「機械論的な自然観とは、自然をたわめた不自然な作りものです。」③「福岡伸一 最後の講義 第3章 命に刃を向けた人間」 | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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「機械論的な自然観とは、自然をたわめた不自然な作りものです。」③「福岡伸一 最後の講義 第3章 命に刃を向けた人間」


福岡伸一「最後の講義」を読む・・・

第3章

命に刃を向けた人間

ブラック・ジャックが鼻を移植するなら

現在、主流になっている機械論的な生命観と、古くて新しい見方である動的平衡の生命観を比べると、生命が違って見えてきます。どんなふうに違って見えるか、例を挙げながら示していきます。

これは、4歳ぐらいの子どもに「人間の絵を描いてごらん」と促すと描くひとつの典型的な絵で、幼児教育の分野では頭に手足がついていることから、「頭足人」と呼ばれています。

 

たった4歳の子どもでも、すでに器械・機械論的な生命観に染まっていることに驚かされます。人間は、目、鼻、口、手足というパーツからできていると考えてしまっているからです。その考え方が間違っていることは、次のような思考実験をしてみれば明らかです。

この子どもは、鼻を三角形の線で描いています。今、天才外科医のブラック・ジャックがやって来て、「AさんからBさんに鼻を移植しよう」と考えたとしましょう。そのとき、ブラック・ジャックはAさんからどういうふうに鼻を切り取れば、鼻という機能をBさんに移植することができるでしょうか。

まず、この三角形の鼻に雌を入れるとします。でも、どれほど深くえぐったら鼻を取り出せるでしょうか。鼻は顔の真ん中にある三角形の隆起ですが、それは目に見えている部分のことで、鼻の穴の奥の方には嗅覚上皮細胞という細胞があり、匂いのレセプターが何百万個も並んでいます。そこで匂い物質を感知し、その信号を鼻の裏にある神経の束が脳の奥へと運ぶと脳細胞が匂いのパターンを分析します。それがいい匂いだったら、近づいていって飲んだり食べたりできるように体の筋肉を動かす部分に連鎖が起こります。逆に、硫化水素のような生命に危険がある臭いだったら、息を止めて体を低くして、できるだけ早くそこから逃げるという行動に結びつきます。

だから、嗅覚という機能を「鼻」と考えるとき、Aさんの鼻をBさんに移植しようと思ったら、ブラック・ジャックのメスはどんどん奥に入っていかざるを得ないし、その機能に連関しているすべての神経を移植しようとすると、筋肉も移植しないといけなくなります。そして結局、体全体を移植しないと鼻をいう機能を取り出せないことにブラック・ジャックは気づかされるのです。

つまり、子どもは目、鼻、口という「部品」で人間の体ができていると思っていますが、実はそれらはつながっていて、一つの体として機能を持っている「全体」でもあるのです。したがって、「生命には部品がない」「生命には部分がない」と考えることができるのです。機能論的に見ると生命には部分があるように見えますが、動的平衡の考え方からいうと、すべての部品は相補的に関係しながら広がっているので、どこか一部を切り出してくることはできないのです。

別の例で、「膝が痛い」という人がいるとします。年を取ると皆どこか体が痛くなるものです。そこで、膝が痛い人が「膝が痛いので新しい膝と交換してほしい」と訴えたとします。これも機会論的な考え方です。新品の膝と交換できたとしても、その人の膝はまた痛くなるはずです。なぜなら、膝の痛みは、膝という部品が駄目になっているから痛くなるわけではなく、体のさまざまなところの平衡が乱れて、その負担が膝にかかっているから痛くなるのです。だから、膝だけを交換しても、体の平衡が回復しない限り膝はまた痛くなるのです。

機会論的な思考に陥ると、局所的に問題が発生すればそこだけを取り換えればいいと考えようとします。病院も耳鼻科、眼科、食道外科など部品ごとに分かれていて、そのうち、左目の専門家と右目の専門家に分かれてしまうのではないかと心配になりますが、生命は動的平衡として相補的な関係にありますから、部品、部分という考え方はなじまないのです。

 

脳始と脳死

機会論的な物の見方は、生命を時間軸に沿っても分節化しようとします。でも動的平衡の考え方では生命は連続しているので、時間軸に沿っても簡単に分けることはできないですが、人間はつい生命を分けて考えがちです。それは、脳死問題を考えるとよくわかります。脳死問題とは、死ぬ時点がいつかという考え方です。

人は誰もいつかは死にますが、死はある瞬間に訪れるものではありません。私たちの体は37兆個もの細胞が集まってできているので、心臓が止まったり、呼吸が止まったりしても、体の細胞はまだ大半は生きています。酸素や血液の供給が止まると徐々に死んでいきますが、全部が死ぬまでには時間がかかります。つまり、死はどこかで一度起きるものではなく、体全体に徐々に広がっていくものなのです。ただ、それだと法律が決められなかったり、交通事故の現場検証ができなかったり、さまざまな不都合が生じるので、一応、「死はここで起きます」というふうに人間が勝手に分節点を作っているのです。

古典的には「死の3徴候」といって、「心臓が止まる」ことと、「呼吸が止まる」ことと、「もうひとつは、目を開いて光を当てると、生きていたら反射が起きて瞳孔がキュッと閉じるのですが、その「瞳孔反射が消える」こと。この3つの徴候が現れたら、お医者さんが「ご臨終です」と言って、周りで見守っていた家族が一斉にわっと泣き伏すというのが長い間認められてきた死の地点です。でも、これさえ人工的なもので、この3つが現れたからといって全身の細胞がすべて死ぬにはまだ時間がかかります。

ところが最近は、死の地点をもっとさかのぼって、「脳が死ぬ」ことが人の死だと考えるようになりました。なぜ、こういう考え方が出てきたのでしょう。それは、生命を時間で操作することによって新しい産業が生まれるから。新しい医療が生まれることによって、お金をもうけられる人が増えるからです。

「脳死」を人の死の地点にすると、まだ体は生きているのに死んでいると見なすことができ、ある一定の時間を設けることができます。すると、生物学的にはまだ生きている体から臓器を取り出しても殺人には当たらないので、臓器を別の人に移植することができるようになります。つまり、脳死は、臓器移植のために死の地点を前倒しするという、機会論的な生命観にもとづく生命の分断なのです。

これとまったく同じことが、生きる方にも当てはめられます。脳死が人の死の地点なら、脳が始まる地点、すなわち「脳始」が人の生の始まりお考えてもいいはずです。生命がいつ始まるかというのは非常に難しい問題で、レーウェンフックが明らかにしたように、泳いできた精子が卵子と合体した「受精卵」ができたところが「新しい生命の出発点」と考えることができますが、精子も卵子も生きた細胞なので、生命は受精卵となる前からすでにあったことになります。でも一応、受精卵という新しい状態ができたところが生命の「暫定的な出発点」と考えることにしましょう。

受精卵ができると、細胞は2個、4個、8個、16個と増えていき、ある塊になった後、ようやくお母さんの子宮の壁に着陸します。それを床といいますが、着床後、細胞はさらに増えていき、少しずつ胎児のかたちになっていきます。皆さんが「誕生日」だといっている日は、この受精卵が9か月以上の間、お母さんの体の中で成育して、ようやく体から出てきた日のことなので、本当の誕生日ではありません。本当の誕生日は受精卵ができた日です。

現在、人工的に妊娠を止めることができる人口妊娠中絶という操作が法律で認められていますが、人口妊娠中絶を行ってもいい期間も法律で勝手に決められています。妊娠が成立してから22週目までです。これも、人間が恣意的に引っ張った線です。それまではまだ細胞の塊にすぎないから赤ちゃんを下ろしてもいいと。しかし、細胞の塊であっても胎児のかたちをしているし、すでに出発している人間の生命を中断させることはある意味では殺人ですが、人口妊娠中絶は法律上は認められているのです。

新しい生命の出発点に「脳が始まる」という概念を持ち出すと、脳が死んだときが人の死ならば、胎児の脳が機能し始めたときこそ人間の生命の始まりだという考え方も成り立つでしょう。人間の脳の機能が始まるのは妊娠中絶が行われるよりもさらに後、全体の妊娠期間の4分の3がたった頃で、脳にいろいろな反応が現れ、意識が立ち上がってくる時期があります。

したがって、脳始が人の死で、「脳始」が人の始まりならば、本当の誕生日である受精卵ができたときから脳の機能が始まるまでの期間も使えることになるわけです。使えるというのは、医療上、あるいは生物学上のツールとして生命を操作することができるということです。胎児の細胞を使って新たな再生細胞を作ったり、いろいろなことに使えるわけです。これも機会論的な生命観による生命の操作につながっていきます。

脳始という新しいコンセプトによって可能になった臓器移植のおかげで、多くの人の命を助けているように見えます。そして、「脳始」で利用できる期間を前倒しすることによって、人間の出発点の細胞をいろいろなことに使えるので、これもまた医療産業上は有利に見えます。しかし、脳死も「脳始」も人工的な切れ目にすぎず、医療の進歩でも何でもありません。始まりと終わりの両端から私たちの生命の時間を短縮しているだけなのです。

脳死問題も、機械論的な生命観で見た場合と、動的平衡の生命観で見た場合とでは、生命の価値をどう考えるかという点でまったく違うものに見えてきます。動的平衡の考え方では、生命の時間に分節点はないといえるのです。

 

花粉症を治すのは?

もうひとつ、機械論的な生命観と動的平衡の生命観を比べる例として挙げるのは、「なぜ花粉症には抗ヒスタミン剤が効くか」という話です。皆さんの中にも花粉症の人がいると思います。実は私も花粉症持ちで、春先になるといつも鼻水やくしゃみに悩まされ、嫌な思いをしています。花粉症になると病院へ行き、「抗ヒスタミン剤」という薬を処方してもらいます。飲むと症状が和らぐからです。その症状が和らぐメカニズムを考えてみましょう。

花粉症は「症」という字がついているので病気のように思いがちですが、そうではありません。私たちの体が本来的に持っている免疫システム、つまり外敵と戦うためのシステムが少しだけ過剰に反応しているだけなのです。

なぜ過剰な反応が起きるのか。まだ解明されていない部もありますが、こういう説明もできそうです。現代社会が清潔になり過ぎて、ばい菌やウイルスが簡単に私たちを襲ってこなくなったために免疫システムが力を持て余し、本来は戦わなくてもいいはずの花粉を敵だと思い、積極的に戦ってしまうから。花粉は毒も出さないし増殖もしないので、体内に入ってきても放っておけばいいのですが、大気中に飛散している花粉が鼻や口からどんどん入ってくるため、免疫システムは際限なく花粉と戦おうとします。できるだけ早く体内から外敵である花粉を外へ洗い流そうとして鼻水やくしゃみが出て、止まらないのです。これが花粉症です。

花粉症は、いくつかの免疫細胞の連携プレートによって起こります。そのメカニズムはこうです。まず、花粉が体内に入ってくるとある細胞が察知して、「花粉が襲来してきたぞ。みんな気をつけろ!」とSOSを発しながら、ある物質をまわりに分泌します。そして、分泌された物質が別の細胞の「レセプター」というアンテナのようなかたちをした受容体に結びついて、体に反応を起こします。反応とは、鼻水やくしゃみや涙を引き起こして花粉を早く洗い流そうとする働きのことです。このSOSを発する信号物質を「ヒスタミン」といいます。アンテナみたいなレセプターは「ヒスタミンレセプター」です。免疫細胞から出たヒスタミンが「花粉が襲ってきたぞ!」と知らせ、ヒスタミンレセプターに特異的に結びつき、中に信号を送ると反応が起きます。これが刃ふん症のメカニズムです。ちなみに、今はあえて「メカニズム」といっています。

では、環ふん症を治すためにはどうすればいいでしょう。簡単です。この反応をどこかで遮断してやればいいのです。遮断するために開発されたのが「抗ヒスタミン剤」という薬で、免疫細胞が本来持っているヒスタミンの偽物です。少しだけかたちを変えたまがいものです。

これを服用すると、本物のヒスタミンに先回りしてヒスタミンレセプターに結びつき、ブロックしてしまいます。ただ、本物のヒスタミンとはかたちが異なるので、ブロックするだけで中に信号を送ることはできません。わざとそういう物質を選んで薬にしているのです。

レセプターをブロックしている抗ヒスタミン剤は中に信号を送りません。花粉が襲来して本物のヒスタミンが放出されても、偽物が先回りしてブロックしているので、本物はレセプターと結びつくことができず、免疫細胞は反応できません。つまり、鼻水もくしゃみも出せないということ。免疫システムの連携プレーはここで見事に遮断されました、めでたしめでたしというのが機械論的な生命観による抗ヒスタミン剤が花粉症に効くメカニズムの説明です。

非常に合理的な説明です。薬をもらいに病院に行きたくなりますね。しかし、生命は機械ではありません。生命は流れです。動的平衡の視点でこの問題を考えると、抗ヒスタミン剤の服用がそれほど合理的ではないと思えるに違いありません。視点のキーワードは「時間」です。

私たちが顕微鏡などで細胞のメカニズムを見ているとき、時間は止まっています。リモコンの一時停止ボタンを押すように、ある一つの局面で細胞の状態を止めてみているので、抗ヒスタミン剤がレセプターに結びついた局面だけを目にすれば、ヒスタミンをブロックできると解釈してしまいます。けれども、実は細胞はどんなときも動的平衡状態にあり、常に動いているのです。だから、一時停止ボタンを解除して、抗ヒスタミン剤によってブロックされた場合、細胞はどういうふうに動くのか、時間軸に沿った動的平衡を見なければ、本当の薬の効き方、あるいは、それによって引き起こされる現象を目にすることはできません。

動的平衡は常に動いているので、押せば押し返してくるし、沈めれば浮かび上がろうとするし、邪魔をすればその邪魔を乗り越えようとします。動的平衡は、外からやってくる操作に対してリベンジをしようとするのです。いったいどういうリベンジをするのか。一時停止ボタンを解除してみましょう。

私が花粉症を恐れて抗ヒスタミン剤を手放すことなくいつも飲んでいると、レセプターは常にブロックされているので、免疫細胞はもっとたくさんのレセプターを作り、ブロックを凌駕しようとします。一方、ヒスタミンを出す細胞はいくらヒスタミンを出してもレセプターと結びつけないので、ヒスタミンをもっとたくさん作るようになってしまいます。そんな状態の体内に花粉が入ってくると、免疫細胞から大量に出されたヒスタミンが、大量に作られたヒスタミンレセプターと結合することになります。私はもっと激しいくしゃみや鼻水、涙にさいなまれる体質に、抗ヒスタミン剤を飲み続けることによって自ら導いてしまうという逆説的なリベンジを受けてしまうのです。

これは理論的なモデルですが、薬というのはすべてこのように、何かをブロックすることによって効き目を感じさせるようにできています。時間を止めて一つの局面だけをピンポイントで見たら、確かに症状は和らいでいるように見えますが、それをずっと続けていると、私たちの生命はリベンジを仕掛けてきて、体内に違うことが起きてしまいます。一度でも麻薬に手を出したら、体は次々と麻薬を要求するようになったり、副作用がいろいろなかたちで思わぬところに出たりするのも、動的平衡によってリベンジを受けた結果なのです。

生命の動きを止めて、機械論的に物を見てばかりいてはいけません。動的平衡の流れとして時間の中で見なければ、生命の本当の姿は見えてこないのです。

 

狂牛病のホントの怖さ

もうひとつ、生命を機械論的に考え過ぎたせいで大変なことが起きてしまいました。動的平衡の視点や、地球上のさまざまな生命の連鎖や関係性を忘れて、機械論的に合理的だからという理由だけで進めてしまったことによって、生命の集合体である環境からリベンジを受けてしまった例として、「狂牛病」の問題に触れてみたいと思います。

狂牛病は、おとなしい牛があるとき突然おかしくなり、体が震えて立てなくなったり、飼い主に向かって突きかかってきたりと異常な行動をとる恐ろしい病気です。牛の脳の中に原因不明の病原体が入り込み、脳細胞を壊していくことによって起こります。1985年にイギリスで発生すると、瞬く間にイギリス全土に蔓延し、大量の牛が死んでいくという異常現象が起きました。あっという間に広がった原因をいろいろなかたちで3年間ほど調査した結果、汚染された餌が原因だと判明しました。

牛の餌は何でしょう。草食動物なので、牧場でのどかに草を食んでいるシーンを思い浮かべます。確かにそんなふうに育てられている牛もいますが、狂牛病にかかった牛のほとんどはミルクを出す乳牛です。毎日ミルクを生産してもらうために、栄養のある餌をたくさん食べさせる必要があります。しかし、ミルクを搾る取るために高い餌を与えていたのでは利益にならないので、できるだけ安く、栄養価のある餌が与えられることになります。それは草ではなく、「肉骨粉」と呼ばれる飼料でした。肉骨粉とは、羊や牛の死骸を集めてきて、大鍋で煮て、骨を外して、乾燥させて、パウダー状にしたものから作った人工飼料です。つまり、草食動物である牛を人工的に肉食動物に変えていたわけです。その方が経済効率がいいからです。死骸はただ同然の原料なので安く作れます。それを強制的に乳牛に与え、本来は子牛い与えられるはずのミルクを人間のために搾り取っていたのです。

肉骨粉が作られる過程で、病気の牛や羊が混じれば、病原体が餌を通じてそのまま乗り移ってくるということがわかってきました。狂牛病は、「スクレイピー病」という昔からあった羊の病気の病原体が餌に入り込み、その餌を食べた牛が病気になったものであることもわかってきました。

ところが、ひとつの謎が浮かび上がってきました。肉骨粉を作って家畜に与えることを「レンダリング」といいますが、実は1920年代頃から家畜の死骸を餌に変えて牛に食べさせるレンダリングは行われていたのです。ただ、狂牛病の牛は現れていませんでした。狂牛病は85年になって突然、現れたのです。以前にも羊のスクレイピー病は発生し、その死骸が餌に混入するチャンスもたくさんあったはずなのに、85年に急に狂牛病が発生したことが新たな謎になったのです。

謎を解明していくと、そこにも人間の機械論的な浅知恵が働いていたことがわかりました。というのは、80年頃に中東情勢の影響で原油の価格が高騰した時期があったのです。肉骨粉を作るレンダリングのプロセスにおいて、石油は多大なエネルギーコストになります。大鍋で煮たり、乾燥させたり、肉骨粉を作る工程で大量の化石燃料が必要となります。燃料のもととなる原油の値段が高騰してしまうと、安く餌を作るメリットが失われてしまいます。それを避けるために、レンダリングの過程が大幅に簡略化されてしまいました。加熱時間を短縮したり、乾燥を徹底せずに生乾き状態で終わらせたり。加熱は不十分となり、病原体が生き残るチャンスも増えました。そんなふうに手を抜いて作られた肉骨粉を食べた牛が、5年程度の潜伏期を経て狂牛病となって現れていたという事実が次々と明らかになってきたのです。いずれも人間の勝手な都合で、生物本来の動的平衡を切断し、組み換えたためにこうした悲劇が起きてしまったのです。

事態はさらに悪い方向へ向かいました。病気になった牛を食べた人間が、人間版の狂牛病になってしまったのです。「ヤコブ病」という名前がついていますが、牛を食べてしまったせいで人が狂牛病になるという、大変なことが起こってしまったのです。当時、この時期にイギリスにいた日本人は、日本に帰国しても輸血することが禁止されていたほどでした。やがて、日本でも狂牛病が潜んでいることがわかりました。肉骨粉は世界中で売りさばかれていたので、回り回って日本にも入ってきていて、その餌を食べた牛が狂牛病にかかり、毎年何例がずつ発見されました。

肉骨粉の含まれた餌は世界中に流通していたので、牛乳や牛肉を食す国ならどの国でも狂牛病が起こり得る可能性がありました。2003年には、ついに大畜産帝国であるアメリカでも狂牛病が発生し、アメリカ産牛肉が輸入禁止となり、日本の牛丼チェーン店やファミリーレストランなどアメリカ産の易い牛肉を使っていた食品産業が大変な混乱に陥ってしまいました。

その後、餌の規制やさまざまな安全対策を講じて輸入が再開され、現在は日本でも狂牛病の発生が過去10年ぐらいは起こっていないので、いちおう沈静化されたと考えられています。牛肉を食べても心配はないとされていますが、人間が勝手に生態系を組み換え、動的平衡を乱した結果として起こしてしまった事件として、今も多くの人の記憶に残っています。動的平衡は必ずしも一つの生命の中で起こっているだけではなく、地球全体の生態系の中でも成り立っているといえそうです。

結論としては、生命や環境、自然は動的平衡のメカニズムで成り立っていて、その考え方のポイントは要素ではなく、要素と要素の「関係」が大事だということ。また、「物」ではなく、「事」が大事だということです。

もうひとつは、長い時間軸で考えること。瞬間、瞬間だけで時間を止めてみると、生命の動的平衡を見失ってしまい、動的平衡がどんなふうに動いていくかわからなくなります。

それから、部分的な思考に陥らないようにすることも大切です。効率がいいからと牛を草食動物から肉食動物に変え、しかも死骸を食べさせるというような部分的な効率ばかりを求めていると、必ず不幸がもたらされてしまいます。動的平衡の視点に立って、生命、あるいは世界を見ないといけません。

流れを止めることは、時間を止めるということですが、先ほどお話ししたように、部分として、部品として、生命を見たり、生命の時間を分断し、流れを止めるというのは、生命本来の見方にはそぐわないもの。生命は操作したり、介入できるものではなく、共生するものです。異なる多様性を包み込んでいかなければ、動的平衡の考え方が有効に活用できないのではないかと思います。これが、私が皆さんに伝えたいことです。

サッカー元日本代表監督の岡田武史さんが動的平衡のコンセプトを気に入ってくださり、「動的平衡は新しい組織論だ。これが勝利をもたらしてくれた」という言葉を私の著書の帯に書いてくださいました。岡田さんの理想としては、サッカー選手が動的平衡状態を保ちながら、相補的に他の選手をフォローし合う分散的な仕組みでサッカーができれば強力なチームが作れると考えておられるのです。大変ありがたく、その通りではあるのですが、もし完璧に動的平衡でサッカーができれば、真っ先に不要となるのは監督だということを岡田さんに伝えておかないといけませんね。

 

日本でも狂牛病

狂牛病は正式名として牛海綿状脳症(BSE)という名前で呼ばれる。牛の脳の組織がスポンジ状になり、異常行動、運動失調などを示し、死亡するとされている。日本では2001年9月以降2009年1月までの間に36頭の感染した牛が発見された。

 

自然をたわめた不自然な作りもの

1965年にノーベル物理学賞を受賞された物理学者の朝永振一郎は、第2次世界大戦前の1940年頃、ドイツ留学中い『滞独日記』を書いていました。朝永は日本の文化史においても世界的にも最高の物理学者のひとりですが、日記の仲で非常に興味深いことを書いています。「物理学の自然というのは自然をたわめた不自然な作りものだ」と。この「物理学」は「生理学」に置き換えることができると思います。生物学の自然は「機械論的な自然観」です。機械論的な自然観とは、自然をたわめた不自然な作りものです。それによって初めて見えてくるミクロな世界ももちろんありますが、そこで終わってしまうことなく、「一度、この作りものを通って、それからまた自然に戻るのが学問の本質そのものだろう」と朝永は続けます。

生物学の自然、機械論的な自然というのは、自然をたわめ、つまり分節したり、部品化したりして人工的に作り替え、「不自然な状態」に整理して見ているわけです。でも、一度そういう機械的な見方を通したうえで、本来の自然に戻るべきだと朝永は言うのです。本来の自然は動的平衡としてあるので、そこに戻るのが学問の本質だと。でも、現代の私たちは分析的な、要素還元的な目で「自然をたわめた不自然な作りもの」として自然を見てしまっているのです。人工知能(AI)的な物の見方もまさにそこで止まっています。でも、そこを通ってもう一度、動的平衡としての本当の自然に戻ることが学問の本質なのです。

朝永はこんなことも書いています。「活動写真で運動を見る方法が、学問の方法だ」と。活動写真、つまり映像は、無限の連続を1秒間に数十枚かのコマに収めてしまうもの。一枚一枚のコマは静止画像になっています。その静止画像をパラパラ漫画みたいにめくって連続させることで「自然が動いている」と、錯覚を伴うような人工的な見方で自然を見ているのです。自然は本来、無秩序で、常に変化し、毎回異なるもの。それをモデル化し、数式に置き換え、再現性のある法則とするのが物理学であり、生物学でもあります。けれどもそれは、自然を無理やりそう見なしているにすぎません。科学者はその自覚を持たなければならないのに、多くは自然を分解、定式化することに夢中で、本来の自然に戻ることを忘れていると、朝永は指摘しているように思えます。自然や生命の本質、動的平衡の本質は、滑らかな時間として連続しているものだと。「なるほど。私が長い時間をかけてようやく気づいたことは、先人がすでに気づいておられたこと。それを私が言い直しているにすぎない」と思いながら朝永の日記を読みました。「絵描きはもっと他の方法で運動を表している」とも書いておられ、「確かに」と、私は好きなフェルメールの絵を思い浮かべたりもしました。

 

朝永振一郎(1906~79年)東京都に生まれ、京都府で育つ。電子の質量が無限大になるという量子力学の矛盾を解決する「くりこみ理論」によって、同様の理論を考えていたアメリカ人研究者2人とともにノーベル物理学賞を受賞した。

 

フェルメール巡礼を経て

さて、ここからは私の趣味の話なので、リラックスして聞いていただければと思います。先ほど、顕微鏡を発明したレーウェンフックと同じオランダのデルフトに生まれ、同じ時代を過ごしたフェルメールという画家がいると言いましたが、その人の話です。

理科系の研究者は一人前になるのに長い時間がかかります。大学の4年間、その後、大学院に5年間通い、博士論文を提出してようやく「博士号」が取得できます。そのときはすでに20代後半になっているのですが、まだ一人前の研究者でもなければ、ご飯を食べていくこともできません。なのに、さらに「ポスドク」という研究終業期間を過ごさなければならないのです。私はアメリカ・ニューヨーク州にあるロックフェラー大学に留学する機会があり、マンハッタンにアパートを借りて一生懸命、研究修行に打ち込みました。ただ、その研究所が「ブラック企業」みたいなところで、とても易い給料でこき使われたのです。英語の壁も、文化の壁もありましたが、とにかく自分の仕事をボスに照明するために、懸命に勉強、研究しなければいけないので、せっかくニューヨークに住んでいるのに、自由に女神にもエンパイアステートにも訪れたことがありませんでした。街を観光するような精神的余裕も経済的余裕もポスドクの私にはなかったのです。

ニューヨークの街は基盤目状になっています。当時、私の住んでいたぼろアパートと研究所の間の通りをあみだくじをなぞるように歩き、「今日はこっちに曲がってみよう」と毎日違う道を選び、違う街並みを眺めながら通うのが唯一の楽しみでした。ニューヨークは垂直都市でもあり、超高層ビルが立ち並んでいるのですが、一角だけ低層の御殿が建っていて、それが「フリック・コレクション」という個人美術館だったこともあみだくじ歩きで知りました。中に入ったら、本物のフェルメールの絵が展示されていて、「これがあのフェルメールか」と、少年時代にレーウェンフックの顕微鏡のことを調べた図書館で知ったフェルメールと数十年ぶりに再会することができたのです。

レーウェンフックは90歳まで生きて顕微鏡の研究に邁進しましたが、フェルメールは43歳で亡くなりました。短い生涯だったので、フェルメールの絵画作品はたった37枚しか現存していません。ここでピンと来た方もおられるかもしれませんが、37は素数です、皆さん、素数を知っていますか?その数と1としか割れない特別な数で、こうう数を目にするとオタクはなぜか「ビビビッ」と来てしまい、もう37枚の絵すべてを見るしかないと心に決めて、それ以来、世界中の美術館に散らばっているフェルメールの絵を巡礼するたびを始めたのです。パリのルーブル美術館やロンドンのナショナルギャラリーといった有名な美術館に所蔵されているものもあれば、遠いアイルランドの美術館やドイツの片田舎の美術館に一点だけ所蔵されているものもあり、すべて見るには大変な時間がかかりました。20年ぐらいかけて37枚中36枚まで所蔵する現地の美術館に行ってみることができました。ただ。一点だけ見ることができていない絵があります。ボストンにあった「合奏」という大傑作なのですが、1990年に盗難され、いまだに行方不明なのです。その作品だけはどうしても見ることができないのです。

すべてのフェルメールの作品を見ると、オタクなのですべて欲しくなってしまいます。でも、フェルメールの絵はマーケットに出てくることはなく、出てきても一点100億円以上はするので、すべての絵を一堂に集めて眺めるなどということは絶対に不可能なのです。が、オタクなのでうまく屁理屈を考えてしまいました。すべての絵をデジタル的に再創造したのです。絵のデジタルデータwp「フェルメール・センター・デルフト」から提供を受け、それをコンピュータで補正しました。フェルメールが描いた当時の絵の具、特に印象的なラピスラズリの青を分析して350年前にキャンバスに塗られた鮮明な青に回復させるなど、最新のデジタル画像技術によってすべての作品を再創造したのです。原色・原寸大で印刷し、それぞれの美術館で展示されている同じ額装を施して、37点すべてを際限して展示する「フェルメール光の王国展」を開催しました。盗難された「合奏」も残っていた画像データから回復することができました。

この展覧会は、フェルメールが描いた絵を年代順に見ることができるのが大きな魅力でした。絵は一つひとつの額の中にあるように見えますが、年代順に並べ、時間軸の中で見ていると、フェルメールの人生そのものが見えてきました。フェルメールは絵と絵の間、額と額の間にいるということがわかったのです。つまり、フェルメールの人生のプロセスが「流れ」として見えてきたのです。

「フェルメール光の王国展」も終わり、私は再びニューヨークに住むチャンスを得ました。青山学院大学をお休みし、古巣のロックフェラー大学の客員教授として滞在することができました。そのとき、あのフェルメール展をニューヨークに持ち込み、ニューヨーカーを驚かせようともくろんだのです。

そうしたら、おもしろいことが起こりました。ニューヨークの投資家で慈善事業家のトム・カプランさんという超大金持ちで、フェルメールが最後に描いた「ヴァージナルの前に座る若い女」を個人所蔵している紳士をダメ元で展覧会に呼んだら、来てくださいました。「福岡さんのオタクぶりには脱帽です」と言ってくれたので、偽物版「ヴァージナルの前に座る若い女」を彼にプレゼントしました。

それから、もうひとつ「事件」が起こりました。「真珠の耳飾りの少女」は、少女の振り向きざまの一瞬を描いたものです。絵というのは写真みたいに時間が止まっているように見えますが、朝永振一郎が「絵描きはもっと他の方法で運動を表している」と書いたように、画家は動きを描くことで時間を描いていることを見いだしたのです。この絵も、少女の振り向きざまの一瞬を描いているように見えますが、「ここに至った時間」と「ここから出発する時間」が絵の中に動きとして込められていることが感じとれます。この後に、少女が何かをささやくのか、どこか違うところに視線を移すのかはわかりませんが、時間は完全にこの絵の中で止まっているわけではなく、絵の中で揺らいでいつのがわかります。それが、パラパラ漫画とは違う「他の方法」で書いているということだと思うのです。

この有名な「真珠の耳飾りの少女」は、フェルメールとレーウェンフックの母国であるオランダのマウリッツハイス美術館が所属しています。その、本物を持っている本家本元からニューヨークにいる私のところにある日、電話がかかってきました。「福岡さん、偽物ばっかり作って、いったい何をしているのですか?」と怒られると思いましたが、そうではなく、マウリッツハイス美術館がリニューアルオープンするらしく、いちばん目玉作品である「真珠の耳飾りの少女」を使って1分間のプロモーションビデオを作りたいと。そのプロモーションビデオに、「偽物フェルメールを作って喜んでいる福岡さんを出演させたい」という申し出の電話だったのです。それがどんなビデオなのか、あらかじめ解説しておきますと、前半はニューヨークにある私のアパートの部屋にオランダの取材チームがやって来て、デジタル再創造した偽物のフェルメールの絵を壁に掛けてくつろいでいるシーンを撮りました。そして、私は急に思い立ってニューヨークから旅に出ます。どこに行くかというと、本家本元のマウリッツハイス美術館です。美術館の、この少女がいる部屋に入っていくと、何とニューヨークの私のアパートの部屋が急造した書き割りみたいな板で再現されているのです。でも、壁には本物nフェルメールが掛かっているというプロモーションです。

ということで、昆虫少年として始まった私の旅は、顕微鏡の故郷を訪ねてレーウェンフックを知り、フェルメールを知り、動的平衡を知り、そしてフェルメール巡礼をして偽物を作って喜び、最後は本家本元からお墨付きを得たというものでした。今日はご清聴ありがとうございました。

 

ポスドク

ポスドクトラル・フェローの略。博士研究員。福岡さんはロックフェラー大学の細胞生物学研究室に手紙を書き、ポスドクとして雇用され、渡米した。実験に次ぐ実験の日々を過ごした。ちなみに、当時のポスドクの年収は平均2万ドル程度と低賃金だった。

 

「真珠の耳飾りの少女」などフェルメールの作品を収蔵するオランダのマウリッツハイス美術館がリニューアルオープンのために制作したポロモーションビデオにフェルメールオタクの福岡さんの出演を依頼。とてもユニークな作品に。

・・・つづく・・・

★☆おまけ・・・☆★

皆様の「金運」が向上しますように・・・