「映画「オッペンハイマー」を見た感想」by副島隆彦・・・「第五福竜丸」事件には「うそ」が隠されている!! | きたざわ歯科 かみあわせ研究所
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「映画「オッペンハイマー」を見た感想」by副島隆彦・・・「第五福竜丸」事件には「うそ」が隠されている!!


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「2096」 映画『オッペンハイマー』と第五福竜丸の真実 (第1回・全2回) 2023年11月7日←青い部分をクリックしてください
「2098」 映画『オッペンハイマー』と第五福竜丸の真実 (第2回・全2回) 2023年11月15日←青い部分をクリックしてください

1956年に大騒ぎになった、ビキニ環礁での水爆実験で、死の灰を浴びながら日本に帰ってきた第五福竜丸は、最初は焼津に帰ってくるんですけど大騒ぎになって、久保山愛吉(1914-1954年、40歳で死)無線長以下みんな放射能を浴びて死んだ。これは嘘なんですね。久保山愛吉は注射針の毒で死んだだけで、誰も死の灰で死んでないんですよ。90歳近くまでみんな生きていました。だから、わざとああいう大騒ぎをつくったんですね。

水爆実験

第五福竜丸

久保山愛吉

その一方で、第五福竜丸事件の2カ月後に、ドワイト・アイゼンハワー大統領が「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」というのをやるんです。日本でもすぐにCIAが正力松太郎(しょうりきまつたろう、Ⅰ885-1969年、84歳で死)を使って、東海村の実験炉の建設を始めるんです。

正力松太郎

東海発電所

だから、もうめちゃくちゃなんです。国内の左翼たちは共産党系と社会党系で、やがて共産党系の原水協(原水爆禁止日本協議会、1955年設立)から社会党系の原水禁(原水爆禁止日本国民会議、1965年設立)が脱退して、分裂するんだけど、大騒ぎ、大騒ぎで何十年も、僕らの小さいころから学生時代まで。馬鹿じゃないのと一言で言います。全部操られていたんだよということです。こう言うとね、反対運動自体は正しかったと言うんだろうけど、最初からつくられているんで話にならないんだ。それを言って初めて、副島隆彦が日本最高の知識人として今意味を持つんです。他の人はもう黙りこくるでしょう。

第五福竜丸展示館って今も東京湾の埋め立て地の今の豊洲のあたりの端っこにあるらしい。そこに展示してあります。東京都の財産なんでしょうね。あるんです。反対運動をやった何百万人もの人たちももう死んじゃった訳ですね。

広島・長崎でまだ100歳を超して生きている人がたくさんいます、広島原爆病院、長崎原爆病院に。ホルミシス効果(hormesis effect)ともいうんだけど、低濃度のほんとに薄い放射能は体にいい。これを言うとまた嫌がられるんだけど、言います。私はそういう意味では真実とは何かに対して本気で闘ってきた人間だからね。でも、もうこの問題は今日はやっている暇がありません。

・・・」