がやったということはあからさまだったから、周りの人が騒ぎたくなかったというのもあるし、あともう一つは、当時は生長の家がそのことをあまり宣伝したがっていなかったんですよね。
副島 だから生長の家青年局から全部出てきたということをね、安倍晋三に至るまで。そうしたら安倍晋三も稲田朋美も別の出版社の編集長に聞いたら、谷口雅春が書いた『生命の実相』の一番大事なところを毎朝読経しているんだそうです。

生命の實相
菅野 うん、だと思います。
副島 これ信念なんですよ。毎朝読経して、毎日の決意を新たにして、元気いっぱい安倍晋三は首相をやっているわけです。
菅野 だと思いますよ。
◯今の「保守」を支えるのは「反共」ではなく「反リベラル・反左翼」
副島 これも裏にもう一つ恐ろしい宗教政治団体がいるんですけども、この話はあまりしないようにして。だからこのことを描き切って、菅野さんが証明したんですね。これは大事なことで、彼らを支えている理念は一言でいえば反共産主義ですね。
菅野 昔は。今は違います。
副島 今は何ですか。
菅野 今は反リベラル、反左翼。
副島 ああ。
菅野 要は彼らは思想がないんですよ。反共主義というのは、反共主義という一つのイズムだと思うんですけども、よくも悪くも彼らは無思想なんですね。あるのは運動だけ。僕、最近日本会議のことを「日の丸と君が代が好きな新左翼」と言うようにしているんですけど、新左翼の特徴って自分たちの主義主張を世の中に宣伝することよりも、敵対セクトをつぶすことに主眼がありますでしょう。日本会議もそうなんですね。自分たちの主義主張を世の中に定着することよりも、彼らが敵と想定する人たちに嫌がらせすることばかりを考えています。
副島 だから学生運動の雰囲気、言論闘争というか口げんかなんですけど、激論をわいわい交わすことが活力なので、それはイスラム、アラブ世界のISとそっくりなんですよ。四分五裂して分裂していくんですね。分裂しながら活力があって、若い人間たちを吸収していって、また続くんですね。それがいみじくもあなたが言ったとおり、安倍晋三たちほど新左翼の雰囲気は残っている。
菅野 ものすごく新左翼の雰囲気がするんですけど。
副島 口げんかしたときの、あの口をとんがらしてわいわい言う感じとかは、あれは新左翼。それは新左翼が潰れちゃって、ただの犯罪者集団に転落して、やがて消滅していったんですけども、それとは違う形で、彼らは保守ですから警察も応援しているわけですからね。誰からも悪口言われない人たちですから、これは意気揚々と新左翼の魂と遺伝子を引き継いじゃった人たちなんです。
私、去年本を早めに書いたのは、『日本が中国の属国にさせられる日』という、わざとおどろおどろしいタイトルにしたんだけど、その中身は日本のリベラル派の皆さんも少し反省しなさいと。私は安倍晋三たちとの言葉の回路をつくりたいんだと。それは大江健三郎のノーベル賞にあらわれる日本のリベラル派全体は反省しなきゃいかんと。
それは何かというと、やっぱりロシアと中国で、スターリンと毛沢東という男に代表されるけど、本当はレーニンからなんですけどね。たくさんの人を殺したと。収容所に入れて処刑したと。政治闘争という、あるいは理想を求める運動に逆らった人たちという形で、中国でもたくさん粛清して民衆までいじめて殺したと。そのことの反省というよりも、批判というのをやらないことになっているんですよ。これは日本の右翼たちを怒り狂わせるんですね。
赤という言葉でヨーロッパでもあるんだけど、レッドですけどね。赤よりちょっと薄いピンコというんですけどね。赤的な連中。それを激しく憎むことで、日本の経営者や金持ちや保守的な人々は、自己の正当性を激しく確信していったんですね。
だからリベラル派の人たちが人を殴ったわけではないし、犯罪を起こしたわけじゃないんだから、リベラル派の連中がやはり共産主義運動という形で語られる中で起きた多くの悲惨なことや過激な行動を反省しなきゃいけないと。それが起こしたやり過ぎとかやってはいかんことを自分たちで反省しないから、今度は逆に反共理論(Anti-communism)の人たちから見たら、鬼の首をとったように自分たちのほうが正義であって、共産主義に狂ったやつらはリベラル派を含めて許しがたいやつらだと。それの象徴がロシアと中国だという理屈になるんですね。
ところが菅野さんが見抜いたとおり、私も去年、はっきり書いた。ところが共産主義勢力がいなくなっているんですよ。困っちゃった。共産主義というのは、中国共産党というのは残っていますけど、彼らはもうやめたがっていますからね。ただやめるにやめられないから、二つですよ。複数政党制にすることと、普通選挙制ね。この二つを入れればデモクラシーなんで、この形を何とか今の中国共産党の中の共青団(共産党青年団)、李克強(りこくきょう)が代表している派閥は、デモクラシー、リベラル、ヨーロッパ、アメリカ基準のほうになるべく自分たちも近寄っていこうという人たちですから、国家の規制をなくそう派なんです。
だから中国共産党の看板をおろしたいんですよ、実は。そこまでわかってあげなきゃいけないんだけど、わかろうとしない。日本のリベラル派もそこは恥部なんですね。自分たちの恥ずかしい地点なんですよ、実は。恥部を恥部でいいかはっきり表に出せというのが「副島理論」です。

逆に今度は安倍晋三たちが意固地になって、あなたたちは自分たちの反共産主義という宗教じゃないかと。この日本会議も谷口雅春もそうだけど、その裏にある統一教会系の昔は原理研(げんりけん)というんですけど、統一教会原理運動の人たちも反共産主義である自分たちがものすごく正しいと、そのことに対して燃えるような情熱を持つわけ。
ただ、共産主義がなくなった。今はそれは空っぽですよと。そういうのはもうないんです。同時に、左翼勢力も、さっき言ったようにほぼ全滅状態。リベラル派の人たちもただの年金生活者なんですよ。70の天骨はげはね。本当に。哀れなんですよ。
私はつい最近、70の元リベラル左翼系だった出版社の編集者たちと話すと、「○○さん、あなたは背骨をたたき折られているんじゃないの」と言ったら、そうだと言いましたよ。認めちゃいましたよ。それじゃあ、安倍晋三たちが強いから何もできないと思っているんでしょう、そうだと。もうぼろ負けなんですよ、実は。私はそれがよくわかる。
◯今のリベラル派は「焼け野原」の状態
だから私は鳩山由紀夫さんには言わなかったけど、焼け野原なんだと。もう何も残っていないと。だからそこから芽が吹いてくる。それを副島隆彦を、変な言い方だけど待ってたんだ。もう何もなくなって、ちょっとぐらい気のきいたやつとか、偉そうなやつも、全部無くなったんだと。最後のところから、今から20代、30代の若い人間たちを、しっかりとした人間を育てていかなきゃいけないんだと。間違った思想じゃなくて、大きな物の見方ができるところでね。それが日本人がやることだと言って、私は学問道場というのをやっているんです。
これは使命感でやっているわけで、宗教団体でもないんです。我が学問道場は唯一、教義は一つ。真実暴き教です。真実を暴け、何でもいいから暴けと。ただし疑いなんていうものではない。全て疑えといったのは、カール・マルクスですけど。その真実は、大きな構造の枠組みの中のものじゃなきゃだめですよと。自分の知能、知性がかかってきますからね。とにかく暴け。とにかくというのは変な話(ですが)。あとだまされるなとか、はめられるなとか、そういうことで、言論人としてはそういう態度でいいと思っています。
ですからあと一つ大事なのは、学生運動をやっていた連中の中からたくさんのインテリが出てきたよね。簡単です。大学教授になったやつと、テレビ局に入ったやつ、新聞社、出版社というやつなんです。文化部門、文化産業に入っていって、それなりに偉くなった人が4000~5000人いるんですよ。
菅野 出版業界多いですよね。
副島 多いなんていうもんじゃないです。ほとんどそうです。その人たちが70歳だから、もうほとんど定年退職をしていて、威張(いば)っているんですよ、これが。10年前も20年前も。
彼らは、若い編集者たちが来ると、飲み屋に連れていっていたぶるんですよ。大したことはないくせに、俺たちはこんなすごい闘いをしたんだみたいに威張る。それは戦中派で、戦争中に兵隊やってたようなやつが若い連中に、「おまえら若いやつはなっとらん」と偉そうなことを軍国酒場か何かで言ってたんです。本当は偉いやつなんか誰もいないんだって。偉かったら死んでるもん、おまえは本当は。何で生き残ったんだと。失礼なやつらなんだよ。英雄なんかいないんだということをもうちょっと本気でみんなで確認しないと。
英雄といったら悲惨でみじめな死に方をした人だけだよ、西郷隆盛みたいなね。あと生き残ったやつで英雄なんかいるわけないだろう。おまえ、小ずるいから生き残ったんだろう。あとちびだったから、丙種(へいしゅ)合格で馬卒(ばそつ)だったからおまえ、行きのびたんだろうと。本当なんですよ、これ。兵隊は、学徒出陣でもまともで勇敢で立派なやつは死んだんです。ただ賢いやつは、自分だけうまいぐあいで戦場で死なないようにずるく立ち回って生き延びています。つてを頼ったりいろいろして。アメリカもそうなんですよ。ええとこのボンボンと政治家の子供とか金持ちの子供は最前線の兵士になりませんから。同じことなんですよ。
だから私が本当に言いたいのは、69年、70年、71年ぐらいに学生運動やってましたと言うけど、東京出身者はみんな喫茶店でおしゃべりしてた。いざとなると逃げる。出てきません。田舎者だけ、田舎出身者だけが本気で機動隊に突っ込んでいって、わあわあ殴られて捕まったりして。初犯は(警察に)3泊4日で済むんです。幹部じゃないから。で、出てくる。
最悪というか、ひどい場合は裁判にかけられちゃいますから、ちょっと殴りかかった程度でも何年もいたぶられる、いじめられるわけですね。東京のやつらって本当にずるくて、喫茶店でずっとおしゃべりしてて、何か集会があるとわあわあ言って出ていって騒ぐけど、いざとなるといないんですよ。本当に私は本気で思いますよ。そういうものなんです。いざとなると危ないところにいないんです。
機動隊やら敵対していると、遠くから石を投げるぐらいはするけど、向こうがわーっと押し寄せてきたらとにかく逃げるんです。学生たち、女の人たちまでヘルメットをかぶった時期があるんですよ。でもヘルメットを投げ捨てて、どこまでも逃げるんです。今の早稲田大学の総長している鎌田薫(かまたかおる)なんかもそうだよ。あいつだって一応は解放派ですからね。でも革マル派と闘って、鎌田先生は偉いと。70ですよ、こいつ。
革マル派は、教授たちの部屋まで押しかけてくるわけですよ。嫌なんですよ。授業をやっている最中とかに、授業をやめろ、今から討論会にするとか言ってね。あるいは自分の教授室まで押しかけてくるから、普通のまじめな、まともなただの学長は対応できないんですよ。
鎌田薫はけんかまでしないけど、闘えるわけですよ。だから総長になれたんです。「鎌田君、頑張ってくれ」みたいになって、それが早稲田大学というものなんですよ。ほんのこの間まで、今でも恐らく革マル派の残党がいるから、黒い車が2台ぐらい大学の横にいつもいて、ずっとつけ狙っていると思いますよ。
あと革マル派がいけないのは、黒田寛一の理論が本当にいけないのは、革命の中心部分だけ。鉄の意思を持ったずば抜けた人間たち500人とかがいさえすればいいとかいう、非常に失礼な分離と結合というのを、これは戦前の日本共産党の理論家がつくったんですね。名前、誰だったっけ。
古村 福本です。
副島 福本和夫(ふくもとかずお)だ。これは「福本イズム」といいまして、一番すぐれた頭脳の集団さえいれば、あとは大衆だ、労働者だと。これを組織して動かして革命を達成するみたいな、非常に嫌らしい集団。

福本和夫
それに対して中核派というのは大衆路線なんです。大衆みんなで闘う路線。中核派のほうが明るいです。ところが革マル派と殺し合いになっちゃったものだから、同じような暴力団になってきましたね。私がこういう言い方をしても、もう私がしかられたり彼らから批判されたりすることはもうないですからね。私の知っている連中にいろんな党派の幹部たちがいましたが、名前まで知ってますよ。だから私こそは実は生き証人なんです。なぜなら少年兵だから生き残った。私は5~6歳上だったら死んでるでしょうね。死んでるという自信がある。
だから連合赤軍の一番若いやつで、浅間山荘やらの辺で生き残っていたやつが、最後あの映画の中で、誰がつくった映画だっけ。
古村 若松孝二(わかまつこうじ)。
副島 若松孝二の映画で、「僕たちは勇気がなかったんだ」とかわめいている。あれ本当にあったんだと思いますよね。何人も仲間を殺した後です。あれも実は公安警察が潜り混んでいるんです。そういうふうにしむけていくんですね。恐ろしいですよ、これは。若松孝二監督も、それがよくわかっていてつくっていた。そうすると、連合赤軍の一番若いやつが私と同じ年なんですよ。だから私は同時代を生きていますから、大抵知っているんです。坂東國男(ばんどうくにお)とかね。

浅間山荘事件
アラブ赤軍とか今はもう捕まっちゃって、あそこにいるでしょう。府中の警察病院に入っている、あのおばさん。
古村 重信(房子)。
副島 そう、重信房子なんかも見ていますからね。威張るほどじゃないんだけど、全て目撃しているんです、花園紀男(はなぞののりお)とかね。第二次闘争のときの早稲田大学のエリートは大口昭彦(おおぐちあきひこ)という男で、だから鈴木邦男なんかより大口昭彦のほうがずっとスターだったんです。
今は弁護士になっていますけどね。だから私はあの時代の人たちのことを全部書きたい。結局、大学教授になって有名になっちゃったり、テレビ局で幹部になったり、新聞記者になったり。これは大学卒業してなきゃいけないんですよ。でも本物の活動家は、卒業していません。できません。中退します。けがはしてなくても。
菅野 この本でいうと、椛島(かばしま)さんがそうですね。
副島 そう。卒業できなかったから、生長の家の正社員になれなかった。このことは菅野さんの本に書いてありますね。ここの差はものすごく大きいんです。
学生運動をやっている学生たちの親が、おやじが泣きながら、殴りながら、息子を「卒業だけはしろ」とか「ちゃんと会社に入れ」とか、私が自分の息子に今、言いますからね。息子がアニメ、オタク、ゲーム、CGで狂っていますから。次の新しい時代だからいいんですけど、卒業だけはしろという親の言葉があって。私はそのとき、ただのばかおやじなんですよ。だから、「暴力事件起こすな」「犯罪はやるな」とかね。
実は私はこういうことを言うために、今、評論家をやっているんですよ。教え諭(さと)すという言い方ができる年になりましたから、うそ偽りなくやると。この言論人やら評論家やら学者になったおまえは何派だったかと、そこなんですよ、実は。もっと本当のことをいろいろ彼とは言えるんです。
でも私から見たら、七つ上ですよ。あなたは私より21違うね。だから、今の70、生きているんですよ。80のやつらもいるわけね。これ安保ブントですから。1960年のときの安保全学連で国会議事堂の前で暴れて騒いだ。
しかしあれだって、国会西門から入って1万人ぐらい、まじめな立派な貧乏学生ですよ。みんな学生服を着て。わざと中に入れられて、それから警官隊が襲いかかったんです。真実はね。吉本隆明(よしもとたかあき)という私の先生である評論家なんか、わーっと警視庁の塀に上って、それで警視庁で捕まっている。下のほうのお堀まで行って、お堀に飛び込んだやつもいる。これも捕まりますね。でも捕まったって別に、幹部たち何十人かだけが起訴されて、犯罪者扱いになって、西部邁(にしべすすむ)たちまで有罪判決を受けています。
西部邁はあのときの東大1年生なんですよ。駒場寮(こまばりょう)なんです。駒場キャンパスの1年生部隊を率いていたんですね。それで責任者だからずっと裁判にかけられて、苦しい思いをしながら中曽根康弘に助けられながら、横浜国立大学の助教授になって、東大駒場の教養部の教授まではなったわけですね。

西部邁
転向とかいろいろあってね。私は西部も知ってますから、何でも全部しゃべってやるぞと。西部は私を取り込もうとしたりした時期はあったけども、失礼なやつだよ。私の悪口とか言っているから。今から言い返してやろうかと思ってね。彼らも影響力がない。ろくな本を書かないから売れないんですよ、全く。真実を書かないからです。
ですからそれも含めて、私は3000人ぐらいの日本の有名になった元リベラル左翼系で、学者という人たちの一人一人の業績も大体知ってるんです。だからその一覧表をつくって、全てを明らかにしてやろうかなと。おまえは何派だっただろうと、そこまで言えるんです。ただそんなこと意味がないから、出版業界は本に出さないと言うけど、そんなもんじゃないんだ。70歳はまだ生きてますからね。何か質問ありますか。そういう学生運動の流れ。この30年間分ぐらいを圧縮してしゃべっているからね。
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(さらにつづく)
「1661」
「政治運動とは何か」(4)
2017年3月9日
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中田安彦です。2017年3月17日です。前回に引き続いて、ノンフィクション作家の菅野完(すがのたもつ)氏と副島先生の対談をお届けします。現在、森友学園事件の最大のキーマンとなって、安倍晋三首相と対決している菅野氏が副島先生と行った、一ヶ月半前との対談です。
このときは、まさか菅野氏自身が、安倍政権の生殺与奪の権を握る、森友学園の籠池(かごいけ)理事長の懐に飛び込むとは思いもよりませんでした。まったく恐るべき発想を持った人だと思います。

2015年3月15日自宅前で会見する菅野氏
http://lite-ra.com/2017/03/post-2995.html
もともと菅野氏は、「右翼・レイシストをしばき隊」のNo.2として反差別主義の活動家をしていたのですが、2015年に安倍政権を支える政治集団「日本会議(にっぽんかいぎ)」の研究をインターネットで発表しはじめました。他の反差別活動家とは違って、日本会議といういわば敵の本丸の研究を行い、保守政治集団の研究を行ってきました。対談の4回目ではそのあたりの「日本会議の先」についての話も聞くことができました。
菅野氏は籠池氏という「切り札」を手に入れて、安倍晋三政権に対して王手を掛けていると思います。相手の先の手を読むという形で次々と仕掛けています。生放送で松井一郎大阪府知事と迫田英典国税庁長官の名前をあげて、マスコミに二人の独占取材をしてこい、と号令を掛けてみたり、大手メディアの記者に囲まれた中で、記者の取材のやり方に方向づけをして、指示したりと、このような記者会見を私は見たことがありません。
23日にはいよいよ籠池氏の証人喚問が決まりました。安倍晋三が100万円の寄付金を小学校建設のために籠池氏に昭恵夫人を通じて託した、と籠池氏はマスコミの前で語りました。この爆弾発言に、菅野氏が慌てていないところをみると、証拠を押さえているのかもしれません。というか、彼自身がこの爆弾発言の仕掛け人なのだろう。

籠池泰典(かごいけやすのり)・森友学園理事長
籠池氏が、菅野氏の取材だけを受けたのは、日本会議など日本の保守政治運動について誰よりも詳しいと気付いたからでしょう。こいつには嘘はつけない、と。全部知ってると。稲田朋美防衛大臣が籠池氏と昵懇(じっこん)の中であるにも関わらず、国会で関係を否定した。籠池氏はユーチューブの動画で「尻尾切りはやめてほしい」と稲田、安倍晋三を直接批判した。この森友学園事件は「保守政治運動の裏切り劇」として広がりを見せているわけです。
そのような展開が生まれる前、2月上旬の貴重な対談です。
170127菅野完副島隆彦(full) from SNSI on Vimeo.
前回「1959」からの続きです。
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菅野 73年入学のとき、自治会って、先生、学部どこだったんですか。
副島 法学部です。
菅野 法学部。
副島 あそこは民青(みんせい)でした。共産党系。だから私は卒業できた、実は。8号館というんだけどね。そこだけは革マル派が一応入れなかった。だから卒業できた。政経学部とか文学部の連中はね。1972年に川口大三郎事件というのがあって、中核派のスパイだろう、おまえと言って文学部の川口をボカボカ殴って死なせちゃって、どこかの東大付属病院の中に死体を放っておいたんですね。そうしたら次の日から大騒ぎが起きて、一般学生が大騒ぎを始めたんです、1972年のことです。
そうしたら、もうおまえたちは許さんと言って、各学部1万人集会ですよ。すごかったみたい。それで革マル派は精鋭部隊が400人いたんです。ばりばりの、秀才で、立派で頭がいいみたいに思い込んでいるやつらがね。一般学生から殴られるんですよ。それがあった。
それでぼろぼろに崩れていったやつもいれば、革マル派マル学同委員長の「フランケン高島」というのは自殺しましたね。革マル派というのはそういう8派全学連といいまして、ザッパ(雑派)と彼らは呼んでいたけど、全てのほかの新左翼のセクトが全部潰れてなくなればいいと思っていた。
それが東大闘争なんです。革マル派は列品館、工学部2号館にいたのかな。日本政府の命令で、大学側は加藤一郎という民法学者が総長代行でした。それで加藤が、警察機動隊に入ってくださいというお願いを出したわけです。だから言論弾圧、学問の自由を警察とか自民党政府が侵害したのではなくて大学からのお願いがあったから、強制的にバリケードやら勝手に占拠しているものたちを捕まえて正常にするという行動として、機動隊が突入したわけです。そのときに突入する側の責任者たちが、天幕を張って、まるで戦国時代の大名みたいな感じで、亀井静香や佐々淳行(ささあつゆき)とかいるんですよ。 ああいうのが、だから危機管理評論家になるわけです。
もう一人、安倍晋三の家庭教師をしていた、平沢勝栄なんかは、本当は大臣にならなきゃいけないのに、安倍晋三があまりにも勉強ができない小学生だったから、あまりにもばかだったから、全部真実を知っているわけですよ。偏差値42ぐらいしかないですからね。お勉強、小学校のころからできないんですよ。
だから成蹊大学だからね。三菱一族は成蹊大学。そうすると、あまりにもばかだったということを平沢はよく知っているんですね。安倍晋三からしたら煙たいんですよ。小学校、中学校時代ずっと家庭教師してるでしょう。あまりにもばかだったというのは、これはお勉強ができなかっただけで、勘だけは鋭くてね。英語でディスレクシア、難読症(なんどくしょう)で文章が読めないんですね。日本人の中に10人に3人ぐらいいるんです。10人に3人ですよ。アメリカにもいます。
菅野 ブッシュは。
副島 ジョージ・ブッシュもそうです。字が読めないんです。ただ生活はできるんですよ。勘は鋭いんですよ。だからお勉強秀才になれないでしょう。難しい字が読めないと。もう落ちこぼれですけどね。だから平沢勝栄はどかされているんですね。まあ警察官僚の政治警察官上がりですよ。
それで、話を戻すと、機動隊が突入する前の日に革マル派はいなくなったんです。
菅野 また逃げたんですね。
副島 また。いつもそれをやる。彼らはいつもそうして、悪い連中です。そこを言いたかった。革マル派は、まじめさがないんです。ずるいんです、本当に。だからみんなからずっと嫌われていました。ほかの連中が全部捕まって、組織が弱体化した後、襲いかかって潰すと。そして全国の新左翼系の学生運動を(革マル派が)全部のっとると決めたんですよ。それが1970年でしょう。
ところが1972年に、何と不思議なことにその拠点、本山に近い拠点である早稲田大学で、一般学生たち、女の学生たちからも(革マル派は)殴りかかられている。それで不思議なものですね。許さんという感じになっていた。
ところが私が入学したときには、もう既に一般学生は危ないから退潮して引いていくんです。革マル派、全国動員で1000人ぐらい来ていますからね。そうすると、そのときの各自治会の委員長みたいな人はまじめな連中ですよ、これ。もう学生運動じゃないんです。一応学生運動。
彼らは大学に入れなくなった。政経学部のやつも中退ですよ、みんな。それはもう、あんまり言いたくないんだけど、手の中にかみそりみたいな刃を持って殴りかかったりするんですよ。捕まえて、でももう革マル派も内部はぼろぼろなのね。闘いってそんなものですよ。一般学生がわっと何千人も集まってくれれば、相手が何十人だったら勝てるけど、こっちももう300人ぐらいしか残ってない、向こうが30人だったら勝てるわけがないんですね。
わーっと押しかけられたら、逃げるしかないでしょう。私も解放派の連中やら赤いヘルメットのときはブント、共産同(きょうさんどう)というんですけどね。これの共産同の関西派、ブント関西派のことを一言で言うと赤軍派というんです。ブント東京のことを日向とか荒派とか言いましたね。日向ブント。その一部は吉本隆明主義者もいる。情況派(じょうきょうは)というのがいましてね。そういうことを全部知っているんです。
それ以外に、1960年のときの学生運動の主導者たちは、唐牛健太郎(かろうじけんたろう)というのがいたんです。私は何回かお酒を飲んでいる。唐牛さん、どうしてあなたは6.4の国会前集会のときに、一斉襲撃があったときに、機動隊のほうに飛びおりたんですかと聞いちゃったんです、私。もうこの人、死んじゃいましたけどね。

唐牛健太郎

島成郎
菅野 唐牛さんは何とおっしゃっていましたか。
副島 答えないんですよ、飲んだくれて。吉本隆明は軟弱文士だとかわけわからんことを言ってた。でも唐牛を育てたのは安保ブント、全学連の上に政治組織としてのブントというのがありましてね。共産主義者同盟。これの一番上は島成郎(しましげお)という人で、私はこの人に問い詰めているんですよ。
出版社の社長が仲よかったから、「島さん、あなたは1960年の安保全学連の樺美智子(かんばみちこ)という東大の女子学生が踏み殺されたときの最高指導者ですよ。あなたは CIA (米中央情報部)からお金をもらいましたか」と、私はずけずけ聞いた。彼は、「今は言えない」と言ったんですよ、私に・これは、歴史の証言ですね。「でも私たちは、飯倉片町のソビエト大使館のKGB に殺されるんじゃないかと思ってた」という言い方を島成郎(しましげお)はした。
日本共産党から分裂した元気な学生たちを利用できるといって、安保ブント自身は反アメリカ運動であるくせに、反米運動ですからね。安保延長阻止、安保反対とか言ってるのに中心部分の一番上をアメリカが育てているんです。
青木昌彦(あおきまさひこ)というのがナンバー2で、去年死にました。スタンフォード大学の教授で、これはノーベル経済学賞をもらえるんじゃないかと言われていた男です。ナンバー2ですよ。姫岡玲治(ひめおかれいじ)といってトロツキーの『永続革命論』の下手くそな翻訳をした男なんです。優秀な男です。こういう優秀なのを20人ぐらいハーバード大学とかミネソタ大学とかに留学させているんですよ。これ安保ブントの幹部たちですよ。何でアメリカに留学するんだと。この構造がどこの国でもあるんです。ギリシャにもタイにもブラジルや何かにも。アメリカ帝国ってそういうのを育てる。
日本の場合はライシャワーという男がいてね。ライシャワーが日本大使をしていて、その係だった。その横にジョージ・パッカードというかばん持ちがいまして、これ学者なんですけどね。研究所長。
古村 SAIS(ジョンズ・ホプキンス大学高等政治研究院)のライシャワー研究所。

ジョージ・パッカード
副島 こいつらが立派な車で汚い学生アパートまで行って、一生懸命学生たちと話して、君もアメリカに留学しませんかみたいな。闘争が終わった後ですよ。それが日本の歴史なんです。
その大きな構造体で、『日本の秘密』という本を私が書いて、孫崎享(まごさきうける)さんがそれを読んで、外務官僚ですからね。国際情報局長をしていた人がびっくりして感動してくれたんですね。
だから私は大きな日本の戦後の歴史を全部暴き立ててやると。真実をね。私が書いたことを誰も否定しませんよ。田中清玄(たなかせいげん)という男が表面上は戦前の最後の中央委員なんですけど、戦後反共の右翼になっていくんだけど、田中清玄が200万円か何かを安保ブントの幹部たちに渡したというのがTBSのラジオでばれて、わんわんたたかれたことがあった。
その程度、そんなものじゃありません。もっと大きなお金が動いているんです。もうこれ以上はあまり言いたくないけども、いろいろ僕は知ってることがあってね。
私は別に正義の味方を気取る必要もないけども、政治の裏側は恐ろしいんですよと。それを、なるべく日本国民の中の一番頭のいい政治問題に関心のある人たちに教えておきたいと。
だから菅野さんにもっともっと教えたいことがたくさんあるのは、それなんですよ。だから分析したとおり。安倍晋三たちは学生運動を50年間やり続けているんですよ。俺たちが正しいという、死ぬほどの燃えるような情熱ですよ。共産主義者たち許さん、日教組許さんと。
でもあなたたちは日教組の悪口を言うけど、日教組があなたたちをいじめたんじゃないんだと。教育委員会がいじめたんですよと。あまりにもあなたたちが小学校時代に勉強できなかったから。これ言うと彼ら嫌がるけどそうなんですよ。日教組の柄の悪い教師たちっていました、本当に。学校の中で教員不良なんです。職員会議のところでわあわあ、校長と教頭をつるし上げて喜んでいるのがいました。私がいた中学校も大きな公立中学校で。
だけど日教組が悪いんじゃなくて、教育委員会があまりにも勉強ができないあなたたちをいじめたんですよと。60年代からどんどん保守化していって、体制側について文部省の言うことをきいて、教師として出世したいという人たちもたくさん出てくるわけですね。保守化している波の中で起きたことであってね。毎日毎日日教組の悪口を死ぬほど言うことが、それは小学校、中学校で教師にいじめられたんですよ。
でも安倍晋三を支えている中心部分は、本当に勉強のできない人たちで、ただし彼らは4~5人不良みたいなのを雇って小さな工事会社をやったりして、1人1億円、2億円、3億円持っている人たち。経営者なんですから。ただ意地汚い経営者で、彼らは人をいじめる経営者。
本当の温厚な、立派な経営者はそういうことをしません。政治発言なんかしません。つまりそれが安倍晋三を支えている500万人ぐらいですね。私はそこまで言い切りますからね。チャンコロ朝鮮人、韓国人の悪口ばかり、露助(ロスケ)というんですけどね。ロシア人のことですよ。露助の悪口ばかり言うことが、自分たちのバックボーンなんですね。信念なんですよ。
そういうことを公然と言って、彼らがそれに、私に何と言うかから、本当の議論が始まります。受けつけないでしょうね。でも受け付けてくれと。リベラルや左翼のどこがどうおかしいかということもきちんと話そうじゃないかという場を、日本の国民的言論の中につくっていきたいんですよ。和解というのを私はしたいのね。そんなことできるわけないじゃないかと言われますけど、私にとっての意欲はそういうことなんですよ。いかがですかね。
菅野 僕はもうこの世代が死ぬまで無理だろうなとは考えているんで。と言っても、あと10年もすれば椛島たちは死ぬわけで、あと10年の辛抱かなと。
副島 その後は。彼らの次の世代はいますか。
菅野 まだ比較的まともなので。やっぱり今、いわゆる狭義の団塊の世代が言論界から引退し切ると、大分見える経営知識が変わるんじゃないかなと思っていて。
副島 ああ、そうですか。穏やかですか。
菅野 その後の世代ですか。
副島 保守派。
菅野 みんなクレバーですよ、何よりも。
副島 アメリカの支配という問題、彼は絶対一言も言わないでしょう。
菅野 70歳、団塊の世代の人たちということですか。
副島 櫻井よしこにしても渡部昇一も、アメリカが日本のお金をいっぱいふんだくって、日本人が貧乏なので、アメリカからの独立ということを本気で考えなきゃいけないのに、どうしてあなたたちは愛国者とか民族主義だと言いながらアメリカの悪口を一言も言わないんですかというと、それは中国共産主義があるからだよと、こう来るでしょう。

イエズス会の渡部昇一は最高齢の安倍ちゃん頑張れ評論家
菅野 あともう一つは、団塊の世代がマーケットとして成立しているというのは、日本の社会のがんだと思っていて。
副島 団塊の世代が今の70歳の天骨はげですよ。1946~1947年の戦後すぐの生まれです。
菅野 あの人たちの人口のかさが大きいから。
副島 あれ1学年当たり人口280万とかいますよ。私らのころ180万ですよ。今、100万を割ったんですよ。ちょうど100万かな。90万ぐらいまで落ちている。じいさんばあさんで死ぬ人も100万ぐらいいてね。今、ちょうどイーブンぐらいみたいですよ。
菅野 それは僕らの世代はもっと数が少ないわけで。
副島 130万とかね。
菅野 彼らがマーケットとしている世代、商売、ビジネスはみんなそこを見ちゃうわけですから、それはもういかんともしがたいですよね。「信じたいことしか信じない」というのが団塊の世代の特徴なので、もうどうしようもないかなと。
副島 成長経済の時代を生きたわけでしょう。戦後の焼け跡の貧乏なところから、どんどん三種の神器で、最初は電気洗濯機とテレビと何か買えて、小さな自動車も買えるようになったという、成長経済とともに生きたから明るいと言えば明るいんですね。ただこの20年間は、もう私の弟子たち、あなたなんかもそうだけど、貧乏そのものですからね。バブル経済の豊かさは何もないですから。
菅野 僕ら貧乏しか知りませんからね。
副島 かわいそうと言えばかわいそうなんですが。でも、それでは私らのころ豊かだったかというと、豊かじゃないですよ。やっぱり生きるのが必死ですよ、私らの世代でも。ただ東京の財産持ちの立派な家の金持ちたちの息子、娘はいい思いをしてた。私がバブル真っ盛りのころつき合っている女の子がいて、青山通りというところに行ったらアルファロメオとか外車がずっと並んでいました。
女子大は東女(とんじょ)というのと本女(ぽんじょ)というのがあるんだけど、日本女子大と吉祥寺の東京女子大。そこの女の子を送っていって、夜9時かな。寮があって、寮の中に帰らなきゃいけないんですけど、そこの前に外車がだーっと並んでいました。電車に乗って、実際歩いて連れていって恥をかいたのは私ぐらいのもので、みじめな思いをしましたね。
外車が並んでいたんですよ。もう今、外車なんかないですよ。六本木とか青山とか赤坂だってドン・キホーテがあって、何だかわけのわからない車が並んでいる。
菅野 僕らの世代は大きな会社を除いて、普通の会社の正社員だったら初任給から給料が40になるまで2~3万円しか上がっていないというのがざらにいますからね。
副島 でしょう。初任給18万円か何かにまた戻ったみたいですよ。20万円まで行ったんだけどまた落ちている。私が銀行に入ったころ、初任給は12万円でしたね。私が小さいころ、1960年ごろは1万円だった。それが70年、10万円になったんですね。だから1960年から1970年で初任給が10万円になった。10倍。激しいインフレが起きていたんですね。成長経済ですね。1980年ぐらいに20万円まで行ったんですよ。バブルがあった。
今はそれがずっと落ちていって、社会が1970年代ぐらいまで戻っているんじゃないですかね。この対談をやっている渋谷の山手教会の地下のルノアールという喫茶店は、「ジァン・ジァン」というライブ喫茶だったんです。その前は何だったかな。わいわい活動家、学生みたいな連中がここにずっといたんですよ。このあたり。でも活動家、学生って、さっき言ったようにいざとなったら危ないことはしない。石だけは投げるけど、さっさと逃げてきて、喫茶店でたまって偉そうなことを議論している人たちのたまり場ね。だから危ないことをしてひどい目に遭った人と、うまく生き延びて上手に生きたやつと、人間は2種類いる。

渋谷・山手教会地下の小劇場「ジアンジアン」
対談はこの場所に現在立っている「ルノアール」で行われました
私は時代を描くときに、そこで間違えたくないのは正確に描こうと思ってね。だからどんな戦争の時代も、どんな人も危ないところを避けて上手に生きるやつは生きるんです。でも爆撃で一斉空襲に遭ったら死ぬじゃないかと言うけども、賢いやつ、頭のいいやつはちゃんと軽井沢とか熱海とかに逃げているんです。上流階級と文学者とたちの悪いのは。もうちゃんとさっさと逃げるんです。
小学生はみんな疎開していますから、親たちが死んでるんですね。子供だけ生き残った場合がかわいそうだった。そういう個別の問題はそういうことですね。
だからもっともっと菅野さんに私の世代のこと、私の10歳20歳上の人たちのことを教えたいし、話をしたいんですけどね。もうちょうど2時間か。
副島 今日はもうこれだけ話せば。
菅野 ありがとうございます。
副島 どうもありがとうございました。本当にわざわざ来ていただきまして。今後ともよろしくお願いします。
菅野 今後ともよろしくお願いします。ありがとうございます。
中田 菅野さん、ありがとうございました。非常に有意義なお話で副島先生とうまくコラボレーションができたんじゃないかなと思うんですけど、副島先生は知識人は全体像をつかむことが大事だとすごく言っていて、私もそのとおりだと思っています。
私の方でもお聞きしたいことが幾つかあります。
日本会議について菅野さんは極めて特化した研究をされたと思うんですね。ただ一方で、安倍政権の周辺の空気を見ていると、もちろん日本会議は思想的にはバックボーンになっているんだけど、それ以外の関係者はたくさんいるんですよ。それがどの程度の影響力があって、相互連関がどういうふうになっているのか。
例えば勝共連合ですとか、幸福の科学だとか、あるいは神社本庁だとか、あるいはモラロジーだとか、そういった団体は一応保守系の思想団体、政治団体というか、政治集団というふうに位置づいているんですけれども、彼らは一体、「日本会議」というものについてどういうまなざしで見ているのか、もしご存じであれば教えていただきたいなと思います。
そうしないと、恐らく保守の政治運動の全体像がひょっとしたら見えないんじゃないかなという気にはなっています。
菅野 統一教会に関して言えば、もうもはや統一教会は統一教会じゃないじゃないですか。
中田 家庭連合。
菅野 家庭連合(世界平和統一家庭連合)ですね。この名前が変わった理由というというのも、もう10何年ずっと文化庁に名前を変えてくれということを彼らが言ってて。文部大臣が下村博文(しもむらはくぶん)になった途端に変えられたと。それは一定の影響力はあるとは思うんですが、ただご存じのように今、統一教会はお家騒動になっている。アメリカにいる何という名前か忘れましたけど、彼の影響力も大きいし、韓鶴子(かんつるこ)は韓国のあの占い師のおばちゃんと一緒になっちゃって、今もう裸の王様みたいになっちゃっているし。次男は次男で韓国でせっせとお金もうけしているし。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/03/24/2013032401474.html
出典:朝鮮日報(2013年)
副島 次男派のほうが主流になっているの?
菅野 韓国はね。韓国はもう完全にそうです。
副島 長男と奥様派が弱体化している。
菅野 日本はずっと奥さん派(文鮮明教祖の奥さんの韓鶴子)だったんですけど、奥さん派が今、七男(文亨進)派の離脱で急激に影響力を落としちゃっているというのがまずあって。(編注:7男は1979年生まれ)
だから僕、統一教会もおもしろいんですけど、僕から見ると統一教会はちょっと過大評価されているような気がするんですね。もちろん清和会なので「文教族」なわけですから、どことは言わず、思想の左右関係なく宗教団体とは統一教会だけでなくみんな仲がいいのはわかり切っている話です。
あと幸福の科学は、これも僕は過大評価されているなと思っていて、本当に弱体化しているんですよ。ただ元気なのは沖縄だけ。
副島 そうですね。
菅野 何で沖縄だけ元気かというと、沖縄はもともと生長の家が強かったんですよ。生長の家の人たちが一時期大量に幸福の科学に移ったという時期が90年代頭ぐらいにあって、沖縄がその傾向が顕著だったんですよね。という影響で沖縄でクローズアップされて、今、沖縄がいろいろな意味で鳩山政権以降注目を受けるようになったので、幸福の科学の影響を受けている。
しかし、特に東北地方と、近畿の真ん中のほうへ行くと、統一教会の支部の電気が消えている率が極めて高い。不動産を持っているんで、土地の所有権は放棄しないですけども、お金がないから集会所としてあきっ放しにしておくと、普通の宗教団体みたいにランニングコストがかかって仕方がないからということで、閉めている。週3日しかあけないみたいな、そんなのがふえているぐらいなので、これもあまり。ということで、おもしろいなと思える人たちが僕の中では彼らしかいなかった。
副島 それが、日本会議の人たちね。
中田 例えば長尾敬(ながおたかし)なんて今、50代(54歳)でしょう。彼らは日本青年協議会だからやっぱりガチ(真性の日本会議、日本青年協議会メンバー)なわけですよね。
菅野 ガチですね。
中田 例えば団塊の世代がこれから次々と亡くなっていって、それこそ椛島有三(かばしまゆうぞう)さんなんかも亡くなっていくにつれて、ただ今、日本会議というものが反中・反韓、恐らくついでに反北朝鮮という思想を振りまいて、負の遺産を残していくのか、どうなのか。彼らの負の遺産がどういうふうな形で残っていくのか、どう考えますか。
菅野 これは僕の本の裏テーマというか、後書きで触れたことなんですけど、泣いても笑っても日本というのは議会制民主主義の国じゃないですか。議会制民主主義を動かすためには、いろいろな意味での市民活動というのは必要不可欠なんですよね。市民運動、市民活動で何が重要かというと、強固な思想とかドグマとかいうものではなくて、ノウハウだと僕は思うんですよね。それこそビラを配る、あるいは座り込みするときの交代要員をどこで待機させておくかとか、プラカードをどうやって準備するかとかという、細かいノウハウが市民運動にあるんですよ。恐らく左側の運動が失敗しているのは、ノウハウの継承というところだと思うんですね。
日本会議も今、そのノウハウの継承にすごく苦労していると思います。それは二つあって、上の世代が持っているノウハウがすごく膨大なんですよ。ノウハウは人につくものですから、この分野だったらこいつがエキスパート、この分野だったらこいつがエキスパートというのは、上の世代は頭数がそろっているわけですよね。
それを引き継ぐべき下の世代が人数が少ないもので、なかなか引き継げない。なおかつ80年代の中ごろまでのように、日本会議が劣勢に追い込まれていて、いろんな運動をがむしゃらにやってて、運動の機会が多い時代であれば、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング、実践を通じてノウハウを蓄積する)も機会が稼げたわけですけど、今、OJTをしようにもOJTが発生しないわけですよね。となると、僕は多分、思想の種は確かに残るでしょう。書いたもの、しゃべったもので。しかしそれを政策化するというか、イシュー化するというか、運動として維持発展させるノウハウが引き継げられないんじゃないかなと思っています。
ただ、僕はこれは一面恐ろしいことだなと思っていて。となると議会制民主主義を運営できるノウハウを持った市民が思想の左右関係なく日本からもういなくなっちゃう。
中田 つまり残るのは、官僚組織……
菅野 だけになっちゃうんじゃないのかなと、僕はちょっと違う怖さを感じているんですよね。それは日本会議の言っていることは気違い沙汰ですよ。ですが、まだしも彼らは市民運動なんですよ、やっぱり。
副島 本当だね。だから民主運動なんだね。
菅野 その民主運動なんですよ。
副島 だから中小企業のおやじや小金持ちの人たちの、安倍ちゃん頑張れ運動。
菅野 運動なわけで、それは言っていることは近代的じゃなかったり、あるいは権威的だったり、あるいは男尊女卑(だんそんじょひ)であったり、あるいは反民主主義的だったりすることを言うかもわからんけれども、実態は市民運動なわけですから、市民運動としか言いようがないぐらいの、本寸法の市民運動なわけですから。しかも隆盛をきわめている。
その隆盛をきわめている市民運動が、今、悩んでいるのは何かというと、このノウハウを後の世代に残せない。あと10年もすればノウハウを持っている連中はみんな死んでいく。となると、もう残るは官僚組織だけみたいな国になっちゃう。
副島 なるほど。
菅野 それって怖いよね。
中田 副島先生、日本会議の後の官僚組織化、官僚国家化という問題はあると思うんですけど。
副島 アメリカではトランプが出現してしまったから。おもしろい男でね。就任式の次の日、朝教会に言ってへらへら歌を歌っていました。午後からCIAに押しかけていったでしょう。CIA本部に、よくも俺の悪口を3日前までわいわい言えたな、と。おめえら皆殺しにしてやるという感じなんですよ。ああいう男ですから、何をするかわからないからね。幹部たち50人ぐらい、もう局長クラスでしょう。みんな首切りますよ。パチパチパチと拍手したのがいたから、あれは腰ぎんちゃくだったそうです。それが、トランプ時代です。
恐ろしいぐらいの才能がある男でね。自分の体を張ってやっているわけですから、戦国大名みたいなやつですけど。ただ経営者ですからね。経営者というのは落としどころでやるわけで、誰かに仕事を任せてうまくいかなかったら首を切る。一般従業員の首を切っちゃいけないんですよ。労働者はね。だから仕事を任せたと。
これは雇用契約じゃない、労働契約じゃない、委任契約だということです。閣僚も補佐官もみんなそうで、能力を見込んで失敗したら、“You’re fired”なんですよ。そういう原理であの男は動いているから、彼の原理を理解しなきゃいけない。アメリカ人は近代人だから、この男は何という思想原理で動いているかでお互いを認定し合っているんです。原理に反したことをやると、途端にその人は信用なくすんですね。俺はこういう原理で動くって、そこで私はいつもアメリカ分析をやっていますけどね。
私がアメリカの共和党や民主党の政治思想分析ができるのも、派閥分析ができるのも、日本の新左翼過激派学生運動の分類をずっとやっていたからなんですよ。こことここの局面ではこのように割れるとか、これはこのように考えはここで割れるとか。割れ方がよくわかる人間なんです。物の考え方というのは、価値の転倒というか、あるときひっくり返りますからね。そこの分裂線でどなり合いのけんかのところが、ものすごく私はよくわかる人間なんです。
菅野 セクト同士のけんかって絶対そうですよね。
副島 なります。
菅野 絶対価値がこう……
副島 価値の転倒を起こすんですね。
菅野 そうですね。確かにそれはそうだ。
副島 そこの微妙な場面のところで、だから私が今度の天皇譲位問題でネトウヨが凍りついたんですよ。私が世界の言うことを聞けと。男女差別はいけないんだぞと。じゃあ、今上天皇に対して内閣の助言と承認をもらわなかったから憲法違反だと言った安倍晋三は大統領なのかと。天皇より強いのかと私がそういうことを書いたら、凍りついちゃってね。はっきり、「いや、内閣の助言と承認に従わない天皇は憲法違反だ」と言うのもいましたよ。これはもう日本会議派ですね。確信犯ですから安倍派なんです。
ところがネトウヨも自覚がないのがいて、「あらっ」とここで真剣に考え込むんですよ。自分は今上天皇と安倍晋三とどっちに従うんだと言ったら、今上天皇に従うんですよ。そこで一部が黙ってしまいましたね。私はそういうのをわかっていて、分裂線のところにくさびを打ち込める人間だから、そういうところを意識的にやるんですね。それは私の才能だしね。そこの言論戦と思想の転換をずっと見てきた人間だから、そこは何の問題もない。ただあとは統一教会問題もそうだけど、世界帝国で超大国の中心のワシントンが汚れちゃったと。
ビクトリア・ヌーランドというヨーロッパ、ロシア担当の国務次官補ですよ。それぞれの国の首相と同格の国務次官補のヌーランドが統一教会ですからね。公然とムーニー(Moonie)ですから、こういうのを全部たたき出さなければいかんというのも意識的、計画的に今、トランプたちはやろうとしている。そのときに、あまりこれは言えないけど、ジョン・ボルトンという国連大使をした男で、(彼は)ジェヌイン・ネオコン(真性ネオコン)なんですよ。真正ネオコン、第2世代ネオコン。こいつが怒り狂ってて。ネオコン・サーバティブの中にムーニーが潜り込んできたのが許せない。全員駆除してやるという動きに今、出ているんです。
それに軍人たちが、2003年のイラク戦争以来、軍人土方ですから。国防大学、陸軍大学程度の連中ですから、高学歴インテリのユダヤ系のネオコンの学者が来ると、頭が上がらないですよ。上はお坊様の格が違う。それが軍人たちはひどい目に遭った。ネオコンに怒っていますから。
ところがジョン・ボルトンたちと今からムーニーを摘発して、全部駆除すると。それで知っているんですよ。もともとそこにいた人たちがいるからね。それはトランプの恐ろしさですね。ジョン・ボルトンたちを使いますね。それなんですよ、今。
日本で一番お金を出したのは、やはり笹川財団です。だから橋下徹もやはり笹川財団ですね。United States-Japan Foundationというのがニューヨークにあるんですけど、ロックフェラーセンタービルに入っている。こういうところが世界帝国の中心部分を制していくんですよ。だから外国のお金って恐ろしいというのは、彼らを育てたのは韓国じゃないんですよ、日本のお金ですよ。だから外国から100ドルでももらうと震え上がるんですね、外国のお金で政治が動かされたと。これが今、ワシントンで起きていることなんです。トランプたちはそこをじっとわかっているんですね。それは政治思想的にアメリカの今の変貌の大事なところなんです。そんなところは普通の国民は知らないことになっていますけどね。
私は政治思想研究をずっとやってきたから、威張れるんですよ。一番上のところは政治思想だと。経済学とかいわゆる政治学ではないと。社会論じゃないと。文化論じゃないんだぞと。私は政治思想研究の専門家だぞと。派閥思想の分裂線や対決線のことの専門家なんだ。そこなんですね。
でもあなたが言う、10年後には日本会議の幹部連中が死んでしまえば、運動論のノウハウがなくなるという、それはよくわかります。ただ私は、思想というものがどのように組み立てられていて、何を原理にこの人は動くのかということもいつも考えなきゃなと思っている。
似ているけども違うものがあります。それは、周りから見たら、おまえとおまえ、一緒じゃないかとくくられる事が多い。しかし、一緒くたにくくられた人は怒るんですよね。しかし、大きく言えば、やはり認めなきゃいかん。だから旧左翼と新左翼、一緒ですと。
アルル君なんか区別つけないですからね。旧左翼というのは日本共産党のことなんですよ。彼らはバチカンでオーソドックス、正統派なんです。そこからデリバティブというか、異端で出てきたのがマルティン・ルター派ですからね。だからエイシイズム atheism、無神論(むしんろん)と言ったりするけれども、日本共産党から見たら、おまえらは焼き殺されていいんだという理屈になるんですよ。だから日本共産党は副島隆彦はもうこいつは煮ても焼いても食えないというのがわかっている。
ただ私が「オールジャパン運動」が嫌なのは、貧困層、貧乏人を助けましょう運動、福祉推進ばかり言うなと。無理だから、お金がないからと。何か福祉ばかり、貧しい人助けよう運動ばかり言っているあなたたちも問題なんだと。昔の共産主義者たちってもっと光り輝いていたんですよと。理想主義がやり過ぎちゃって、過激になっちゃって人殺しまで。だからロシアも中国も、金持ちの財産を奪って、そのお屋敷に貧乏人がみんなで住み込んでいいみたいにしちゃったんですよ。それはやり過ぎたんだと。その一歩手前でとめておくべきなんだと。そういう秩序を壊して、あげくの果てに共産主義に対する激しい憎しみが世界中で起きたんですね。
だからロマノフ王朝を、ニコライ2世の家族をレーニンが田舎のエカテリンブルクに連れていって銃殺刑にして、燃やして埋めちゃったでしょう。あれで世界中の王様とか大金持ち、財閥たちが、俺たちも殺されると思ったんです。だから反共主義が一気に1917年に巻き起こったんですね。俺たちも殺されると思った。
その恐怖感が安倍晋三たちを支えているんです。根本のところで金持ちたちを支えているのはそれなんです。だから何でもやっていいというものじゃないんだと。金持ちと貧乏人がいて、世の中は初めて成り立っているんだということをはっきり言って、みんなで納得し合う思想を私はつくろうと思っています。
もうちょっと言うと、法のもとの平等が大事だ。1人1票とか電車に乗る権利とか、お店屋さんで差別されないとかは大事だけど、持って生まれた能力は、美醜から、ちびデブ始まって、これは現実なんだから。能力には差があって、能力のすぐれた人を褒めて、能力のない人は黙るしかないという現実も、一方でちゃんと認めないと。
何でもかんでも平等平等と言うと、悪平等はいかんとみんなが知っているとおり、ジャン・ジャック・ルソーがいけないんですよ。絶対平等主義を言った人だから。これがロベスピエールたちのジャコバン党に乗り移った。やり過ぎたんですよ。フランス大革命もこれがいけなかったんです。マルクスですらジャン・ジャック・ルソーを嫌う。
だからやり過ぎちゃいかんというところの、温和なところに戻っていくところで、安倍晋三たちと私は対話ができるような回路をつくらなきゃならない。リベラル派、左翼たちのだめなところと、逆に反共主義で俺たちが永遠の正義だみたいなのもよくないんだと。そこの折り合い点を見つけていくために、人生の残りを私はかけようと思っています。あと10年だろうけど。ということです。
副島 何かありますか。
中田 何かありますか、皆さん。質問のある人とか、メッセージのある人。なければこれで。
菅野 はい、ありがとうございました。
(おわり)
」
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- 2025/8/11/どうも「歯周病」は(通常、常識的には)「感染症」とは「言わない」のが正解である、様だ。

